やってみようのブログ エホバの証人だった過去

やってみようのブログ エホバの証人だった過去

JW(エホバの証人)を卒業して約2年 平穏な日々を過ごしてます

JW・WTに不信感を抱き始めた方、自然消滅を考えている方の参考になれると嬉しいです。

自然消滅を考えている方は、牧羊訪問は避けた方がいいですよ。傷が深くなるだけです。






ブログに関係ないコメントのみ、削除させていただきますので、ご了承ください。
Amebaでブログを始めよう!
オフ会 参加者募集です。


12/18(金)
大阪市内のお店
で、
ランチタイムのオフ会をします。




JWから離れて何年も経つ方でも
JWを卒業するのが難しい現役の方でも
オフ会が初めてという方も
大歓迎です。

思っていることを、みんなでシェアしましょう!

興味のある方は、是非メッセージをください。
詳細をお知らせします。




追記

無事にランチオフ会を終えました。
初めてお会いする方ともフランクに話せたと思います。
参加者の皆様、ありがとうございました。
(^O^)/

来年もオフ会の計画をしますので、
どうぞ宜しくお願いします。






私は、
『神への愛』と『人への愛』は表裏一体ということを、
あまり考えたことがなかった。


ものみの塔出版物で、
『神が人間に求める愛』=『(王国を第一にするという)行動』
という刷り込みをされたからなのかもしれない。





この授業では、放蕩息子の物語と雅歌(ソロモンの歌)の一部が取り上げられた。

放蕩息子に示した親の愛が、神の愛ということは、(JWに)よく知られている。
しかし、雅歌の愛の表現が『神が人間に求める愛の描写』ということは、知らなかった。
(私だけなのか?)
(ものみの塔出版物には、雅歌の引用・参照聖句が少ないので読まなかったからなのか?)







雅歌8章3節~7節
『愛は死のように強く、熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。
大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。』

という表現と、

申命記6章4節
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして愛すること』

を比べると、
『神への愛』は、恋愛で愛するのと同じと考えることができる。







『雅歌に表現されている男女の盲目的な激しい恋愛感情は、
神への愛の強さと在り方はどうあるべきかを学ぶためのもの』
と考えると、
恋愛感情を持ったことのある人は、神への愛が理解できることになる。




例えば、ネアンデルタール人。

遺跡を調査すると、彼らは埋葬する習慣を持っていたようだ。
→仲間の死を悼んでいた
→恋愛をしていた
→宗教(神への愛)を持っていたのかもしれない
となる。







では、どのように人は恋愛をするのか?


心理学者のユングが考えたのは、

『熱烈に恋愛するが、その実体は自分の理想像を無意識に作り上げているだけ』
『自分の心の中の理想像は自分でコントロールできるが、本物はコントロールできないから、相手に失望する』
『女性の理想像は、『強くたくましい男性』→『実行力のある男性』→『言葉と知性ある男性』→『意味を与えてくれる男性』というように変化する』

ということだ。






JWと重ねて考えると…




まず、

自分の理想を膨らませて恋をする。
自分の望みを叶えてくれる、自分の周囲の状況を変えてくれることを期待する。
→現実の悲惨さを訴え、悲しみも苦しみも死もない楽園での生活を夢見る。
→自分の理想をエホバ神に投影する。






この後、JWの行く末を3つに分けてみた。



①実物の男性が自分の理想と違うことを認識し、失望する
→楽園での希望が非現実的だと思い直し、WTやJWから離れる



②実物の男性が自分の理想通りだったら、その人に熱狂する
→いわゆるマイコン状態に入る。会衆内の霊的パラダイスに満足するので宣教に励む。

理想像が変化したなら、恋愛感情をずっと持ち続けるのは難しい。
→『初めに抱いた愛を忘れないように』と、WTは教え続ける。

理想像が変化するのは、本人の人間的成長によるもの。
成長すると要求が変化するので、理想像も変化する。
→『自分の力で考え・行動するのは、独立の精神なので避けるべき』とWTは教えるので、
JWは人間的成長を阻まれ、理想像は変化しないかもしれない。




③実物の男性に会うことができないので、初めの理想を持ち続ける・理想を膨らませる
→『エホバを待つ』『エホバのご意志』というフレーズにより、実際の『神』と向き合うことを避ける。もしくは、向き合おうとしても叶わない。
ある意味、片想い状態が続くと言えるかもしれない。






…と考えると…
『エホバへの愛』と恋愛は似ている…



それなら、
『エホバに恋するJWをエホバから引き離すことは不可能に近い』
と、なってしまう。



たとえ、『恋人が『だめんず』だったとしても、別れさせることは難しい』ことを考えると、
ガッカリだが、仕方ないとも思える。




せめて、WTの教える神は『だめんず』と気付いてほしいのだが…








勿論、WT・JWに限らず、宗教と恋愛は似ているのだろう。

そして、宗教と愛も。

















(次に続くかもしれない)

この講義の第7回以降は
『神』『愛』『死』などのについての講義となり、
キリスト教の考えが説明された。

エホバの証人なら、(多分)誰でも知っていることも多いので、
その部分については割愛する。
(実際は、その部分が大部分なのだが…)



私が『おもしろい』と思った部分だけを備忘録として書き留めたい。








人間の命と、動物の命は同じなのか?

