前回ご紹介した「パリの空の下」を調べていると、どうしても1930年のルネ・クレール監督によるトーキー第一号映画『巴里の屋根の下』に繋がってしまいます。

 

トーキー映画というのは(読者諸氏には説明の要もないと思いますが念のため)、動画フィルムに音声(セリフ、音楽や効果音)を同時に録音して映像と共に再生させるシステムのことです。映像に音声がシンクロしているのが当たり前田のクラッカー!だと思っておられる世代の方々には想像もできないでしょうが、トーキーこそがそれ以前の無声映画時代を一気に逆転させ、映画を大衆娯楽の王座に導いた映像文化での革命でした。

 

 トーキー(映画)第1号は、1927年の『ジャズシンガー』です。その主役を演じたアル・ジョルソンはアメリカ映画界にとっては“足を向けては寝られない”存在だといいます。この映画、ボクもビデオで発売されたのを買って初めて観たのですが、同時録音(撮影現場で歌唱、セリフも同時に録音する方式なので歌唱力がないとできません)で、いわゆる「アフレコ」ではないのが驚きの映画なのです。 

 

ボクの映画音楽に関するバイブル的資料『世界映画音楽辞典』(キネマ旬報社1978年)によれば、「クレールはダイアローグの氾濫によって場面が固定され、映画本来のリズム、動きを失っていた初期トーキーへの反発、反省を込めて、せりふをなかば音響的に使い、できるだけアクションや表情でドラマを表現した」と野口久光先生は本映画について述べておられます。

 

 映画『巴里の屋根の下』(原題:Sous les Toits de Paris)で主題歌が歌われる冒頭の場面です。 主役に扮したアルベール・プレジャンの演歌師が、楽譜を売るために人々を集めて歌唱指導しています。プレジャンの歌導映像は1分30秒あたりから。いかにもパリの街角を思わせる場面ですが、この映画でクレール監督は、パリ下町のオープンセットを中心に使って、パリの実景はこの映画では一景も使っていないそうです(上記資料による)。  

 

日本で公開されたのは、翌1931年(昭和6年)のことで、当時この映画を観た日本の映画ファンはたちまちフランス映画びいきとなりパリに憧れ、シャンソンファンが急増したそうです。

 

 さて次は、主役のアルベール・プレジャンが1960年に録音したレコード音源です。彼は長い間芽が出なかったのですが、ステージで物まねをしていた時にルネ・クレール監督に見出されて、この映画に抜擢されたことで一躍歌うスターとして人気を博し、以降は映画やステージで大活躍したとのことです。  

 

「パリの空の下」でも味わい深い歌唱を聴かせてくれたモーリス・シュヴァリエも「巴里の屋根の下」を歌っています。  

 

ティノ・ロッシも歌っています。少し時代は下がって、1971年の録音です。  

 

日本でも人気の高いシャンソン歌手、ジャクリーヌ・フランソワの「巴里の屋根の下」です。本当に歌が上手いと感心します。  

 

ちょっと番外編。意外でしたが「ダウンタウン」のヒットでお馴染みのイギリスの女性歌手、ペトゥラ・クラークがジャズっぽいアレンジで歌っています。  

 

この映画がパリへの憧れを煽ったこともあり、日本ではこの曲に西条八十が訳詞を付けて(早稲田大学仏文の教授ですからね)、田谷力三のレコードが1931(昭和6)年5月に発売されて大ヒットしています。これって映画が公開された年ですから、いかにカヴァー録音への対応がスピーディであったかが分かります。  

 

最後は日本の女性ポピュラー歌手の草分けのお一人、淡谷のり子も1959年に鈴木章二とリズムエースをバックに録音しておられます。  

 

詩人の萩原朔太郎が「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背廣をきて きままなる旅にいでてみん。」(旅上)とフランスへの想いを綴ったのは、1913年(大正2年)のこと。彼のデビュー作でした。

 

 クレールのこの映画の20年も前にフランスへの憧れを詩にしていたことになりますね。 この曲は、「パリの空の下」と同じく、Dupinさんにリクエストをいただきました。ありがとうございます。