お風呂から戻ってみると、部屋の中はタケシ先輩のスタンドが一つ灯っているだけだった。
外は、すっかり暗くなっている。
『夜は基本的に、部屋の電気は消してスタンドだけにしてもいいかな?』
タケシ先輩が振り返って言った。
『はい、タケシさんは、いつも何時ごろまで起きてるんですか?』
『僕は、12時には寝るよ。でも、僕に合わせないでいいからね。僕は、規則正しい生活だから』
タケシ先輩は笑った。
『あっ、それは好都合です。僕も規則正しい生活は好きですから』
あえて、今までの生活のことは言わなかった。気のせいか、タケシ先輩はほっとしたような表情を見せた。
『君とだったら上手くやっていけそうだよ』
『はい、僕もです』
『じゃあ、就寝時間は12時ということにしようか』
『そうですね。起床はどうしますか?6時に起きて、散歩、ラジオ体操でもしますか?』
僕は、去年の函館の朝を思い出して、自然に笑顔になっていた。
『それじゃあ、まるで何とか青年の家だよ。それに、ここはラジオの電波も来ないからね~』
僕達は、初めて声を出して笑った。
群馬で迎える最初の朝。
僕は、タケシ先輩の沸かす電気ポットの音で目覚めた。
『おはようございます』
『おはようございます。昨夜はあまり眠れなかったみたいだね』
僕は、12時過ぎに蒲団に入ったものの、なかなか眠れなかったのだ。今までなら、起きて勉強を始める時間なのだから無理もない。
それでも、旅の疲れのせいか、外が明るくなり始めた頃には、何とか眠ることが出来たようだ。
時計を見ると、7時5分を指していた。
『ここはあまりに静かだから、逆に眠れないかも。最初の夜なんか、自分の吐く息しか聞こえなくて、恐かったよ。今は慣れたけどね』
僕は、ここで一ヶ月間過ごしたら、元の生活の時間に戻れるんじゃないかと考えていた。
『さあ、コーヒーどうぞ。飲んだら朝御飯だ。食べても食べなくても大丈夫。時間になったら下げられちゃうから』
タケシ先輩は笑った。
『僕はないけど、そうみたいだよ』
『時間が徹底してますね。食堂に貼り紙してあったし』
『学生村だからね。普通のホテルや民宿とは違う』
『なるほど、そういうシステムなんですね』
そう言いながらも、木々の間から覗く夏の青空を眺めていた。
夏の太陽はあっても、暑さとは全く無縁だ。
僕は、スウェットの上にカーディガンを羽織った。
『コーヒー美味しいです。温度が絶妙ですね』
タケシ先輩のコーヒーは、熱からず緩からず、その温度が舌に優しかった。
『わかる?秘訣はこれなんだ』
そう言うと、理科の実験で使うような水温を計る細長い棒状のものを僕に見せた。
『それで、湯温を計るんですか?』
『そう。外気温にもよるけど、85度がいろいろ試した結果ベストだね』
『85度ですか……』
『勿論、その温度で煎れるから、実際はもう少し低くなるけどね。それから、一杯より二杯分の方が美味しいんだよ』
僕は、朝からタケシ先輩の優しさと、コーヒーの温かさが身に染みた。
そして。その日から、僕の群馬での規則正しい生活が始まった。
タケシ先輩という強力な助っ人を得て。
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