ワタシノクラシ ANNEX

ワタシノクラシ ANNEX

The Tokyoite returned from Kansai to Tokyo.

暦を見ますと、本日令和8年4月19日は、太陽太陰暦…いわゆる旧暦では3月3日。

それに気づいたので、昨日、実家の元自室だった和室の天袋に長ーいことしまいっぱなしだった雛人形を出して飾ってみました。


たぶん…天袋から取り出して飾ったのは、2〜30年ぶりのことだと思います。
全ての人形を飾るための大きなガラスケースがあるのですが、2〜30年前にガラスを割ってしまって使うことができません。
ですので、三人官女、五人囃子、左右大臣は並べきれないので、お雛さまとお内裏さまのみ。

数十年ぶりなので、状態がどうなっているのか心配でしたが、きれいなまま箱におさまっていてくれました。箱に入っていた樟脳の袋は空になってましたが、人形に使用されている布が絹であるからか、わたしが子供だった頃の艶と輝きが変わりなく維持されてて、ちょっと感動。

キモノを着るようになってから、絹は虫の被害にあいにくい素材だと知りましたが、ホントなんですねぇ。

ずいぶんと久しぶりに飾りましたが、2体だけでもなにか部屋が華やかで晴れやかな気分になり、いいものだなぁ…とあらためて思いました。父も「いいねぇ…これは。」と嬉しそう。

昨年、区民講座の天文学入門を受講して太陽太陰暦についていろいろ知り、以降、より一層旧暦を意識しながら日々過ごすようになりましたが、桃の節句も旧暦の時期のほうがしっくりくる気がします。本来、桃の花が咲く時期というのは、だいたい今の時期らしいですから(3月初めに売ってるハナモモは促成栽培なのかしら?)。

そんなわけで「ギリ売ってたらお雛さまを眺めつつ、桜道明寺を食べたいな」と、平野の伊勢屋へ行ってみたら、残念ながら端午の節句モードになってた。とほほ。
ついこないだまで、桜道明寺売ってた気がするのに。

しょーがない。お雛さま眺めながら、柏餅をいただきました(苦笑)

旧暦にあわせてお菓子を作ってくれる、奇特な和菓子屋さんはないものか。

なお、端午の節句のお菓子が柏餅なのも、柏の新芽が出るのが旧暦の5月頃だからであるようです(今年の旧暦5月5日は、新暦の6月19日)。

そういえば、菖蒲の花(ガマの穂みたいなもの)が咲くのも5月〜6月くらいではないかしら。花が咲く前に葉を切るわけなさそうだから、やはり旧暦にあわせた行事なんだと気づきます。

現代の日本の節句は、日付の数字と本来の季節や星の巡りがなんともチグハグなことになっていて、本来の意義を感じにくくなっているかもしれませんねぇ…。

父の通い介護生活も丸3年が経過。

まだ、父がそんなに認知機能が低下していない時期から、だんだんになんだかよくわからないことが出てきている最近まで、慣れないなりになんとかかんとかここまできました。

 

最初のうちはしんどいと感じていたことも、徐々に慣れてきたり、諦めがついて平常心でいられるようになってきたり、父の生命の危機みたいなものを強烈に感じる経験を2度経てからは、今までより多くのことを寛容に受けとめられるようになってきつつあるような気がしてます。

 

…が、どうにも慣れぬことが。

父からの電話の嵐です。

 

まだ認知機能がそれほど低下していない頃から、父からとてつもなく電話がかかってきて悩んでいました。

当時はわたしだけではなく、妹にもかけまくっていた。体調が思わしくなくて今にもどうにかなりそうな感じで電話をかけてくるので、心配してかけつけると、具合悪そうでもなんでもない。寂しくて、人を呼び出すために大袈裟に心配させる電話をかけてくるのです。
わたしはまだいい。当時は自転車で15〜20分はかかったけど、その程度で済む距離だから。
妹は心配で取るものもとりあえず、隣県から電車に乗り時間をかけて駆けつける。
けど、行ってみると父はケロッとして、わたしや妹が来たのを喜んでいる。こんなことを何度も繰り返しているうちに、だんだんと、父からの電話を真剣に聞くことが難しくなっていきました。

