だんだん間隔が開いていく・・・。
もはや季刊誌も危うくなってきましたが、
ブログを書く時はいつも、次に進むための自分の定点になっているので、
いつも通り振り返ってみようと思います。
2010/12/30
これは年末年始の帰省の際に寄った、佐賀の有徳稲荷神社。
当時嬉野市でのプロポーザルに取り組んでいたので、敷地見学の際に必勝祈願も兼ねて行ってきました。
神社にあった「うまくいくお守」。
何と、このお守りを持ってると、文字通り何でもうまくいくらしい。
なんてこった・・・。
そのあまりの清々しさに即決で購入。笑
今も大切に財布に入れてます。
2011/01/03
諫早にあるパスタクラブフェローズ。
前にも載せたことがある気がします。
背後の海の風景とコーンポタージュが好きで、
帰省するといつもお母さんと出かけます。
この日はいつにも増して抽象的な、ぼんやりとした海だったのを憶えています。
02/17
この日は、新建築賞の知らせが事務所に舞い込んできた日でした。
これは、その夜のお祝いのワイン。
新建築賞・・・凄すぎる。
もちろん、分からない人には全く伝わらないものだと思いますが、
少なくとも僕は、建築家としての独立を志す身として、一生の目標の一つ。
その歓びの瞬間に立ち会えただけでも、涙が出そうでした。
以前、五十嵐淳さんにも、
受賞の電話を受けた瞬間の興奮を語ってもらったことがあります。
末光さんも五十嵐さんも、共通していたのは、子供のようなはしゃぎっぷり。
いつか僕らも、その瞬間を味わいたい。
そう強く思った日でした。
末光さん、本当におめでとうございました。
これは先月のpenという雑誌。
建築家20人の「あなたが世界でいちばん好きな建築は何ですか?」で、
谷尻誠さんが取り上げたガソリンスタンドが、なんと親父の処女作。
ちゃんと撮ったことなかったのでこんな写真しかないですが・・・。
親父は長崎で20年以上、誰からも愛されるような真摯な姿勢で、粛々と建築を作り続けています。
このような思いがけない形で取り上げられて、本人もとても喜んでいました。
03/17
ところ変わってこれは、数日間お世話になっていたおじさんのマンションからの風景。
3/11の震災直後、プロジェクトの都合も重なって、
東京を離れ、福岡で数日間仕事をしていました。
震災後数日の東京は、余震はあり、店に物資はほとんどなく、
交通機関は地震と計画停電でマヒし、原発がどうなるか分からない。
そして、そんな不安が全て些細に思える程衝撃的だった、東北の津波と被災地の映像。
でも九州まで来ると、びっくりするほど震災の雰囲気が全く無かった。
今は関東も落ち着いてきましたが、
3月の間は関東では仕事に集中出来なかったのではないかと思います。
僕らは被災地に対して、直接的には何も出来ていなかったけど、
僕らは僕らのやるべき仕事が目の前にあって、
それを確実に進めるためには、九州にいるのが恐らく最適解だった。
ただ、それだけのことです。
この時期は仕事上で、大きな分岐点がありました。
始めに書いた嬉野市のプロポーザルが、
文化体育館と中学校の2件、どちらも最優秀だったのです。
すでに、実際に色んなことが動き始めました。
これから2~3年は、九州や嬉野と深い付き合いになりそうです。
もちろん、末光さんたちの技量にはいつも感心しっ放しですが、
SUEP.のようなスタッフ2~3人の小規模の事務所でここまでこれたのは、
たくさんの学生さんの支えのおかげだったと思います。
これまでもたくさんのコンペに落ちてきては、
それを徹夜も惜しまずサポートしてくれた人たちがたくさんいてくれて、頭が上がりません。
その無償の気持ちに僕らが応えるためには、
それ以上に価値のある、将来の何かに繋がる経験を
シビアに提供し続けなければならないと思っています。
ほんとに、ありがとうございました。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。
その後、結局は3月末に東京に戻ってきました。
帰京の過程で、西日本の色んな場所や建築を巡ってきました。
