今年もあっという間にひと月過ぎて、早くも2月になってしまった。
その2月も3日になって、今日は節分。

実家の近くの橋のたもとにある早咲きの桜の木には、ふっくらと膨らんだたくさんの蕾が開花を待機しているのを見かけましたが、毎年1月から2月にかけてのこの時期が一番寒いと感じます。
そして、その寒さが身体に及ぼす影響を重く感じる今年です。
父の様子が思わしくない。
前回投稿した日のあたりから、調子が落ちている印象があり心配してたのですが、先週、夜間にひどい呼吸困難があり、それ以降、急に体調が崩れだしました。
検査のためなるべく早く入院するよう、かかりつけ医から勧められました。
検査は必要だと感じてはいる。けれど、入院したら、また足腰弱ってしまうだろうし、認知症状も悪化するかもしれない。どうすべきか…。
父の意見(検査はしてもいいけど、長いこと入院はしたくない)も聞きながら、妹と数日にわたって話し合い、入院やむなしと考えるに至りました。
先週末もヘルパーさんから「息が苦しいみたいなんですけど、どうしましょう」と電話がありました。急いでかけつけると、ヘルパーさんが「寒くなると、身体に響きやすいのよねぇ…」と。
なんでも、そのヘルパーさんが担当してるかたのうち、心不全で今現在入院している方がふたりもいるらしい。
歳を重ねていくと、身体の機能があちこち低下して、気温や湿度など気候の影響をより受けやすくなるってことを、あらためて痛感してます。
父だけじゃない。
考えてみれば、わたしが右腕のテニス肘を発症したのも寒さで血行不良がひどくなってることが影響しているのだろうし、昨年の今頃は突発性難聴になってた。
突発性難聴はストレスが大きな原因の一つでしょうけれども、寒さで血行が良くない状態だったことも発症の要因になっていたように思う。
父より30歳年下のわたしですらそんなふうに身体に響いているのだから、88歳の父に影響ないわけない。
右肩の検査が済んで、ホッとしたばかりだったのに…。
父には、できるかぎり自宅で何の気兼ねもなく自由に、食べたいものを食べて過ごしてほしいと思ってここまできました。
なるべく早めに退院して、家に帰って来られますように…。
一昨年(2024年)5月、今の住まいに引っ越しする際に酷使したことがキッカケで左ひじに発生したテニス肘。
ピラティス始めたり、斜めがけバッグをかける肩を変えてみたりと、いろいろ取り組んだことが功を奏したのか、その年の年末あたりには症状が軽減し、今ではもう痛みはほぼありません。
それとともに昨年末くらいには、左中指のばね指もほぼひっかかりを感じなくなり、ようやくスッキリしたわーとホッとしていたんですが、今年に入って今度は右ひじが痛み出しました。
先週・先々週と父の通院で、痛みをこらえつつ車椅子の上げ下ろしをしたのが響いたのか、先週後半には右腕全体が痛くなり、そのうち背中や腰まで痛みだし、なんだか身体の右側全体が具合が悪くなってきて、先週末は疲労困憊。
左のテニス肘になったとき、何するにも痛くて「利き腕ではないのに左腕ってこんなに使っていたのか!」と気づきましたが、利き腕の右腕は痛くても使わざるを得ないので、痛みを半ば無視して半月の間ガシガシと使いつづけた結果、しゃもじでご飯をよそうのすら痛くてできなくなり、歯磨きするのもひと苦労という状況に…(汗)
困り果て、「腕や手だけじゃなく、背中や腰まで痛いのはなんかおかしい。もしかしてテニス肘じゃなくて妙な病だったらまずいかも…医師に診てもらって検査してもらおう。」と思うに至り、今度はわたしが整形外科を受診することとなりました。はぁ…(しょんぼり)
検査・診察の結果、やはり上腕骨外側上顆炎…つまりテニス肘であるとのこと。
症状が進んで肩や肩甲骨のあたりの筋肉にまで影響が出ている状態で、炎症が落ち着いていけば、背中まで響いている痛みはなくなるだろうという話でした。