まだしっかりしてたころは、わたしや妹が電話に出ないとなると、なんとかして人を呼び寄せようと、ご近所の方々や訪問診療の医師に「もうダメだ」と電話をかけたり、老人会のお友達に電話して食事を作らせたり、注文した寿司を取りに行かせたりすることもあって、当時心底困り果てていました(この頃、父は自分でご飯を炊き、朝昼はわたしの作った作り置きのおかずで食事をしていた)。

 

認知機能が低下してきた今は、複数の電話番号を扱えなくなり、電話のターゲットはほぼわたしのみ。

しかも、ここ1年くらいは電話とテレビのリモコンの区別がつかない日が多く、リモコンを手に「もしもし…あれ?電話壊れちゃったのかなぁ?」とやることが増えました。その様を見るのはうすら寂しい気分ではありつつも、電話がかかってこない&ほかの方へのご迷惑もかけることがないわけで、ほっと胸を撫で下ろす安定の日々が増え、比較的穏やかに暮らすことができておりました。

ところが!
先週末あたりから、突然なにかのスイッチが入ったか?急に電話機による父からの電話が復活(右画像は昨日の午後の着信履歴の一部)。

しかも、先月後半あたりから、朝と夜の時間感覚がバグることが増えていて、早朝5時やら6時頃に父からの「夕飯はどうなってるんだ?」電話で起こされることが頻発。

 

そして、そんな日が積み重なり睡眠不足が高じていたからか、今朝は眠りが深かったようで父の早朝の電話に気づけず、6時半頃目が覚めてスマホを見たら、以前ヘルパーをしてくださってたご近所さんから「朝5時くらいからずっと電話がかかってきている」とショートメッセージが入っていてギョッとしました。
わたしにもとんでもない回数の着信履歴が残っていた…。

ご近所さん、心配になって6時頃に父の様子を見に行ってくださったらしく、久しぶりに「やらかしてしまった…」と凹みました。


急いで実家に向かい7時頃に到着すると、ご近所さんになだめてもらって安心したのか、わたしが来たことにも気づかないくらい父はぐっすり眠っておりました。

朝昼はヘルパーがいらっしゃるので、そのままそおっと自宅に戻り、午後にあらためて実家へ行くと、父はご近所さんにご迷惑をおかけしたことは自覚していて、じんわりと落ち込んでいた。
で、わたしは近くの魚久で粕漬けを買い、ご近所さんにお詫びと感謝をお伝えにいきました。
あー、こういうのも久々です。ぐすん。

テレビのリモコンを電話機と間違う状況から、きちんと電話機を電話機と認識して電話できるようになったのは、いいことなんだとは思う。でも、電話魔の復活は…困る。
見ていて悲しい気分にはなるけれど、いま一度テレビのリモコンで電話かけるようになってもらえないものか…ああ、複雑(涙)。


今月に入って近所の桜も満開になり、例年通り花粉症の諸症状がグッと軽くなりました。

先月までのつらかったさまざまな症状がひとつひとつ解消していくとともに、暖かくなってきたのもあってか、右テニス肘の痛みが少しずつ和らいできています。2月頭くらいから右腕が痛すぎて、帯をぎゅっと締めることは無理だろうと、キモノを着ようって気に全くなれなかったんですけれども、先月末、試しに着てみたら、痛いには痛いけど帯を締められるくらいには腕が回復しているのを実感しました。

そして、鏡に映る自らの着姿を久しぶりにまじまじと確認したら、髪が中途半端な長さに伸び毛先が乱れてボッサボサ…。我ながら、だらしないな…と情けなくなりました。

もともと1月末に髪を切りに行こうと思っていたんだけど、1月後半から父の体調が落ちてそれどこでなくなってここまで切らすじまい。伸びてるなーとは思っていたのだけど、洋服着てる分にはそれほど気にならなかったので放ったらかしにしてました…。
そもそも、1月末あたりから2〜3種類の同じ服をローテーションで着るような毎日になってて、身なりにあまり気を使っていなかったようにも思う(会社員時代の頃を思うと考えられない事態)。

