お酒を断って3日目の夜


今夜のメニューは、ご飯、おくらとわかめの味噌汁、きゅうりの漬物、具だくさんシーザーサラダ、ゴーヤーチャンプルー、スイカでした。


つまみ系ではないでしょう?


ゴーヤーチャンプルーあたりで飲みたくなりましたが、ググっとこらえて、炭酸水。


案外炭酸水で行けちゃうかも^^


相変わらず私の隣では夫が缶ビールを空けています。

「プシューッ!」

その音、罪だねえ・・・


そんな誘惑にも負けずにがんばりました。


もうひとつ、飲めない理由が・・・。

昨晩から末娘ピピが風邪をひき、今日は咳と発熱、おう吐に苦しみました。


きっと今夜は起こされてしまいます。


以前はそんな時でも飲酒していました。

けれど、ピピが

「おみず」

と言えばすっくと起き上がり、

「こぷ・・」

という、吐き気をもようした前ぶれにも敏感に洗面器で対応していました。


まあ、確かに起きるのは若干難儀でしたが。


せっかくだから今夜はしらふでピピに備えます。

な~んていい母なのかしら~、って一瞬かんちがいしましたが、これはいたって普通の母ですね。


それにしても。


昨日の記事で、私を無性に飲酒に駆り立てる要因を挙げました。


あっけなくスルーした「3.子どもたちのムチャ振り」でしたが、今日ほどそれを感じたことはありません(いや、しょっちゅう感じてはいます)。


今春から始めた、図書館主催の「読み聞かせボランティア講座」


長い長い冬眠生活(=ひたすら母でいる生活)から、少しだけ明るい外界に踏み出してみよう、と思い通い始めたのです。

詳しくは、また記事にしたいと思いますが、年に14回足らずの講座で、ピピのお帰りにも間に合う、という好条件のそろった講座です。


このわずか14回しかない講座の3回目の先週、息子ココが目を痛めて(なんのことはない、寝ている間に目を強くこすりすぎたのです)、眼科に行くことになり、講座を断念しました。


そして、わずか14回しかない講座の4回目の明日、ピピは学校をお休みするでしょう。


そりゃあ、子どもとぐたぐたするのは大好きだし、冬眠生活に不満はありませんでした。

なにが堪えるかって、踏み出そうとして、断念せざるを得ないんだ、とガツンとくじかれることがつらい。





天使「仕方ないわ。好きで目を痛めたり風邪ひいたりしたんじゃないんだから。なにかあったらどうするの?子どもが最優先よ」


悪魔「けっ、こどもってやつぁ、そうやっていつもいつも肝心な時にじゃまするんだからたまんねえぜ。適当にほっといて講座でもなんでも行っちまえよ」


天使「なんてひどいこと言うの?悪魔くんたら。大体、講座と子どもとどちらが大事なの?考えてみたらすぐにわかることじゃない!」


悪魔「きまってらあ、講座、講座、こうざ、こーざ・・・」


天使「ああ、もうやめて。あんたと話しているとおかしくなるわ。」


こんな会話が私の頭の中をぐるぐるぐるぐる回っていました。


こんな時、お酒でも飲むと、

「ま、いっかー。別に何が何でも出席しなきゃならないわけでもないしさ。あしたはピピとグータラしてよっと、あは」


と片付くのです。


このたびの断酒は、酒の効能、弊害についてよく考えさせられます。


他にもっと考えなくてはならないことがあるはずなのに、そちらの方は見て見ぬふりをしている今日この頃・・・。


3日目断酒は成功です。

明日もできるかな。












昨日は、横でビールを飲む夫の誘惑、不快指数高の湿気の誘惑、さらに夕食はピザ、という誘惑に負けませんでした。


その代わりに飲んだのが、炭酸水


甘いのはお酒もジュースも苦手ですが、炭酸水はいいですね。


さらに防カビ剤不使用のグレープフルーツを1個分絞って飲みました。

これを焼酎で割ったら美味しいだろうな・・・・・・・・・・いやいやいやいや、だめだめ。


私を無性に酒に駆り立てるものは、一体何なのか。


1 喉の渇き


2 没頭できることがない、もしくは目を背けてどこかに逃げたくなるような社会の現実


3 子どもたちのムチャ振り


4 おいしそうなご飯やおつまみ


分析するとここら辺だと思うのです。


1.の要因は炭酸水が解決してくれます。


2 .3は直接的ではなく、間接要因です。勝手に因果関係を作らないように意識を変えなくては、と思います。


でも、


4はどうしたらいいのでしょうか。

前回、我が家の冷蔵庫は、いつでも飲酒に備えている、と自慢などしてしまいましたが・・・。

毎晩のメニューをどんぶりものやカレーライス、ソバなどにしてみようかしら?

