5ヶ月ぶりのリンリン放浪記です。

以前に予告した通り、
今回やってきたのはこの駅。



JR常磐線の南千住駅です。

初めて降りました。
一つ先、川を渡った北千住は、何度か来たことがあったのですが……


その理由は、降り立ってすぐに、分かりました。

何にもないびっくり

ここが、都心から30分以内にある街とは、とても思えません。
なんだろう、このよどんだ空気感はショボーン

しかも、JRだけではなく、地下鉄や、つくばエクスプレスもあるのにです。
(秋葉原から10分以内です)

気を取り直しましょう。
まずは、隅田川にかかる千住大橋を目指します自転車



これは日光街道(国道4号線)。

先に見える青い橋が千住大橋です。
橋の向こうは北千住になります。

千住は、日光街道最初の宿場町だった所で、当時はかなりの賑わいだったそうです。

今でも、川向こうの北千住は、賑わっていて、街も活気に溢れています。



橋を渡った先にあったのは、
「奥の細道」の石碑。

「奥の細道」と言えば、松尾芭蕉さん。

彼は、江戸元禄の時代に、この千住の地から、奥の細道へと旅立ったのです。

えっ?
なんでここから?

芭蕉さんは、当時、深川に居を構えていましたが、ここまでは隅田川を船で上って来たのでした。



今度は、北側から撮りました。

ここから、北千住方面へと行くのも楽しそうですが、今回は再び南千住へと戻ります。

今回の目的は、泪橋ですから。



橋から、隅田川の川面を臨みます。

船が通り過ぎて行きました。
そして、水道管のようなものが見えます。



その水道管の下には、こんな絵と文字が描いてありました。

『…前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ…』


これは、「奥の細道」の一節です。

ここにも、『泪』の文字がありました。

決して大げさではなく、二度と江戸には戻れないかも知れない……

芭蕉さんの、
そんな決死の心内が見えるようです。

さて、来た道を戻ります。



その通りを、『コツ通り』といいます。

こんな名前の整骨院がありました。
シャレじゃないですよ(笑)

『コツ通り』

おかしな名前ですね〜びっくり

でも、この名前には、言葉では言い表せないほどの、哀しい歴史があったのです。



まず、駅のすぐ近く、地下鉄の駅からだと、歩いて10秒!

小塚原回向院です。

かつて、この地にあった小塚原処刑場の跡地にあるお寺さんです。

品川の鈴が森処刑場と並ぶ、江戸時代最大の処刑場で、ここでは、20万人の死刑が執行されたと言われています。



そして、その霊を慰めるために、首切り地蔵さんがあるらしいのですが、見当たりません。



墓地は狭くて、すぐ横を電車がひっきりなしに走り抜けていきます。

えっ、お墓が少ない?

それは当然なんです。
ほとんどが罪人ですから、供養なども全くされず、この地に放り投げられたそうです。

さらに、満足に埋葬さえしなかったため、雨が降ると遺体が現れ、獣たちについばまれてしまったそうです。

そして、骨だけが残った……



ここで処刑され、葬られた罪人の中には、罪人とは呼べない人達もいたのです。

これは、橋本左内のお墓。
お上に意見したために、25才で処刑されました。

このお墓は、後世の人が作ったのでしょうね。



こちらは、あの吉田松陰のお墓。
彼も怯むことなく、幕府にたてついたために、29才で処刑され、ここに葬られました。

どちらも、功績からしたら侘しいお墓で、
何とも言い表すことが出来ません。

そして、線路を挟んだすぐの所にもお寺さんがありました。



延命寺という名前でした。

延命とは、何とも皮肉な名前です。

そして、先ほど、線路を挟んでと言いましたが、この延命寺に足を踏み入れた僕は言葉を失ってしまいました。



まず、これが首切り地蔵さん。

右側に見える電車は、常磐線です。
つまり、回向院から常磐線のガードをくぐると、延命寺があるわけです。
(それにしても電車が近い…)

ところが、次にこれをご覧下さい!
これは、首切り地蔵さんの、左側を撮ったものです。




なんと、左側にも電車が……
それも、上にも下にも走っています。
なにやら、その奥にも線路が見えます。

なんと言うことなんだろうえーん

この延命寺、首切り地蔵さんは、線路と線路の間に挟まれた場所にあるわけです。

3路線の電車が、それこそ次から次へと、轟音を響かせて、走り去って行きます。

気のせいか、普通より音が響くような……

土の中に、埋められた死人達の骨が共鳴してる?

まさか、死者達の骨が地上に現れないように、彼等の上に線路を敷いたのか⁉

そう言えば、二つのお寺共に、妙にコンクリートっぽかったし、地面もそうだった……


『コツ通り』は、骨のコツ?
それとも、小塚原の地名のコツ?

多分、両方なんだろうな〜
小塚の「コツ」に「骨」をかけた……
僕には、そう思えました。

でもな〜
通りの名前につけますか?


もう、ここには居たくない!
僕は、何かに取り憑かれたように、飛び出したのでした。

次に続きます。