全然知らない『おっさん』と、自分が飼っている『ペット』
命の価値は同じか?
どちらかしか助からないとしたら、どちらを助けるか?









パウロは、人を『体・魂・霊』の3つに分けて考えた。(三分法)

『あなた方の霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り…』
(テサロニケ第一5:22、23)

(これは元々、ギリシャ哲学の二分法に対抗するために考え出されたものだった)


神と通じるのは、『体・魂・霊』のうち、『霊』の部分だ。
初めは、神の霊が人に注がれ、神との繋がりがあった。
しかしエデンでの反逆以来、霊の部分がなくなったので、神と通じなくなってしまった。

その繋がりを再び持つようにすることが神との和解となり、永遠の命に繋がると考えた。



しかし、動物は『体・魂』しかない。
『霊』はない。
だから神の霊と通じることができない。
動物は神との繋がりを持たないので、永遠の命はない。
死んだらおしまい。





結論。
人間の命と動物の命は違うというのが聖書の教え。








『人間は永遠に生きるように作られたが、動物はそうではない』
というWTの教えの元は、
パウロの三分法だった。


ヘェ~
ヘェ~
ヘェ~






授業が終わり、先生と話すチャンスがあった。

そこで、思い切って尋ねてみた。



『先生は大学に勤めているから、大丈夫だと思うんですが、
聖公会のチャプレンは、献金だけで生活できるんですか?』





『大阪教区は22の教会がありますが、
そのうちの半分くらいはお給料だけでは、厳しいです』
という答えだった。




お給料は、大阪教区から、一律でもらうようです。

『一律の収入があるのなら、なぜ厳しい人・そうでない人がいるのか』というと、
献金が多い教会と少ない教会があるからです。




よく話を聞いてみると、

各教会は献金のうち、一定額を大阪教区に上納することになっているらしい。
(上納額は、教会の規模によってそれぞれ決められている)

その上納されたお金から、一律の給料が司教に支払われるということです。




つまり、
『給料+残りの(上納していない)献金』が司教の生活費となるようです。




だから、規模の大きい(献金の多い)教会でなければ、生活が厳しくなる。











『その給料の額は誰が決めるのか』についても尋ねてみた。



主教クラスの人が決めるのかと思いきや、
役員が決めているらしい。

そこに、司教や主教が口を挟めないようだ。



先生は、
『私らチャプレンが、好きなだけ給料を貰えたら、おかしいやろ』
って。

(おかしいことが、政治の世界では当たり前となってますが…)






お金に関わること全ては、信者(司教でない)から成る役員が決めているようだ。

(『その役員はどうやって決めるのか』までは聞けなかった)







『なんか、ややこしいなぁ。でも、これがキリスト教共産主義の考え方なのかなぁ』など、
私が一生懸命考えていると

先生は一言、













『新しい宗教を始めようと思ってますか?』












えっ⁉︎ そっちに見えた?
...((((( ̄‥ ̄;)


残念。 私は宗教で儲けるほど人が悪くないんです。


イヤイヤ、もう懲り懲りで、お腹いっぱいです。
└|*´・ω・`|┘











『私服の奉仕』というワード、先ほど初めて知りました。
(私だけが知らなかったのかな?)



今でもお付き合いのある姉妹から聞きました。
(私が交わっていた会衆では、『カジュアルな奉仕』と言うらしいです)








最近、会衆の区域近くに大型のショッピングモールがオープンしたのですが、
その施設内での奉仕のことです。


いつもの奉仕の服装ではなく、
『普段着・買い物に行くような恰好』で出かけます。


そして、
『買い物に来ている方に、気軽に声をかける』
ただ、それだけです。



なので、

『寒くなりましたねぇ』
とか
『ここは広いですねぇ』

だけで、OK。



とにかく
話しかけることが目標のようです。


話が盛り上がって、証言できれば『なお良し』なのですが、
話しかけるのが目標なので、そこまで気負わなくていいのです。



喫茶店でお茶を飲みながら、隣の席の人に声をかけ、世間話をする。


これも立派な『私服の奉仕』です。



今までなら、お茶を飲むなど、証言以外の時間は引いて報告でしたが、
『私服の奉仕』は証言していない時間を全部入れても大丈夫です。
(; ̄ェ ̄)


この巡回訪問以降、週に1回は『私服の奉仕』を会衆で取り決めることになりました。



『助かるわ~』と
みんな喜んでいるらしいです。

((((;゚Д゚)))))))










ほんとに『至福の奉仕』だこと。