私は過去二十五年間を顧みて、まことに感慨無量だといふのは、わが国に、それ以来ほとんど一人も雑誌ヂヤアナリズムをはなれて戯曲作家らしい戯曲作家が生れてゐないといふことである。その理由はすこぶる簡単で、文学作品としての戯曲はすべての劇場に受け容れられず、たまたまこれを上演する劇団があつても、作家の生活はそれによつて支へられる希望がまつたくないといふことである。
世界のいづれの国でも、劇作家は劇場のために作品を書くのが原則で、その上演はもちろんつねに保証されてゐるわけではないが、少くとも、上演の可能性が作家を鼓舞激励して創作活動に向はせる仕組みになつてゐる。そして、一旦、舞台にかけられゝば、作品の価値はおのづから決定するのである。興行としての成功不成功はいろいろの条件に左右されるけれども、劇作家としての真価は作品の舞台化をもつてはじめて発揮され、世評もまたそれによつて定まるのが普通である。
いくらかの例外はあるが、戯曲がその上演に先だつて活字になることはない。従つて、活字になつた戯曲には、上演記録が附せられ、初演の際の劇場と配役がちやんとわかるやうになつてゐる。