湿布薬が処方され、手のひらを外側に伸ばすストレッチを朝昼晩と行うよう指導を受けて診察は終了。とりあえず妙な別の病気ってことではなく予想通りのテニス肘ってことで、ホッとはしました。
更年期の影響なのか、ここ数年、筋肉の衰えを感じます。
それだけじゃなく、いままで肉体労働をあまりしてこなかった自分が、退職後に父の介護や家事労働をするようになって、そもそも身体がついていってないのかもしれない。
お風呂やサウナで身体が温まると痛みが軽減するところをみると、血行不良が発症の原因のひとつなのだろうとも思う。もともと冷え性だし。
そんなわけで、ひさびさお灸も再開して、棒灸で右手・右腕のツボを温めたりもしています。

これ、けっこう効果を感じていて、おかげでこうやってキーボードをたたいてブログを投稿できる程度には、なんとか回復しました(たぶん、湿布よりお灸の方が効いてる感覚がある)。
左のテニス肘の痛みがある程度おさまるのに半年、完全になくなるのには1年以上を要しました。右腕は利き腕だから、左よりもどうしても使わざるを得ない。痛みがとれるのにどれくらいかかるだろう?
自分の身体がしんどいと、父にやさしくできなくなりがちなので、ストレッチもお灸も継続してなるべく早めに回復したいものです。
年を跨いだ父の「脱臼かも→実は右肩腱板断裂」の診察&検査の病院通いが、今週で終わりました。
先週はMRIの検査、今週はその結果を聞きに行ったのですが、医師曰く父の右肩の腱板は「バッチバチに切れている」「今回の転倒でというよりも、もっと随分前(10数年前くらい?)から徐々に切れていたはず」とのことでした。高齢になると、筋肉の劣化できっかけもなく切れてしまうこともあるらしい。怖いですねぇ…自分も気をつけなくては。
肩の筋肉のさまざまな部位が切れて脂肪に変わっていて、MRI画像では脂肪になってしまった部分は白く写っていました。医師の説明を聞きながら、撮影された画像を見て(だいぶ脂肪に変わってしまっているんだなぁ…こんなに切れていて大丈夫なの?)って不思議に思いましたが、今月に入って父から「肩が痛い」という嘆きはなくなっていて、どうも痛みはひいた様子です。
不自由ながらも右手で文字を書くし、箸も使います。
先月の診察時に言われたのと同じく今回も、「痛みがなく、普段の生活に支障がなければ、年齢も年齢ですし、このままでいいでしょう」ということで診察は終了。毎週リハビリに来てくださる理学療法士の方に参考になればとMRIの画像のプリントを数枚出力してもらって持ち帰りました。
手術等のややこしいことがなくて済み、本当によかった。
この病院通いが終わるまで、新年明けてもなんとなーく気が休まりませんでしたが、やっとホッとしたし、スッキリしました。
父の症状が…というよりも「父を連れて病院に行く」という行為がしんどくて。
父にとって外階段の昇り降りはとても疲れるものですし、それを介助するわたしもかなり体力を消耗するんですよね。

加えまして、先月、近所の整形外科に行く際に、この↑ピンクのマークがあるタクシーは車椅子ごとタクシーに乗れる(&同乗者も1名乗れる)ことがわかって「これはいい!」と思い、病院の往復で合計8回(下記乗れなかった1回を含めると9回?)タクシー利用しましたが、車椅子ごとタクシーに乗せることに慣れていない運転手もいて、対応にハラハラすることも多かったです(乗車8回のうち半分くらいハラハラした…同乗者の座席をセットしてくれなくて、立ち乗りしたことも←面白体験)。
タクシー配車アプリを使って呼んだタクシーの運転手さんが、車椅子ごと乗せるためのセッティングに時間がかかってメーターがダウンしてしまい「すみません、乗せられません。他のタクシーに乗ってください。」って放り出されたこともありました。帰りのタクシーだったからよかったですけど、これが、診察予約時刻までに行かなければならない往路のタクシーだったら…と思うとゾッとしました。
以後、行きのタクシーでセッティングに時間がかかっている場合は、GOアプリの画面を確認し、危なくなってきたら運転手さんに「先にメーター作動させてください」ってお願いするようにしました(予約時刻に間に合わない方が厄介ですから)。
乗車8回のうち、一度だけ、とびきりスマートな対応をしてくださった運転手さんがいまして(女性でした)、その方のタクシーの行燈は金色のNのマークでした。

