高校生の時、私は最初で最大の絶望を味わった。私は昔人間を相対評価で見ていた。そのせいで自分と他者を比べた時に自分の能力が劣っていることは痛いほどわかっていた。アイデンティティが確立してきたとき、自分が自分としてでしか生きられないことを悟った時本当に絶望した。
なんでもできる人生。でも自分の能力でしかできまい。自分らしくしたところで、私は自分の能力が大嫌いだった。だからこそ説明書通りはとても楽しかったけど、自由工作は本当に辛かった。自分を見せることはとても辛い。今でも自分の話をすると涙が出る。できれば意識的に整えた(つもりでいる)自分を見せたい。だから文章で語るのはとても好きだ。
あの時、私は本気で死ぬことを考えて毎日毎日、自分の部屋で生きる絶望に嘆いて死にたい死にたい消えたいと思っていた。だけど死を意識すればするほど、生きなくてはいけないという生に輪郭がついてきて、グロテスクなほど生がリアルになった。というか死なないためには生きるほうを選ばなければいけないんだと思った。
根本的に死で重みを持たせてしまった自分の生を、これからも選び続けていかなくてはダメだ。最後に死ねるというのは、自分としての人生をやっと終えられる希望でもあるし、自分としてしか死ねない絶望でもあるなーと思っている。
だからせめて、、、何ができるんだか。