そういえば、この2ヶ月くらいほぼ江東区から出ない生活を…というか、行動範囲がものすごく狭かったかも。

これまた先月後半、久しぶりに門前仲町に出たら、伊勢屋本店が建て替えで解体工事用の囲いに包まれて隠れてしまってたのを見て「ええっ?いつのまに〜〜?」って、びっくりしましたし…(いつからこうなったんだろか…?伊勢屋は平野ばかり行ってたから気づかなかった…)。

ま、そんなわけで、このようにキモノの衿に被るような中途半端な長さになってる髪を本日切りに行ってきました。


ちょうどいい長さに切ってもらいたかったので、キモノ着て美容院に。

やはり、キモノには衿にかからないショートヘアがいいです。

振り返れば、昨年末あたりから父の体調関連で余裕のない毎日が続いていて、体調からなにからいろいろ荒んでいたなぁと思う。ちょっと鬱っぽくなっていたような気もする(2〜3月は誰にも会いたくない…みたいな状態に陥ってたし…)。

ようやっと、気力が浮上してきたのかもしれません。
とはいえ、急にあれこれ動いて燃料切れしないよう、気をつけようとも思います。

ま、とにかく、髪切って、なんかスッキリしました!

 

今年1月からNHKBSで放送してたドラマ「京都人の密かな愉しみ Rouge-継承-」が先月で終わってしまい、若干ロス気味です。

「京都人の密かな愉しみ」のシリーズは、10年前くらいに放送してた1作目から好きで、あまりに好きすぎて、初回シリーズはDVDを買ってしまったほど。

続編が放送になるというのを昨年晩秋に知り、放送を楽しみに待っていて、今回のシリーズも待ってた甲斐のあるいい作品でした。
特に先月はいろいろしんどかったので、日曜日の夜に予約録画しといたのを、月曜の朝に見るのが何よりの癒しタイムになってました。
あー、身軽な状況であれば、ロケ地巡りがしたい。

1作目を見てた当時は、まだキモノと触れ合う前だったので、主人公の和菓子屋の若女将を演じる常盤貴子さんをはじめとした登場人物の和服姿にはそれほど着目していなかったんだけれども、今回は出演者のみなさんのキモノの着こなしやコーディネートに関心を寄せながらの視聴となりました。

テーマが「老舗の継承」。
主人公が継承を志す老舗和菓子屋だけでなく、他の登場人物の継承問題も同時進行で、その中のひとつに呉服屋さんの継承問題も描かれていて、そこの女将役の名取裕子さんが特に印象に残った。さすがと思った。キモノの着こなしもステキだったし…(ご自分のお着物をお召しになっていたらしい)。嘉譽子(名取裕子さんの演じる役名)登場シーンに録画のチャプターマークつけまくって、何度もリピート。

わたしの自宅のテレビは画面が小さいので、大きな画面でキモノのチェックしたくて、ブルーレイディスクに焼いて実家の大きなテレビで見たりもしました。

それにしても今回のドラマは、これまでのシリーズの内容を覚えていればいるほど、より楽しめるようになってた気がする(ラストの東雲先生の妻の写真とかびっくりしたし)。
ですんで、放送見ながら、「えーーっと、前どんなんだったんだっけ?」って思うことがポツポツあり、今回のドラマと並行して、DVDで初回シリーズのおさらいもぼちぼちしておりました(「Blue 修業中」はDVD持ってないので、再放送してほしいなぁ)。

で、こないだ、今回の最終回を見終わったあとに、初回シリーズの最終話のDVDを見たんですが…。

三八子(常盤貴子)が長年想い続けた驍(石丸幹二)さんと再会し、嫁いでパリへ行くことになる前に、茂さん(和菓子店職人頭)が、驍さんの妻が7年前に亡くなっていたことを鶴子さん(三八子の母親)に伝えるシーン。


鶴子さん:7年前?それ、本当のことどすか?
茂さん :へえ。子宮がんやったそうどす。
鶴子さん:三八子は、そのこと知ってるんやろか。

茂さん :七回忌が終わるまでは、身内以外には言わんつもりやったと。

鶴子さん:お子さんは?

茂さん :いてまへん。


ん?「いてまへん?」…子供いない?