おかずは煮物中心で・・・あ、日本酒飲みたくなっちゃう。


あー、だめだ。


とりあえず、断酒第1日目は無事に終わりました。


今晩もお酒のことを忘れて読書にでも励みます。

あーあ、静かな夜にワインをちびちび飲みながらする読書・・・

いやいやいやいやいやいやいや。


断酒のお知恵を誰か授けてください!













はたと気づきました


このブログのテーマ、


「酒とスイーツと育児の日々」


一度も「酒」について書いたことがありません。


お酒、大好きなんです。


学生時代はそれほど飲んでいたわけではありません。

けれど、サークルのコンパなどでは、周囲の仲間が先に酔いつぶれてしまうので、私はいつも介抱役でした。


つまり、私はそれなりにお酒が強いのです。


私は自宅生でしたので、夜は時々、父とビールを飲みました。

妹の学校の関係で、一時的に父とふたりで暮らしていた学生時代、父に喜ばれるために美味しいおつまみを作るのに苦心しました。


おつまみを作るのは得意です。


冷蔵庫の中は、いつでも飲める態勢が整っていると思います。

チーズ、瓶詰めのラタトゥイユ、オリーブのオイル漬け、プロシュート・・・うふふ、いつでもスタンバっているでしょ^^


結婚した夫は、これまた大のビール好き。

1日の疲れを癒せるのは、子どもの笑顔より、妻のいたわりより、キンキンに冷えたビールに違いありません。


ふたりともお酒好きで良かった!