あとで知りましたが、それは日本交通の「選抜されたゴールド乗務員によって運行されるゴールドタクシー」というものだそうな。ホント、安心感があって快適に乗れました。
日本交通、幸運のタクシーとか、いろいろあるんですね。
今年は、なぜだか年明けから立て続けに神社に行った投稿が3回連続になってますが、今の住まいに引っ越してきてから一度ごあいさつに行かねばと思っていた洲崎神社に、先日お参りしてきました。
実家と今の住まいは1キロも離れていない同じ地域で(洲崎神社の氏子地域ではないが)、洲崎神社は割と近くにあり子供の頃からお見かけはしていたし、まぁまぁ大きめの神社なのに、境内に入ったのは今回がはじめてです。
富岡八幡宮の存在が大きいからなのか、なんだかよくわからないけども、なんで今までお参りしてこなかったんだろう?
お風呂がわりにと入会した近所のフィットネスクラブ(洲崎神社の氏子地域)に日々通うようになり、しょっちゅう道の向こうにある鳥居を見かけ、洲崎神社の夏祭りになどにも遭遇したりするうちに「一度はごあいさつに行った方がいいかも」と思うようになり、ここに引っ越してきてから2年くらい経ってようやくの参拝。
一昨年、区民講座で地元の歴史について学んだりしたんですけれども、今は埋め立てまくって南側にたくさんの土地ができてますが、江戸時代にはこの洲崎神社のあったあたりは海辺で、富岡八幡宮も含めたこのあたりは風光明媚な江戸の観光地であったらしい。

御由緒にも「浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。」と書かれていました。
洲崎神社と呼ばれるようになったのは明治になってからで、それまでは洲﨑弁天社であったそうです。それなんで、紋は昨年お参りに行った江島神社と同じ、波に囲まれた三つ鱗です。
お参りしたあと、御朱印いただきに社務所へ。
「書き置きの御朱印になります」ってことだったんですけれど、在庫がきれていて「御朱印帳お持ちでしたら直書きしますよ」と言っていただき、直書きの御朱印をいただけました♪
「玉の輿たまちゃん」というのは、こちらの神社は徳川綱吉の生母の桂昌院にゆかりがあるそうで、桂昌院をキャラクター化したもののようです。境内に急に今ふうのキャラクターが祀られてるので、ちょっとびっくりしました(笑)
桂昌院さんは、もとは「お玉」という名で、京都の八百屋の娘から武士の養女になり、そのあと公家出身の尼僧の侍女、さらに将軍の側室になって立身出世。そこから「玉の輿」という言葉がうまれたということみたい。「玉の輿」の由来、はじめて知りました。
こちらの神社、参拝したらいい気分で、繰り返しになっちゃいますけれど「なんでいままでお参りしてこなかったんだろ?」って不思議に思いました。
実家ではこれまでお正月飾りをすることがなかったのですが、今年は松を飾ってみました。
(輪飾りがひとつ余ったので、わたしの自宅のドアにも)
しかし、やってこなかったことを急にしたもんだから、松の内があけた後、お正月飾りをどう処分したらいいのかがわからない。なんだかゴミとして捨てるのは気がひける…八幡様のお焚き上げには持っていけなさそうな気がするし、どーするもんなの?と思ってネットで調べてみたところ、「どんど焼きでお焚き上げするといい」と記載がありました。
どんど焼きって、近くでやってるところあるの?
…と調べてみたら、浅草橋の鳥越神社で毎年の行事として行われていることがわかったので、出向いてみました。なお、鳥越神社では「とんど焼き」と言うようです。