えーーーっ?
まさかの設定変更?
(今回シリーズは、驍の前妻との娘、三八子にとって義理の娘である洛が主人公なのだ)

 

驍さんまわりの設定は子供以外にもDVD見ながら、ちらちらと「ん?」となってたのだけど、なんと!最後にそんな…たまげた。


今回のドラマ始まる前の昨年12月に、初回シリーズの再放送をしていたと思うけど、このあたり、どーなってたのかしら?
「DVDあるし、再放送は見なくていいや」って、録画しなかったけど…見ておけばよかった。まさか、子供がいないってのをそのまま放送するわけなかろうし、どんなふうに加工・アレンジしてあったのだろう。

録画しとけばよかったわぁ〜〜。
驍さんのパリの店は、どういう設定になってたのかしら?

…と、びっくりしたけれど、今回の「Rouge-継承-」のシリーズも、期待通りのとても良いいドラマだったから、ぜひぜひ続編も見たい!
(あの感じだと、きっと続編あるに違いない)

父が退院した2月21日から、1ヶ月以上が経過しました。

無茶苦茶元気になったということではないけれども、入院前の1月下旬から2月初旬の状況と比較したら、こんなに回復するんだ!と思うくらい、父は食欲も戻ったし、トイレでの立ったり座ったりもできるように戻りました。

退院後の念願の寿司も、往診の医師から「食べすぎなければね」とOKが出て、ここまで3回ほど食べ、父、毎回満面の笑みでした(そして、毎回食べすぎてる気がする…笑)。

 

一方、わたしはといえば…。
身体の調子が落ちまくって、クッタクタでした。
父の入院中から予兆はあって2月の中旬くらいから体調不良になり出してたんですよね。
その状態で父の介護が再開して更に身体に負担がかかったのか、ぎっくり腰になってしまい、もともと1月から発症してた右のテニス肘とあわさって身体中が痛くなり、加えて何か食べたあとに背中が痛くなるようにもなって、ぎっくり腰やテニス肘が原因?それとも内臓に病気?と不安が募り…それで気持ちが落ち込み…どぼーんと悪循環。
加えて花粉症もはじまって、もう踏んだり蹴ったり。
しばらく、父のお世話するのが精一杯みたいな日々が続きました。

そんな体調不安の中、テレビ見てたらイランの最高指導者が死亡っていうニュース速報が流れてきて(死亡ってなによ?殺害されたってことじゃないの?ってニュース速報見たときにはかなりモヤついた)、妙な戦争のニュースが連日続き、さらになんだか気が滅入ってしまって。

いけませんねぇ…。

そんなこんなで心身ダダ下がりの中、「最低限しなければならないことはやるけど、それ以上は無理しない」と決めて、なんとか日々しのいでいたら春分が過ぎ、母のお彼岸の法要も終わり…なんと1週間後は4月…!


ぎっくり腰は回復しました。
心配だった背中の痛みもほぼ無くなってきました。
先月からの胃痛が治まっていくとともに、背中もラクになってきたので胃痛が原因だった気がしてます(会社員だった頃、胃痛が極まるとよく背中も痛くなってたっけ…と思い出しました)。

残るはテニス肘なのですが…。これは、まだまだかかりそう。仕方ない。

花粉症も父が退院したあたりからはじまってたけど、東京の桜の開花宣言が先週19日にありましたから、満開になれば花粉の症状は近いうち治まっていくでしょう。

わたしの住まい付近の桜はまだおおよそ待機状態のようですが…満開は来週ですかねぇ?

そんなわけで、キーボードを小一時間たたけるくらいにはテニス肘が治まり、やっとブログの投稿をする気力と体力が少し戻ってまいりました。

父のことでそんなに無理してたつもりはなかったんだけど、やっぱり無理してたようです。

そして、一昨年の入退院の時のこともふりかえり、「父が亡くなるかもしれない」という事態に遭遇すると、思った以上にわたしは精神的な打撃を受けるんだな…と自覚しました。

それでも、らせん階段を上がるように少しずつ、覚悟を重ね、経験を積んでゆけているのではないか?とも思う。

問題は、自分も歳を重ねて筋肉や体力などが少しずつ落ちていっていることかしら。

どうも、50代初めの頃の自分のイメージで動きがちなんだけど、それやってると、身体が追いつかなくて、あちこち調子が悪くなる感じ。
今の自分と、うまく付き合う術を会得していきたいものです。