退屈な週末も、ベランダで明るい時間に飲むと、たちまち贅沢な時間になるからです。


夫婦ともにお酒が好きなので、子どもたちもご飯の始まりは、お茶で

「かんぱーい!」

おやつのときにも、牛乳で

「かんぱーい!」

飲み物のはじめはとにかく

「かんぱーい!」

なのです。


昨日、長女リリがまだ片言の1歳の頃のビデオを見たら、人形相手に

「どうじょ」

と言って酒を注ぎ

「まあまあまあ・・・」

といってとめるという、晩酌ごっこが記録されており、若干反省・・・。


ワインやシャンパンなどの栓をポン、と抜くと子どもたちは拍手してくれます。

息子ココは疲れた私を見るとよく

「ママ、お酒でも飲みな」

と声をかけてくれます。


子どもにいい影響はないのでは、と時々心配になりますが、

私たちのお酒は楽しく、普段はまじめで堅物なパパがお酒で和やかになる様子を子どもたちが見るのは、そうそう悪いことではないのでは、と思えるのです。


そうです。

酒はいい飲み方でないといけないのです。


けれど、最近の私はどうでしょう。


今朝、空き瓶の数の多さに我ながら呆れました。


フルボトルのワインのビンが2本半、スパークリングワインが2本。

これは私がこの6日間に飲み干した量です。

この他にも、ビールや焼酎を飲みました。


夫はビール党ですが、数えてみたら、500ml缶が32本。


どう考えても飲みすぎです。


本当に飲みたくて飲んでいるのか、と言えば、確かに飲みたいのですが^^

もちろん翌日に二日酔いになることもないのですが、


酒に逃げている


これも否めない事実です。


昨年から続く放射線被曝への憂慮と対策、

原発推進に進む日本への絶望感、

(楽しいですが)3人の子どもたちと忙しい夫の生活のマネージャー役に徹する日々、

春に起きた、愛する人の悲しい死。


さらには自分はこのままでどうなってしまうんだろう、という漠然とした不安。

成長したいのに・・・というジリジリとした焦燥感。


日々楽しくのんきに暮らしているくせに、心のどこかにうずまく空しさ。


それら全てから逃げるためにお酒を飲んでいるのかもしれません。


ひょっとしたらすでにアル中かも。


お酒におぼれることで、深く考えることを止めていないかい?私。


毎朝さわやかに目覚め、

「よし、今日はお酒のまないぞー!」

と決心するのに、

夜になると飲んでしまうのです。


意思薄弱な私。


そこで、決めました。


とりあえず、今日から5日間、断酒してみます。


金曜まで無事断酒できたら、


土曜日はご褒美にちょこっと飲んじゃおっかな~、なんてすでに目論んでいるあたり、


遂行は難しいかな^^


結果はまた報告させていただきます。





訳あって、しばらくブログをやめていました。

もう書くことはないかなあ、と思いましたが、言わずにいられないことがあったのです。


今、町の放射線量はいかがなものか


4月から小学1年生になった末娘ピピ。



下校時間に私が学校付近で待っているのをみつけると、硬い表情が一変、満面の笑みをたたえて走ってきます。


先日も、そんなピピの顔が見たくて私は学校の近くでピピを待ち、一緒に手をつないで通学路を帰りました。


けれど、ふとサイレンのようなけたたましい音がなっているのに気がつきました。


なんだろう。救急車?ではないし・・・


あっ


音の出所は、私が肩からかけていたエコバッグの中でした。

そういえば、ガイガーカウンターが入っていたのです。

出してみると、0.48μsv/hの数値が目に飛び込みました。


その場は高鳴る鼓動を抑えて帰宅しました。

静止した状態で数十秒ほど待たないとそうそう高い数値は測れないものです。

それが、子どもとのゆっくりした歩調とは言え、止まらずに通りかかったどこかの線量を感知して、警報が鳴ったのです。


一瞬で私とピピの岐路は真っ暗になりました。


一体どこに高線量の場所があるのだろう。


しかもそこを毎日、子どもたちが学校の行き帰りに歩いていたなんて・・・


週末、夫とふたりでじっくりとはかりに行きました。

警報音が鳴ったのは、道幅3mほどのアスファルトの歩道です。

道路寄り、約5mおきに街路樹があります。

この付近のどこか・・・


見つけました。

街路樹の根元の土の部分です。

警報音が鳴り響きます。



計測値は、0.3~0.6μsv/hでした。


危険です。



わが町千葉市は、周囲との差が1μ以上でないと除線等の対処はしてくれません。


市では市民に線量計の貸し出しを実施していますが、貸し出す際に、

「1μを超えていたらおしえてくださいね~」

と言うのだそうです。


そのため、人によっては、

「1μ以内なら安全なんだ」

と勘違いしてしまいます。


この一件は、小さな町の小さな通学路でのことですが、ココだけの話ではありません。


計っていない道路の向こうの街路樹も、隣町の街路樹も、ピピがソメイヨシノのさくらんぼをつぶしてマニキュア遊びをするという、学校の裏庭の木だって、木登りのできそうなあの木だって、こどもが蜜を吸うつつじだって、強い日差しを避けてたたずむ大きな木の下だって・・・。


どうか皆さん、街路樹からなるべく遠ざかってくださいね。


今日もピピを迎えにいきます。


ピピには、木に近づかないで歩くように、と言っています。


他のかわいい子どもたちは?


「そこは危険なの、なるべく近寄らないで!」

と皆に呼びかけたいのです。


けれど私は何も言えないでしょう。


そうすることが非難の対象になってしまうからです。


神経質になっていたずらに不安を煽るな、という声がどこからか聞こえてきそうです。


この風潮に複雑な思いを拭えません。







ふとしたことで元気をなくしたような時、悲しいことがあった時、つらい時、寂しい時、やりきれない時・・・人はどう乗り越えているのでしょう。


友だちにヘルプを求める、エクササイズをする、酒におぼれる、音楽を聴く、美術館に行く、ショッピングに行く、読書や映画で現実から少し距離を置いてみる・・・この世界には、人の心を癒してくれる手段はそこらじゅうに転がっているはず。


けれど、なにをしてもしっくりこないで引きこもってしまう時だってあります。

引きこもること、それも徹底的に引きこもること、それも元気になるための手段です。


自分のつらさにふたをして、無理に活動的にふるまううち、どうにか元気を取り戻す


それもひとつの方法ですが、私はあまりすきではありません。


とことん自分の内側に浸りきる

もう自分におぼれそうなくらい


悲しい

つらい

なんかイヤなかんじ


そう感じている自分の状態にただただ身を任せて自分を否定しないでおく


そうしているうちに


ゆっくりと見えてくる新たな自分の一面や未来への展望

それは時にあきらめだったりもするけれど。


深くて暗い海の底から少しずつ浮き上がって

そのうちにかすかに光が差すのを感じるように。


また一歩踏み出そうという勇気を与えてくれる、ひきこもり。



自分の感情や感覚を否定しなくてもいいじゃない

ありのままの自分でいいじゃない


ポジティブシンキング


とか


友だち100にん


なんて


そんなに大事なことかしら?



けれどネガティブな自分に浸るだけ浸ってもやはり、消えない悲しみもあります。


きっと悲しみたいんだ、と気づきます。

悲しいままでいたいから悲しいんだと思うのです。


あ、そうか

悲しむことはわるいことではないのかも、なんて気づきます。


悲しむ私も大事にしてあげよう。