Tさんのお父さんの案内したのは、小さな和風のお店でした。
馴染みらしく、カウンター内の店主らしき人に軽く挨拶をして、二人は、その隅に並んで座りました。
「おなか空いたでしょう? それともビールにしますか?」
その問いかけに私は、
「何でも結構です。」
「じゃあ、ビールを二つ。」
二人は乾杯もせず飲み始めました。お父さんは無言です。言葉を捜している様子もなく、淡々と飲んでいます。もともと口数の多いほうではないのでしょう。Tさんもそうでしたから。
二人が一気に二杯のグラスを開けた後に、お父さんが口を開きました。
「これなんですよ。この手帳の中に、あなたとの夏のことが書いてあったのです。」
かばんから黒の手帳を取り出しました。日記と言っていたので、何か特別なものかと思ったら、見覚えのある手帳でした。
Tさんが良く窓辺に腰掛けながら、書いている姿が思い出されました。
「良かったら見せていただけますか?」と、私。
「勿論、どうぞご覧になってください。」
お父さんが手渡してくれました。
7月25日(日)晴れ
相部屋のS君と恋愛について語り合った。というより、S君が好きな人との出会いから、その人の対する熱い思いを聞いた。
素晴らしい!感動して、S君の話に時間のたつのも忘れてしまった。僕より年下なのに、僕がまだ経験したことのない思いを、彼は既に経験している。S君は北海道への旅の途中の列車の中で、彼女と出会い、その後。遠距離恋愛を続けている。
最も感動したのは、彼が彼女に会うために、土曜の夜行で彼女の住む町へ行き、日曜の午前中4時間だけのデートをして、午後の列車に乗って帰ってくる話。
4時間のデートのために、往復14時間列車に乗るのだ。
さらに、夜が明けて、列車が彼女の町に近づく頃に、彼の喜びが頂点に達するところだ。
「もうすぐ、彼女に会える」
実際に彼女と会う前に、S君は、朝日を見ながら、会う以上の感動を覚えるらしいのだ。
すごい!自分もいつか、そんな恋愛をしてみたい…」
次のページも、その次のページも、細かく几帳面な文字で、私との夏の日々がつづられていました。私の時間は、完全に昨年の夏に戻っていました。