先週の土曜日2月21日、父は入院していた病院から退院し、実家に戻りました。

日中、眠そうなのは入院中と同じではありますが、病院にいた時はロレツが回らないような話し方だったのが、だんだんに元に戻りつつあり、退院してすぐの2〜3日はヨレヨレでトイレで便座に座るのもひと苦労でしたが、木曜日くらいからトイレの移動も以前のようにしっかりできるようになってきました。

…やっぱり、入院中に投与されていた鎮静剤などの影響がそれなりにあったのかもしれない。

入院中、父は

「退院したら、寿司が食べたい!」

と言っていたので、家に戻って最初の食事は寿司と約束していたのですが、退院時に「生ものは少し様子をみてからにしたほうが…」というご意見をいただいてしまい、今のところ、寿司はお預け状態。
ならば、他に何が食べたいかと聞いたらば、「伊勢屋で売ってるものが食べたい」と言うことだったので、退院した日のお昼は、伊勢屋で団子やおいなりさんなど適当に見繕って買ってきました。

包み開けるやいなや、おいなりさんを手にとり美味しそうに頬張り、焼き団子は食べやすいよう串から外すと、一粒ずつ甘辛いタレをからませて次々に食べ、赤飯にぎりを別途作った味噌汁とともに食べ、その後、果物を食べたあと、桜道明寺もぺろりと食べました(塩大福は次の日のおやつになった)。
 

甘いもの、とりすぎかもだけど、「食べたいもん食べたらいいよ…」と思ってます。

入院する前は食欲の減退がひどく、特に好物であっても肉料理は残しがちでしたが、退院した次の日には、大好きな王将の餃子5つを美味しそうに食べたので、入院して治療した甲斐はあったのだな…と確信しました。

2週間弱の入院では、ひたすら検査検査の毎日で父も大変そうでしたが、大学病院で、かかりつけのお医者さまと専門医のお医者さまが連携し、いろいろと手を尽くしてくださったことで、入院前の状況よりも父の寿命を延ばしてもらえたように感じます。これはもう、ほんとうにお医者さまと医療スタッフの方々に感謝の思いでいっぱいです。

そして、父が退院してからはタイミングよく気候も暖かくなってきているので、寒さをあまり感じずに過ごせているのもありがたい(わたしは花粉症が一気に発症して、とほほな感じですけど…)。入院前、蕾だった早咲きの桜は、いま満開です。


訪問入浴を拒否したり、時にヘルパーさんに「食事をしたくない」とゴネたりと、不安定要素はもちろんあるのですが、訪問看護の看護師さん曰く「2週間くらいゆっくり時間かけて戻していきましょう」とのことで、日々なるべく穏やかに、好きなものを無理ない程度に好きなだけ食べて、話したいこと話して、歌って、生ききってほしいな…と思っています。

今日の午前中、医師より電話があり、父の退院が決まりました。
明日の土曜日の朝、退院。介護タクシーで家に戻ります。

2週間弱の入院生活で、やっぱり足腰弱ってしまいました。

とはいえ、とりあえず入院のきっかけだった、息苦しさからは解放されているのは見てとれる。検査で問題になっていた数値や症状については、軽減・改善していると説明を受けました。

目を瞑ってウトウトしてばかりいるのは、鎮静剤やその他の薬剤の影響もあるかも…とのことですが、うーん…どうなんだろうか。
ただ、ここ数日夕食時刻を狙って面会に行ったら、食欲はきちんとあることはわかったので、その点ではホッとしています。


この夜景も今晩まで(この写真は前日2月19日のもの)。

一昨年の8月、父が意識を失って救急車で運ばれHCUで面会謝絶で入院した際には、般若心経について学んだり、いろいろな本を読み、自分なりに考えて考えて様々な覚悟を、心構えをしたつもりになっていましたが、今回、まだまだ覚悟、足りてなかったな…って、実感してます。