行事は1月8日の13時に行われ、お焚き上げするものの納所は1月5日から8日午前中まで設置されているとのことで、木曜日は午前中はピラティスのレッスンがあるので、朝、レッスン前にお正月飾りを納めに行きました(もうすでにどんどこ燃やしてました)。
そして、レッスンが終わったあと、とんど焼きを見物しに再び鳥越神社へ。
ピラティスのあと、のんびり風呂に入ってたらば電車に乗るのが遅くなって、神社に到着したのは13時過ぎ。
すでに人だかりができてて後ろのほうから見物するも、(アナウンスは聞こえて、何が行われているかはわかるものの)ちびすけのわたしには何が行われているのか全く見えませんでしたが、しばらくすると向こうに炎が見えました。

そのうち、ちょっと見物して外す方がちらほらいて、前の方にすすむことができました。

「とーんど、とーんど」という声がかかって、子供が炎の周囲を竹竿を持って回っていました。竿の先には針金にくくられた餅がぶら下がっていて、炎の中に差し入れて炙り、回り終わったら餅を針金から外してもらって食べる。子どもが回り終わったら、大人も餅を炙ることができるとのことで、わたしも参加してみました。楽しい。

お餅は、もともと柔らかいので、炎の中に差し入れて、ちょこっと焦げと煙の香りがつけば大丈夫。美味しくいただきました。

こんな大きな炎を見るのは、だいぶ久しぶり。
盛大に燃え上がる炎を見ていたら、なんだかスッキリとしてこころが軽くなったような。
来年も参加しようかしら。
本年も、年が変わって2日目に初投稿です。
わたしの感覚では、いまの住まいの屋上で、はじめて初日の出を拝んだのが1年も前のこととは思えないくらい「ついこの間」のような気がするんですが、その屋上で2度目の初日の出を拝みました。
…といっても、今年の元旦の空は雲が多め。

国立天文台サイトに出てた日の出時刻6時51分から15分以上経った令和8年1月1日7時9分に、スキマから一瞬、太陽のお顔をお見かけすることができました。
そのあと実家に赴き、父と新年の挨拶を交わし、お雑煮づくり。

父のお昼寝タイムにあわせて、初詣と昨年のお札を納めに富岡八幡宮へ。
午年だからか、馬神の前で写真撮ってる人をちらほらお見かけしましたね。

今年はお守りをいただいて、おみくじも引きました。
実家に戻り、今週は訪問入浴が年末年始のお休みなので、洗面器をテーブルに置いて父の洗髪をしたら、あっという間に2時間経ってた。
昨年は脱水症になり体調ふるわず、おせち料理を満足に作れませんでしたが、今年はいつものように手作りできたし、
今年1度だけの、宿泊を伴う旅。
その日のうちに16時までに実家に到着できるように帰らなきゃ!って急がなくてもいい。
1日目にホテルにチェックインしたあと、部屋に荷物を置き、身軽になって再び静岡の街をお散歩してみました。
この1年間、夜はほぼ毎日実家で父と過ごしてきたので、夜に出かけることは片手で数えるほどしかありませんでした。夜にひとりで繁華街をぶらぶらと歩くっていう、なんてことないことができる時間が今はすごく嬉しい。
まずは土地柄が色濃い商品がないかなと思って、スーパーマーケットに入ってみたんですが、案外と東京と売っているものが変わりなくて空振り。
ならばと静岡伊勢丹まで歩き、お土産になりそうなものはないかと物色し、焼津の佃煮店のマグロの佃煮が美味しそうだったので、お土産に買いました。

(これはアタリだった。美味しい!東京で買えるとこないかしら…)
伊勢丹を出ると17時を過ぎていて、お腹が空いたので近くにあった「戸隠そば」という蕎麦屋に入りました。

