ウィーン窯誕生からアウガルテン窯創業までの歴史を追って

今回の記事で3投稿目となります。

前回までは、創業者デュ・パキエから

女帝マリア・テレジアによるウィーン窯再生、

ならびに敏腕ゾルゲンタールによるウィーン窯盛隆、

そして1864年の閉鎖までを俯瞰してきました。

工房閉鎖後どうなったのか、さっそく見ていきましょう。

 

 

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ウィーン磁器工房が閉鎖されて以降、

半世紀ほどの間、この工房は磁器製造を絶やしておりましたが

オーストリアに再び磁器製造の好機が巡ってきました。

 

それは第一次世界大戦(1914-18年)後のことで、

オーストリア政府がウィーン磁器の再興を図り、

工房をアウガルテンに移した上で、

1923年、ウィーン磁器工房アウガルテンとして

磁器の製造を再開するに至ったのでした。

 

現在2021年ですので、2年後には「アウガルテン」としての

操業100周年を迎えることになりますね。

 

 

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西洋磁器製造第二の窯元アウガルテン。

 

神聖ローマ帝国という中世ヨーロッパにおける

巨大な領土の命運と数々の情勢を率いてきたウィーンに

1718年から1864年までのおよそ150年もの長い歳月根を張り、

失敗と試行錯誤の末に花を咲かせたのかと思えば

散りゆき、半世紀を超えた頃にまた芽を吹いて……

という歴史の荒波にもまれては戦い続けたその足跡は、

一客のアウガルテン製カップ&ソーサーの全体から細部に至るまで、

視線を投じる人々に洗練された由緒ある高貴な印象を感じさせてくれます。

 

 

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※当ブログシリーズに使用した一連の画像は

アウガルテン製「ビーダーマイヤー」という作品です。

モカカップと呼ばれる、通常よりも小さなサイズのカップです。