夢・・・ | ☆ポルシェファミリー☆

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トイプードルの親子のブログです。
まだ私のそばにいてくれる長男とお空組の父、母、次男、長女のことそして時々人間の家族のことを書いています。

母が亡くなって
今月末で3年3ヵ月

何でこんな夢を見たのか・・・



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寝ていると
リビングに置いてある
スマホが鳴った

飛び起きて見ると
母だった

私:とうしたの?

母:成田空港にパンを買いに行こうと思って

時計を見ると
午前4時

私:夜中だからパン屋さん
まだやってないから
寝てて
と言って電話を切った

寝ようとした時に
もしや!と思い
1階の母の部屋に行った

やっぱり!
母は着替えて
バッグを掛けて
座っておりました


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これは数日前に見た夢ですが
実際にあった事です

リアルで
すごく不思議な感じがした

75歳までは
とても元気な母でした

唇に出来るガン
これは転移しないと
聞かされていました

唇のガンを皮切りに

・乳ガン
・大腿骨骨折
・大腸ガン
・脳梗塞

唇のガンから1年半の間に
これだけやりました

脳梗塞から6年後に
・乳ガン(反対側)
になり

さらに3年半後
・肺に転移、末期でした

100歳まで生きたいと
言っていた母なので
病院へは
それはそれは
真面目に行っていました

定期的に検診をしていても
なる時はなる
と言う事を学んだ私

痛みが強くて
モルヒネを使っていたので
せん妄がひどかった

この成田空港のパン屋さんが
一番最初だったので
今でも鮮明に覚えています

私に向かって
『○○(私の名)は何処に行ったの?』
と言ったり
『さっき誰と話してたの?』と
存在しない人が見える事が
すごく怖かった

訪問看護師さんや
往診に先生が
来てくれていたので
病院に入院していると
思っていた様だ

母:今日は土曜日だから帰ろうかなぁ

私:何処に帰るの?

母:うち

私:ここ、うちだよ!どこだと思ったの?

母:わからない

こんな会話はしょっちゅう
ありました

肺ガンの末期と
わかって
亡くなるまで半年

枯れていく様を
この目で
しっかりと見た

痛みだけが心配だったが
薬の量を
細かく調整して下さり
感謝の一語につきる





訪問看護師さんとの間の
この連絡ノートは
今では宝物になりました

亡くなった後
余白のページには
せん妄の様子を書いた

ノートの後半には
夫の入院中の
様子が書いてある