高見 華 たかみ はな
2024年5月1日、虹の橋に向かいました
彼女が高見家の子供になったのは
2016年7月1日
はるばる大分までジョンと迎えに行ったこと、昨日のことのように覚えています
ヤンチャで元気いっぱい
おとなしいジョンは振り回されまくり
ちなみに誕生日が8月7日なのでハナと名付けられたそうです
ヤンチャな華の証拠写真
見つけた時、大笑いしました
そんな彼女も年齢を重ね、朝という妹ができると
落ち着き、大人の女性になっていきました
大人になっても階段の昇り降りが苦手で(右後脚が少し不自由ってのもあるけど)抱っこしてと甘えん坊さんでおねだりしてることは内緒にしといてあげるよ
人が大好きで、撫でられるのが大好き
VicchuNutになくてはならない看板娘になってくれました
彼女の首にビー球ぐらいのシコリを見つけたのは
2024年、今年の2月16日
すぐ病院に行きました
細胞診の診断結果は悪性リンパ腫
医師から告げられたのは
この病は根治を目指すのではなく延命が治療方針となります
という冷酷な現実でした
何かを考える余裕はなく、翌日からすぐに抗がん剤治療を始めました
抗がん剤が効いてくれれば、1年、もしかしたら2年は生きてくれるかもしれないという希望を抱いて
最初の抗がん剤はきつかったようです
吐いて、動けない状態が2日続きました
つらそうだった
でも、3日めにフードを食べてくれました
嬉しかったなぁ
その後は抗がん剤と併用しているステロイド剤が効いたのか、今までと変わらない元気な状態が1ヶ月ほど続いてくれました
1日3回散歩に行き、フードもいつものドライタイプを3回完食してました
だから少し太っちゃいました
それなのに恐れていた新たなリンパの腫れができてしまいます
抗がん剤が効かなくなったということです
再発したら、つらい副作用のある抗がん剤をやめ、ステロイド剤だけの治療に切り替えようと決めてました
少しでも苦しくなく、華らしく送ってやろうと考えたからです
4月30日、雨上がり
急に容体が悪くなりました
自分でベランダに出て、ウンチ・オシッコをしてましたから、2階のこの場所に彼女はずーっといました
しだいに動かなくなり、息も荒くなっていきました
5月1日・11時30分
私が彼女の横に座りお腹を撫でていると、すっと息がとまりました
華、ありがとう
と伝えると、それに答えてくれるように
ハッハッハッハッ
と、4回大きく息をはいて、鼓動がとまりました
静かな最期でした
今年の桜は例年より開花が遅く、仕事の都合で4月6日にしか備中町に来られなかった妻と一緒に
家族みんなでお花見ができました
嬉しそうでしょ?
幸せそうでしょ?
こんな笑顔がもう見られないんです
でも彼女のこの笑顔の何万倍もの笑顔と幸せを
私達夫婦は彼女からもらえました
ほんとうにありがとう
もう少しだけ長く一緒にいてほしかったけど
華は今ごろみんなと会えて遊んでるかな?
虹の介、ジョン、朝
華をよろしくね
君たちと暮らせて、ほんとに幸せでした
人生最良の時間を過ごせました
君たちにお願いしたこと、忘れないでね
僕はその日を待ってます
華、華、華
会いたい
抱っこしたい
甘えんぼさんらしく甘えてほしい
さようなら
高見 岳夫・和子