まぁ、そんなものなんだろうけど。

一昨年の入院中の父と今回とでは、全く様子が違う。
毎日の面会の度に、覚悟を重ねる2週間でした。

明日以降、さらに覚悟を積み重ねていく日々になると思う。

今はとにかく、父が家に戻ってからも、苦しくなく穏やかに過ごせるよう、わたしにできることをしていきたい。

わたしが疲弊しきってしてしまわないよう、気をつけながら。

先週の今日、2月9日に父は検査のため入院しました。

(病室からの眺め)

検査のみで済めば1週間で退院、治療の余地があるならば翌週も治療をしながら更なる検査により入院継続の可能性ありと医師から事前説明を受けていましたが、結果としては今週もまだ父は入院しています。

多様な検査をした結果、父の今の状態が何によるものであるかが特定でき、治療が行われ、悪化が心配されていたさまざまな数値は改善していっていることを確認している。
けれど、面会に通うごとに、だんだんと目を瞑っている時間が増えているように思え、気力が落ちているのではないかと、帰りのバスの車中で複雑な気分になる毎日です。

思い返せば入院直前の頃も、実家で父は車椅子に座りながら、うとうとすることが多かった。目を瞑っているのは、入院したからってことでもないのかもしれないけど。



一昨年の父の入院時、「実家を長期間人気がない状態にするのは良くないな…」と思うことがあり、週に何回かは滞在するようにしていましたが、今回は毎日、実家の台所で自分ひとり分の夕飯を作って食べ、夜遅く自宅に寝に帰るというこれまでと似たような生活をおくっています。

入院する日の前日、2月8日は雪が降った。

そのくらいの気候だったからか、先週は父がいない実家でひとり夕食を食べていると、なんだかいつもより寒さがこたえました。

エアコンの設定温度はいつもと同じなのに、なかなか部屋があたたまらない。2人いるのとひとりとでは、発する熱量が少なくなる分、部屋の温度が上がるのが遅くなるんだろうか。

こんなに寒い環境の中で住んでいたのだから、弱っていた父の身体にはきびしかったことだろう…とあらためて思う。

入院している今、室温は暖かく安定していて、酸素吸入に加え鎮静剤なども処方されていると思われ、自宅にいる時のような息苦しさや痛みを訴えることはなく、父は穏やかに過ごしている。
「帰りたい」とこぼすけれど、身体に負担なく過ごせる病室と、住み慣れた場所ではあるものの、酸素吸入の設備もない寒いこの実家で過ごすのと、父にとってどちらがよいのだろう?と、今日も実家でひとり、夕食を食べながら考えました。

そもそも…今の状態で、父は実家の外階段を上がって家の中に入ることができるんだろうか?

…とも考える。

そのうちいろいろ考えるのが苦しくなってきて、NHKONEでオリンピックのスノーボードの同じ競技を繰り返しぼーっと見たり、刺し子をしたりして紛らわしたりの日々。

先週、こぎん刺しのピンクッションが出来上がりました。

今、刺し子にすごく助けられてるのを感じてます。

今年もあっという間にひと月過ぎて、早くも2月になってしまった。
その2月も3日になって、今日は節分。


実家の近くの橋のたもとにある早咲きの桜の木には、ふっくらと膨らんだたくさんの蕾が開花を待機しているのを見かけましたが、毎年1月から2月にかけてのこの時期が一番寒いと感じます。

そして、その寒さが身体に及ぼす影響を重く感じる今年です。

父の様子が思わしくない。
前回投稿した日のあたりから、調子が落ちている印象があり心配してたのですが、先週、夜間にひどい呼吸困難があり、それ以降、急に体調が崩れだしました。

検査のためなるべく早く入院するよう、かかりつけ医から勧められました。
検査は必要だと感じてはいる。けれど、入院したら、また足腰弱ってしまうだろうし、認知症状も悪化するかもしれない。どうすべきか…。
父の意見(検査はしてもいいけど、長いこと入院はしたくない)も聞きながら、妹と数日にわたって話し合い、入院やむなしと考えるに至りました。

先週末もヘルパーさんから「息が苦しいみたいなんですけど、どうしましょう」と電話がありました。急いでかけつけると、ヘルパーさんが「寒くなると、身体に響きやすいのよねぇ…」と。
なんでも、そのヘルパーさんが担当してるかたのうち、心不全で今現在入院している方がふたりもいるらしい。