また近いうちに、まとめます。
もはや季刊誌も危うくなってきましたが、
ブログを書く時はいつも、次に進むための自分の定点になっているので、
いつも通り振り返ってみようと思います。
2010/12/30
これは年末年始の帰省の際に寄った、佐賀の有徳稲荷神社。
当時嬉野市でのプロポーザルに取り組んでいたので、敷地見学の際に必勝祈願も兼ねて行ってきました。
神社にあった「うまくいくお守」。
何と、このお守りを持ってると、文字通り何でもうまくいくらしい。
なんてこった・・・。
そのあまりの清々しさに即決で購入。笑
今も大切に財布に入れてます。
2011/01/03
諫早にあるパスタクラブフェローズ。
前にも載せたことがある気がします。
背後の海の風景とコーンポタージュが好きで、
帰省するといつもお母さんと出かけます。
この日はいつにも増して抽象的な、ぼんやりとした海だったのを憶えています。
02/17
この日は、新建築賞の知らせが事務所に舞い込んできた日でした。
これは、その夜のお祝いのワイン。
新建築賞・・・凄すぎる。
もちろん、分からない人には全く伝わらないものだと思いますが、
少なくとも僕は、建築家としての独立を志す身として、一生の目標の一つ。
その歓びの瞬間に立ち会えただけでも、涙が出そうでした。
以前、五十嵐淳さんにも、
受賞の電話を受けた瞬間の興奮を語ってもらったことがあります。
末光さんも五十嵐さんも、共通していたのは、子供のようなはしゃぎっぷり。
いつか僕らも、その瞬間を味わいたい。
そう強く思った日でした。
末光さん、本当におめでとうございました。
これは先月のpenという雑誌。
建築家20人の「あなたが世界でいちばん好きな建築は何ですか?」で、
谷尻誠さんが取り上げたガソリンスタンドが、なんと親父の処女作。
ちゃんと撮ったことなかったのでこんな写真しかないですが・・・。
親父は長崎で20年以上、誰からも愛されるような真摯な姿勢で、粛々と建築を作り続けています。
このような思いがけない形で取り上げられて、本人もとても喜んでいました。
03/17
ところ変わってこれは、数日間お世話になっていたおじさんのマンションからの風景。
3/11の震災直後、プロジェクトの都合も重なって、
東京を離れ、福岡で数日間仕事をしていました。
震災後数日の東京は、余震はあり、店に物資はほとんどなく、
交通機関は地震と計画停電でマヒし、原発がどうなるか分からない。
そして、そんな不安が全て些細に思える程衝撃的だった、東北の津波と被災地の映像。
でも九州まで来ると、びっくりするほど震災の雰囲気が全く無かった。
今は関東も落ち着いてきましたが、
3月の間は関東では仕事に集中出来なかったのではないかと思います。
僕らは被災地に対して、直接的には何も出来ていなかったけど、
僕らは僕らのやるべき仕事が目の前にあって、
それを確実に進めるためには、九州にいるのが恐らく最適解だった。
ただ、それだけのことです。
この時期は仕事上で、大きな分岐点がありました。
始めに書いた嬉野市のプロポーザルが、
文化体育館と中学校の2件、どちらも最優秀だったのです。
すでに、実際に色んなことが動き始めました。
これから2~3年は、九州や嬉野と深い付き合いになりそうです。
もちろん、末光さんたちの技量にはいつも感心しっ放しですが、
SUEP.のようなスタッフ2~3人の小規模の事務所でここまでこれたのは、
たくさんの学生さんの支えのおかげだったと思います。
これまでもたくさんのコンペに落ちてきては、
それを徹夜も惜しまずサポートしてくれた人たちがたくさんいてくれて、頭が上がりません。
その無償の気持ちに僕らが応えるためには、
それ以上に価値のある、将来の何かに繋がる経験を
シビアに提供し続けなければならないと思っています。
ほんとに、ありがとうございました。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。
その後、結局は3月末に東京に戻ってきました。
帰京の過程で、西日本の色んな場所や建築を巡ってきました。
また近いうちに、まとめます。