お昼前、寝ぼけて同じ話を公開してしまいました。
お詫び申し上げます。
睡眠不足は天敵ですな。
老人には特に。
 
「寝ずの番」37
 
夢で良かった。
龍平はそう思いながら
腹を大きくうねらせながら安堵の溜息を何度も吐き出した。
夢とは言え、凶暴化した京太と対峙した龍平の心は大きく傷付いていた。
龍平は強張った体を起こすと、源一郎の棺の前に設置された小机の前で単座した。
香炉を見ると、煙を上げる渦巻き型の線香は残り僅かとなっていた。
龍平は新しい線香を取り出すと慌てた手付きで線香にライターの炎を近づけた。
危うい所で新しい線香に火を点けた龍平は、
島谷源一郎の遺影の前でほっと胸を撫で降ろした。
そして立ち上がり、小窓のカーテンを捲って外の様子を伺うと
外はすっかり夜の帳が降ろされていた。
龍平が見たのは、全く光が見えない闇の世界だった。
今火を点けた線香が燃え尽きるのは21時10分である。
龍平は念のために、携帯電話で鳴らすアラーム時間をセットし直した。
この仕事を引き受けた時、良庵は聞いてもいないのに
「過度な飲酒で無い限り大丈夫でしょう。」といい加減な事を言った。
龍平は良庵のその言葉にそそのかされて、
実は鞄に缶チューハイを3本を忍ばせていた。
だが、狐目の山科がまだ在館している筈だ。
初日に飲酒がバレてクビになるのは御免だと龍平は思った。
悪夢を見たせいで喉の渇きを覚えた龍平は
自動販売機の缶珈琲を買いに行こうと思い立った。
そして部屋を出て引き戸を閉めて何気なく廊下を振り返ったその時、
龍平の視線は不審な影を捉えて、胸をドキリとさせた。
す~と隣の部屋に消えて行く喪服姿の怪しい背中を見たのである。
飛び上がった龍平の心臓が胸の中で落ち着きを失った。
怪しい人影は背が高い男だった。だが龍平はその後姿しか見えいない。
だが確か狐目の山科は、
「本日、当ホールをご使用なさいますのは谷原家様だけで御座います。」
と言った筈である。
では、今見た背の高い男の後姿は何者なのだろうか?
胸の中で増幅しつつある恐怖は
時としてその人に幻影を見せる時がある。
だが、今龍平が見た人影は本当に裏付けが全くない幻影なのだろうか?
否。俺は、はっきりと人影を見た!
そう自信を深めたと同時に
龍平の背中には臆病風に吹かれた時の鳥肌がさっと走った。
平常心を失いつつある龍平の心臓は鼓動を打つ速度を急激に速め始めている。
あんなリアルで怖い夢を見ていなかったら
龍平はきっと、得体の知れない人影など鼻先で笑って
さっさと隣の部屋の引き戸を開け放って中を確かめた筈である。
しかし今、龍平の勇気は完全に萎えて何処かに隠れてしまっている。
龍平は、行こうか!と心で空元気を出して吠えてみた。
だが、肝心の足が一歩前に踏み込む事を頑なに拒んだ。
龍平は逃げる様にして自動販売機の明かりが灯る
明るい場所へと逃げる様に足早に急いだ。
そして自動販売機から出て来た缶珈琲を手にすると
自動ドアをくぐって外の喫煙所に向かった。
龍平の心は漠然とした恐怖に占拠されて
部屋に戻りたくない気持ちが強くなっている。
冷静になれ!
熱い珈琲を喉に流し込みながら龍平は怯え始めた自分を叱咤した。
しかし!と、心の中のもう一人の自分が囁く。
「さっき、あの背の高い男の背中を見ただろう?」
「見た!」と答える龍平。
「あれは幽霊じゃないのか?」
「幽霊なんて存在しない!」
「じゃあ聞くけど、お前確か洋子さんの亡霊に逢った事有るよな。」
「今は洋子さんの話はよせ!」
龍平は自分の心を怒鳴り付けたい気持ちになってベンチに腰を降ろした。
そして振るえる指で挟んだ煙草を咥えて火を点けた。