徒然草なる吾妻鏡3「偉人たちが零した愚痴」
腐りかけた脳細胞を刺激しながら天井を見つめる。かの文豪、芥川龍之介は「人生は落丁の多い書物に似ている。 一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。」と独自の人生感を語った。「人生とは、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいた時にはもう遅すぎる過ちの連続に他ならない」と嘆いたのはドイツの 哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーである。確かに過ちの連続を経てここに辿り着いた自分が居る。もしも自分が犯した過ちの十分の一でも覚えていたとしたら自分はきっと羞恥心に打ちのめされ発狂してしまっているに違いない。だが、幸いな事にそんな事などみん忘れている。17世紀に活躍したフランスのモラリストラ・ブリュイエールは数多くの名言を残しているが「人生にはただ三つの事件しかない。生まれること、生きること、死ぬことである。生まれる時は気が付かない。死ぬ時は苦しむ。そして生きている時は忘れている。」と、人生を皮肉った釈迦の金言を凌ぐ格言が好きである。気が付けば何一つとして事を成しえなかったくせに老人と呼ばれるだけの齢を重ねてしまった愚かな自分が居る。近頃では何に悩んでいたのかすら解らなくなるほど頭が混乱し一日の終わりにはこうして全身を布団の上に投げ出し好きな歌を大音量で聴きながら天井を見つめるのが日課である。かの坂本竜馬と共に京都四条の近江屋において暴漢に襲われ命を落とした中岡慎太郎が北川竹次郎に宛てた手紙の中で「志とは 目先の貴賤で動かされるようなものではない 今 賤しいと思えるものが明日は貴いかもしれない君子となるか小人となるかは家柄の中にはない君 自らの中にあるのだ」と語っている。何度読んでも、目頭が熱くなり勇気が湧いてくる。第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは「自省禄」の中で「人の一生は短い。君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、君は自分に尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中に置くことをしているのだ。」と語っている。自分の生き方に自信を持ち満足した人生を貫徹するのは言葉で言うよりも遥かに難しい。失敗と苦境と溜息にまみれそして自分の人生は既に終盤に差し掛かっている。だが、けして負け惜しみではなく人生は面白いと感じている。美濃、長良川において「面白うて やがてかなしき悲しき鵜船哉」とうたったのは松尾芭蕉である。篝火を焚きつつ鵜飼を繰り広げる様は面白いが催しが終わり鵜舟が闇の彼方へ消え去るにつれて言い知れぬ寂しさが胸に込み上げて来る気持ちを上手く句にしている。しかし自分は長い間「~やがて悲しき鵜船哉」を「~やがて悲しき花火哉」だと思っていた。どこで勘違いしたのかすら思い出せないで居る。鵜飼の篝火でも花火でも終わった時の物悲しさは同じかも知れないと解釈している。人生もまた同じだ。楽しい時代はいつまでも続かない。華やかな「篝火」を若さ溢れる青春時代に例えたとしたなら、闇の彼方へ消えて行く鵜飼の灯を見守る寂しさが丁度壮年期を終え様としている今この時期なのである。そのせいなのか近頃よく学生時代の夢を見る。そして時折すっかり忘れていた少し恋心を抱いていた可愛かった女子の姿が登場する。現在彼女は3人の子を持つ母と成り富よかな容姿に変貌していると風の噂で伝え聞いたが心の奥底でうずく憧れは今も変わる事はない。類人猿が誕生したのは今からおよそ6500万年前と言われている。人が誕生するのは500万年前である。類人猿が人に進化するまで6000万年を必要としている。縄文時代の開始時期は、18,000年前頃とされている。縄文時代の中期頃には既に狩りだけではなく農耕も行われていた。だが、この縄文人たちは有る時期を境に日本本土から姿を消している。何故縄文人は消えたのであろうか?日本列島に押し寄せた渡来人達が持ち込んだ疫病により免疫を持っていなかった縄文人が死滅したとする説が有る。長崎県平戸市根獅子町で約2000年前の女性の遺骨が発見された際彼女の頭蓋骨内に長さ約6mmの青銅製の鏃の先端部が残っていた。骨格の特徴から彼女は縄文人で有ると言う。この事から渡来人と縄文人との間に激しい戦闘が有った事はまず間違い無い。縄文人は渡来人との闘いに破れ死滅したのだろうか。だが、アイヌはこの縄文人の直系の子孫で有る事が最近のDNA鑑定によって明らかにされている。北海道のアイヌは他の人種との混血が見られない弥生人が渡来してくる前に日本列島にいた純潔の縄文人だと言うのだ。つまり、現在、日本人だと胸を張って生活している殆どの人の先祖は生粋の列島生まれではなく大陸から日本列島に押し寄せ先住民族である縄文人を駆逐し土地を奪い取った罪深き弥生人の子孫と言う事になる。ここで興味深い事は北海道のアイヌが縄文人の純潔を守り切った事から渡来弥生人が日本列島に侵入したルートはカムチャツカ、サハリンという北方ルートでは無く、九州ルートだった事が伺える事実で有る。1996年7月31日、アメリカのワシントン州ケネウィックを流れるコロンビア川の河畔で、約9300年前の古代人の骨が発掘された。この古代人の骨は「ケネウィックマン」と命名された。アメリカ先住民の祖先は、1万2千年前には凍結で陸続きで有った シベリアからアメリカ大陸につながるベーリング海峡をマンモスやトナカイを追ってやって来た北方モンゴロイドとされている。しかし、この「ケネウィックマン」は現在のアメリカ先住民や北方アジア人とは全く似ていない事が解り学者たちを仰天させた。何と、この「ケネウィックマン」は縄文人と現在のアイヌ人に最も近い特徴を持ち合わせているのだと言う。何と消えた縄文人は北海道からシベリアへ渡り凍結したベーリング海峡を渡り遥か遠いアメリカ大陸へ渡っていた大いなるチャレンジャーたちだったので有る。古代人の決断と行動力には驚くばかりである。ちっぽけな極東の島国の地方の田舎街で人生をくよくよ生きている自分が恥ずかしく思えて来る。この頃の平均寿命は約15年だっとされている。15歳を無事生き切った人間は30年、40年と生きたのであろうが多くの人たちは病気や怪我によって若くして命を落としている。そんな多くの仲間たちの儚い一生を目にし彼らは1度しか無い限られた人生を悔いを残さない冒険に掛けて旅立ち必死に生き、或いは人生を謳歌していたのだ。上手くいかない理由を誰かの所為にしている内は自身の成長も無く人生はつまらなく退屈ですら有る。しかし、非を自身に向けじっくりと考察してみると本当の自分の器量が見えて来るものである。常に本当の本音の自分と向き合っていると今迄他人に言えなかった事もすらりと口に出来るようになる。はっきりと物事が言える人生は楽しい。全ての要因は自身の中に有る。失敗の原因も成功の要因もだ。きっと学術的に言って自分は彼らの子孫では無いのだろうが何だか縄文人が勇気あるとても偉大な人達に見えて来てしまった。2015年5月、サザビーズロンドンのオークションにて2億円の高値が付いた事に会場がどよめいた。その値を付けた品は、日本で発掘された傷ひとつない完品の土偶で有った。縄文時代は約1万年続いたとされるのが現在の考古学の常識で有る。ひとつの文化が1万年もの長きに渡り繁栄続けた歴史は他地域では皆無で有る。そうした意味でも日本人は古来より、独特の文化を生み育むずば抜けた感性を持ち合わせた人種で有る。