今日はお昼に仕事が終わり、一時帰宅した。
今夜は久しぶりに自宅で眠れる。
物語は終盤に差し掛かった。
そして衝撃の事実が龍平に突きつけられる。
 
 
「寝ずの番」42
 
龍平は兎に角、寝ずの番人の任務を果たすべき、
新しい線香に火を灯した。
そして空き缶を片づけてからマネージャー室へと向かった。
自動販売機で冷たい珈琲を飲んで頭を冷やし、煙草を吸って落ち着く為である。
缶珈琲を片手にマネージャー室に来た龍平は、
狐目の山科がふんずり返っていた革張りの高級な椅子に腰を降ろした。
椅子の座り心地は最高で有る。
龍平は椅子を前後に揺らしながら
冷たい珈琲をひと口含むとその苦味を味わいながら喉に流し込んだ。
龍平は夢の恐怖をしばし忘れて、
カフェインとニコチンの相性の良さを思う存分に堪能した。
デスクの上の時計は午前3:25を指している。
龍平は短くなった煙草を灰皿でもみ消すと、また新しい煙草に火を点けた。
このまま次の交換時間までここにいようか。と、ふと思った。
龍平は胸いっぱいに煙を吸い込みながら、
洋子の亡霊と出会った時と、
さっき見た老人が出て来た不思議な夢とを比べて見ようと思った。
時間が経つにつれて、
源一郎が現れたのが夢では無かった様な
確信に似た強い思いが込み上げて来るのである。
それは、谷原源一郎が言った妾腹の息子俊一の名前である。
良庵は妾腹の息子が来るとは言ったが彼の名前が俊一だとは言わなかった。
龍平の知り合いにこの名前の男は居ない。
自分の脳は惰眠を貪るだけで情けない機能しか持ち合わせてはいない。
アルコール漬で壊死している部分が多いからだ。
その情けない状態の脳が、
聞いた事も無い人の名前を夢の中で作り出す能力が有るとはとても思えない。
龍平は今までそんな巧妙な夢など見た事が無かった。
つまり老人が俊一の名前を語ったと言う行為は、
秘密の暴露に当たるのである。
そして何より、
洋子の亡霊と出会った時の様に眼に写った映像は驚くほどリアルであった。
しかしその一方で、実は龍平自身が、
本当に自分は洋子の亡霊と出会ったのだろうか?との疑念を捨て切れずにも居た。
「あれは夢だった。」と否定する時も有れば、
「否、本当に自分は洋子と逢ったのだ。」
と心の底から湧き出でる何かに強く押されて肯定されてしまう事も有る。
明日、やって来た妾腹の息子にまず名前を尋ねてみよう。
そしてもしも彼が、「俊一です。」と答えたら、
それはさっき部屋に現れた老人は正真正銘の谷原源一郎その人だと言う事に成る。
そしてそれは、かつて龍平の部屋に現れたのも、
本物の洋子だったと言う事になりはしないだろうか。
そこまで考えが及んだ時、龍平の背筋に、ぞわっと悪寒が走った。
それは背中の毛穴と言う毛穴が次々と開いて行く嫌な寒気だった。
この異様な体験は良庵が言って除けた通り、
この世の中では摩訶不思議な現象が
実は幾つも起きているだと言う証明にもなるのに違いない。
そう思った時、長く伸びた煙草の灰が根元から折れて
龍平の黒いズボンに落ちてぱっと砕けた。
飛び散る灰を龍平は立ち上がりながら素早く手で払い除けた。
しかし、脳裏には血の気が失せて真っ白になった源一郎の顔が離れず写っていた。
源一郎は、鍵の在処をどうしても俊一に伝えたくて、現れたのだと言った。
源一郎は不憫な妾腹の子、俊一の為に相当額の金を用意しているのかも知れない。
それは不憫な子、俊一に取って人生を大きく変える幸運となるのに違いない。
龍平はふと、祖父隆弘が息を引き取った時の光景を思い浮かべてみた。
隆弘は生前、
「わしは龍平が孫の代になっても使い切れん程の宝を持っている。」
と豪語していた。
だが、実際に隆弘が亡くなって見ると
隆弘が買い続けたと言う膨大な量の骨董品は
中古車一台も買えないくらいの情けない価格で引き取られて行った。
あの日、急を聞いた龍平は夢中で自転車を飛ばして病室に駆け付けた。
そして隆弘の手を握ろうと指しだした龍平の手を隆弘は何故か遮った。
そして隆弘は病室の天井を指さしながら何かを言おうと口をもぐもぐさせた。
お爺ちゃんはやはりあの時、俺に何かを伝えようとしていたのではないだろうか?
もしそうだとするとあの日、隆弘は龍平に何を伝えようとしていたのだろうか?
龍平は悪戯に煙草の煙をマネージャー室でまき散らしながら更に思案を燻らせた。
気が付くと時刻は午前4時を過ぎていた。