クズの定義
ボクは競馬が好きだ。昔からずっと続いている唯一の趣味と言っても過言ではないと思う。競馬をやる以上、もちろん儲けはしたい。けれども、競馬で儲けることが出来るとは少なくともボクは思っていない。トータルで考えた時に、儲からないことは十二分にわかってやっている。じゃあ何故、競馬をやるのか?表現を変えれば、何故お金が減るとわかっていることを、わざわざやるのか。それは、単純に競馬が好きだからである。理屈ではなく、競馬が好きなのである。お金を増やしたいとか、刺激が欲しいとかそれらの理由ではない。それらの理由なのであれば、手段は競馬ではなくても良いと思う。パチンコ、競輪、競艇、宝くじなどのいわゆる「ギャンブル」と呼ばれるものたちでも問題がないハズだ。投資信託の類でも良いハズだ。しかし、それらには興味が湧かないのだ。ボクは、競馬が好きなのである。しかし、競馬も「ギャンブル」に括られる。「ギャンブル」とは、偶発的な事象に金品を賭けリターンを得ようとすることである。「ギャンブル」=「悪」とか「クズ」とかギャンブルをやらない人たちから見たら、どうしてもこのような、もしくはこれに近い評価になってしまう。競馬が好きなボクからしたら、とても残念なことである。しかし、言いたいことはわかる。実際に「ギャンブル」をしている人たちの悪い事象があり、それらの人たちの情報がある以上否定は出来ない。しかし、何を定義として「ギャンブル(競馬)」=「クズ」なのだろうと思う。人間的に聖人君子。家庭をとても大切にしている。人一倍の安定した収入もある。競馬でも儲けており、周囲にも還元している。こんな人はそうそう居ないと思うけれど、仮にこんな人だとしても、競馬を「ギャンブル」をやっている人だから、「クズ」になるのだろうか。誰にでも好きなことや、趣味があるハズだと思う。それがたまたま「ギャンブル」になってしまっただけだと、ボクは思う。もちろん、借金や、周囲の人たちに迷惑をかけてまでやっているとしたら、それはダメである。しかし、誰にも迷惑をかけず、自分の決めた範囲内で慎ましく楽しんでいるのなら、それは立派な趣味になるのではないのだろうか。何故こんなことを思ったかというと、競馬を好きでやっている人のハズなのに、「オレ、競馬が好きなんだよ〜。クズでしょ〜。」という会話を耳にしたからだ。好きでやっていることを自分で否定している。でも、好きだからやっている。でも、対外的には「オレも本当はわかっているんだ」と否定をする。でも、好きだからやめない。お金を賭けるから、クズなのか。非生産的だから、クズなのか。悪いイメージが根付いているから、クズなのか。どうなのだろう。「ボクの趣味はマラソンです。クズでしょ〜。」「私の趣味はカフェ巡りです。クズでしょ〜。」「ボクの趣味は映画鑑賞です。クズでしょ〜。」「私の趣味は旅行です。クズでしょ〜。」こうはならないし、誰も言わないし思わない。むしろ、普通か、好印象に映る。しかし、競馬は、「ギャンブル」はこうはいかない。何故なのだろう。どの趣味もお金がかかること自体に何も変わりがないのに。もはや、「ギャンブル」=「悪」「クズ」というような、根付いたイメージでしかないとしか言いようがない。「お金を賭ける=何か汚い、身を滅ぼす恐れ」これなのかなあ。。じゃあ、お金じゃなくて、「普段のお買い物で溜まったTポイント、楽天ポイントなどの諸々のポイントを賭けて、商品・賞金をGetしよう!」みたいにしたらいいのかな?