お蕎麦の上に大根おろしと海苔と他の具材をのっけた「磯おろし」というのが看板メニューのようで、海老・イカ・魚の天ぷらののったミックス磯おろしを注文。

お魚の天ぷらが「メニューに記載のキスではなくて、太刀魚になりますが…」ってことでしたが、太刀魚の天ぷら、美味しかったーー。
天ぷらもお蕎麦も大好物なわたしにぴったりの一品でした。
次回、静岡に来る機会があったら、また食べに行きたいわ。
ひとりで晩御飯食べるのも久しぶりで…嬉しかった。
よく「誰かと一緒に食べる方が食事は美味しい」って聞くけれども、必ずしもそうとはいいきれないのでは?と思う。
もちろん、誰かと「美味しいねぇー」って共感し、語り合いながらの食事もいい。
けれど、わたしは、ひとりで自分のペースで楽しむ食事の時間も好き。
ひとりで美味しさを、じわーっと噛みしめました。
翌日は駿府城公園を散策しましたが、行く途中でクラシックな建物に遭遇。
市役所と県庁の建物でした。

静岡市庁舎

静岡県庁
こういう建物が残ってるのって、いいですねー。
東京は最近、名建築だろうがなんだろうが壊して今どき風のビルにしてしまったり、外側だけは残してあるけど…みたいな建物になってく傾向を感じ、寂しい限りなので、こういう古い建物がしっかり利用されて残っているのはいいなぁ…と思った(ま、昭和の名建築は、どの地域でも容赦なく壊すのかもだけど)。
駿府城公園では、駿府城跡天守台発掘調査をしている最中で、発掘現場を見学することができました。

戦国時代末期の石垣と江戸時代に入ってからの石垣を比較できたりして面白かった。この現場は、今でしか見ることできないと思うので、いい体験できたなって思いました。
出発前のお昼には、また、駅のショッピング街の「きみくら茶寮」でお茶漬けを食べました。

セットでついていた煎茶が、またしても、とーーーっても美味しかった!
新茶の時期に摘んだ茶葉を自然の貯蔵庫で熟成させた秘壷蔵というお茶でした。

ここ数ヶ月、カフェインの取り過ぎに注意してお茶飲む量を控えめにしているんだけど、こちらのお茶はホント美味しいから、「旅先だし、いいか」って思って、三煎まで楽しみました。
はーーしあわせ。
あともう1日くらいあったらば、登呂遺跡や芹沢銈介美術館あたりにも行ってみたいなーなんてことも思いましたが、1年の締めくくりの12月に、そもそも諦めてた宿泊を伴う旅を実現できただけで、今は充分ありがたい。
お天気も上々で、とってもいい時間を過ごせました。
父はデイサービスもショートステイも嫌い。
でもって、ショートステイは一昨年試してもらったけど父には合わないと思い知って、わたし自身がショートステイさせたことを心底悔やんだ。ですので、父はデイもショートもしなくていい…とわたしも思っています。よって、介護者を休ませるためのレスパイトケアの類の支援はのぞめません。
ゆえに同居はせずに通い介護にしているし、わたしのほうでときどきこうやって動いて、自分を休ませているという感じなんですけれども、1泊だけでも東京から遠いところで過ごしたのは、ものすごくリフレッシュになりました。
物理的な距離をとるって、思った以上に効果があったと思う…大事なことなんだなぁ。
そろそろ、来年にきりかわる時刻。
来年も、こうやって適宜自分を休ませたり喜びや楽しみを注ぎ、穏やかに暮らしていこうと思います。みなさまにとりましても、来年が穏やかでよい年となりますよう。