歳を重ねていくと、身体の機能があちこち低下して、気温や湿度など気候の影響をより受けやすくなるってことを、あらためて痛感してます。

父だけじゃない。
考えてみれば、わたしが右腕のテニス肘を発症したのも寒さで血行不良がひどくなってることが影響しているのだろうし、昨年の今頃は突発性難聴になってた。
突発性難聴はストレスが大きな原因の一つでしょうけれども、寒さで血行が良くない状態だったことも発症の要因になっていたように思う。

父より30歳年下のわたしですらそんなふうに身体に響いているのだから、88歳の父に影響ないわけない。

右肩の検査が済んで、ホッとしたばかりだったのに…。

父には、できるかぎり自宅で何の気兼ねもなく自由に、食べたいものを食べて過ごしてほしいと思ってここまできました。
なるべく早めに退院して、家に帰って来られますように…。

一昨年(2024年)5月、今の住まいに引っ越しする際に酷使したことがキッカケで左ひじに発生したテニス肘。

 

ピラティス始めたり、斜めがけバッグをかける肩を変えてみたりと、いろいろ取り組んだことが功を奏したのか、その年の年末あたりには症状が軽減し、今ではもう痛みはほぼありません。
それとともに昨年末くらいには、左中指のばね指もほぼひっかかりを感じなくなり、ようやくスッキリしたわーとホッとしていたんですが、今年に入って今度は右ひじが痛み出しました。
 

先週・先々週と父の通院で、痛みをこらえつつ車椅子の上げ下ろしをしたのが響いたのか、先週後半には右腕全体が痛くなり、そのうち背中や腰まで痛みだし、なんだか身体の右側全体が具合が悪くなってきて、先週末は疲労困憊。
左のテニス肘になったとき、何するにも痛くて「利き腕ではないのに左腕ってこんなに使っていたのか!」と気づきましたが、利き腕の右腕は痛くても使わざるを得ないので、痛みを半ば無視して半月の間ガシガシと使いつづけた結果、しゃもじでご飯をよそうのすら痛くてできなくなり、歯磨きするのもひと苦労という状況に…(汗)
困り果て、「腕や手だけじゃなく、背中や腰まで痛いのはなんかおかしい。もしかしてテニス肘じゃなくて妙な病だったらまずいかも…医師に診てもらって検査してもらおう。」と思うに至り、今度はわたしが整形外科を受診することとなりました。はぁ…(しょんぼり)

検査・診察の結果、やはり上腕骨外側上顆炎…つまりテニス肘であるとのこと。
症状が進んで肩や肩甲骨のあたりの筋肉にまで影響が出ている状態で、炎症が落ち着いていけば、背中まで響いている痛みはなくなるだろうという話でした。

湿布薬が処方され、手のひらを外側に伸ばすストレッチを朝昼晩と行うよう指導を受けて診察は終了。とりあえず妙な別の病気ってことではなく予想通りのテニス肘ってことで、ホッとはしました。

更年期の影響なのか、ここ数年、筋肉の衰えを感じます。
それだけじゃなく、いままで肉体労働をあまりしてこなかった自分が、退職後に父の介護や家事労働をするようになって、そもそも身体がついていってないのかもしれない。

お風呂やサウナで身体が温まると痛みが軽減するところをみると、血行不良が発症の原因のひとつなのだろうとも思う。もともと冷え性だし。
 

そんなわけで、ひさびさお灸も再開して、棒灸で右手・右腕のツボを温めたりもしています。

これ、けっこう効果を感じていて、おかげでこうやってキーボードをたたいてブログを投稿できる程度には、なんとか回復しました(たぶん、湿布よりお灸の方が効いてる感覚がある)。


左のテニス肘の痛みがある程度おさまるのに半年、完全になくなるのには1年以上を要しました。右腕は利き腕だから、左よりもどうしても使わざるを得ない。痛みがとれるのにどれくらいかかるだろう?

自分の身体がしんどいと、父にやさしくできなくなりがちなので、ストレッチもお灸も継続してなるべく早めに回復したいものです。