宿泊したのは、静岡駅の南口側にあるホテルグランヒルズ静岡。

ここ数年、東海道新幹線で移動する旅では「EX旅パック」で予約することが多く、今回の旅もそちらを利用しました。

ダブルルームのシングルユース、高層階で南側のお部屋の眺望がよかったです。
遠くに駿河湾。久しぶりの広い空と水平線。気分いい。

これは日の出が見られるかも…?と思い、翌日は早起きしようと決めました。
こちらは、街を散策して戻ってきた時の夜の眺め。夜景もうつくしかった。

そして日の出を拝むべく、早めに就寝しました。
翌朝、無事、早起きできて、朝焼けの街を眺めながら待機。

雲の位置や空の色に反応してるのか、海の色が刻々と変化していくのに見とれました。

そして、6時51分、伊豆半島のほうに太陽がちょこんと顔を出しました。

太陽が眩しい。そして神々しい。

太陽があがりきったあとは見事な光芒も目にすることができました。

雲ひとつない空もいいけれど、雲があるとこういう神秘的な空を見られるのがいい。感動。
1日目はうつくしいキモノで眼福。
2日目は、幻想的な夜明けの空で眼福。
うつくしいものをたくさん見られて、しあわせ感ひとしお。泊まりの旅にした甲斐あり。
宿をここのホテルにしてよかったなぁ〜〜って思いました。
(つづく)
今月は思いもよらず、父の「脱臼ではないか?」事件が起きて、頭の中で計画していた月後半の段取りが総崩れ。あっという間に大晦日にになってしまった(汗)。
そんなわけで投稿しそびれていましたが、今月の中旬に再び静岡市美術館へ行ってきました。
今年中に記録を残さねばってことで、投稿します(連投!)。
5月の時とは違って、今回は妹に夕食だけでなく翌朝・昼の食事の支度をお願いして、日帰りではなく1泊旅行にしました。
年に1回くらい、日帰りじゃない旅をしてもバチはあたるまい…と思って。
(快く父のお世話代行を引き受けてくれた妹には、今回も感謝です)

お天気よく、今回は新幹線から富士山を見ることができました。
前回は滞在時間約4時間で、美術館と駅のショッピング街でお茶飲んで帰るだけでしたが、1泊したので時間に幾分か余裕もあり、ちょっぴりですが街の散策ができました。
とはいえ、旅の主目的は美術館。

12月21日まで開催されていた、千總という京友禅の老舗の所蔵品をメインに展示する「きもののヒミツ 友禅のうまれるところ―京都 千總コレクションを中心に」という展覧会を鑑賞しました。
全てが写真撮影不可だったので、展示の様子はここには載せられないんですけれども(様子はこちらで)、江戸時代から現代までの素晴らしいキモノがたくさん。キモノだけじゃなくて、江戸時代のキモノの柄の見本帳である雛形であるとか、明治以降は日本画家にキモノの下絵を発注するようになったとのことで、その絵の展示などもあり、それぞれ見応えありました。
華やかな友禅のキモノって、自分ではほとんど着ることはないけれど、見るのは好き。
こういう美術館での展示は、きものの展示販売会と違って、ノンプレッシャーでこころゆくまで鑑賞できるのがこころ安らかでありがたいです。特に今回は「急いで帰らねば!」という時間制限のプレッシャーもなかったので、もう、それこそ、穏やかな心持ちでゆーっくり作品を堪能できました。
訪れていたキモノ姿の方々の装いを見るのも、楽しかったです!

開館時間10時に入館して、美術館出たのが14時ちょっと前。
宿泊するホテルにチェックインするため、静岡駅の南口へ向かいました。
(つづく)
2ヶ月くらい前に刺し子にハマりそうと投稿しましたが、まんまとハマっています。

サクッとすぐできて達成感があるコースターをいくつか作っているうちに、だんだんと、既成の印のついた布に刺すキットだけじゃ飽き足らなくなってきました。
「ああいうのも、刺し子で柄つくったらいいかも?」「こんなものを作ったら、毎日の家事が気分よくなるんじゃないか?」と、どんどこイメージが降ってくる。
降ってくるイメージの質量と、自分の現時点での力量や割ける時間が乖離していて、現実に生み出すペースがノロノロとしていますが、コツコツとつくり続けてます。

鋳物ホーロー鍋用の鍋つかみであるとか、

コースターキットのハギレを使って、ブックマーク作ってみたり。

作って終わりじゃなくて完成したら日々使って、暮らしの彩りになる刺し子は、わたしの気持ちにしっくり馴染む。
そして、現在は「刺し子柄のボレロを作ってみよう!」と、大物に取り組んでおります。
ふきんやコースターなどの小物から、いきなり服づくり。

妹から無期限貸与してもらってるミシンも、しまってあったクローゼットから出しました。
なんだか、ワクワクしてきてます。
今月は刺し子にかける時間がなかなかとれず、すすみは悪いんですけれども、まぁ、自分の心地よいペースでやっていこうと思ってます。





