いままでにボクが手に入れたポピュラー音楽に関する本のなかでも、アメリカのビルボード誌のチャートはポップス統計の信頼できるデータです。厚労省のデタラメとは違います(笑)。


この写真は、3年ほど前に買った『ビルボード年間チャート60年の記録』で、1955年以降のシングル、アルバムの年間ランキングがまとめてあり、資料オタクなボクはときどき眺めて楽しんでいます。

 

同誌のチャートが現在のスタイルとなったのが1955年。初年度のこの年だけは、シングルが30位までしか発表されていませんが、翌1956年からはHOT100となり、100曲のリストアップとなりました。その年、エルヴィスのチャート席巻が話題となりました。

 

さてビルボードチャート初年度の1955年はロック元年と呼ばれていています。それはビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が映画『暴力教室』で使われて大ヒット。この曲が時代を変えたと言われるくらいなので、ボクは当然1955年のベスト・ワンはその曲に違いないと思っていました。


ところが、この本を見て驚きました。ちがうのです。なんと1955年の1位は「Cherry Pink And Apple Blossom White/Perez Prado」(邦題とアーティスト名は「セレソ・ローサ/ペレス・プラード楽団」)なのです。1位はビル・ヘイリーさんじゃなかったのです。

 

「セレソ・ローサ」はスペイン語で、「Cereso rosa」と綴ります。なに?なに?これはフランス産のシャンソンではなかったの?

 

タイトルは「バラ色のサクラ」の意味ですが、原曲はアンドレ・クラヴォーが創唱したシャンソンでした。正式仏題は「Cerisiers roses et pommiers blancs」、邦題は「バラ色の桜んぼの木と白いリンゴの木」というタイトルで知られています。

 

作詞はジャック・ラリュ、作曲はピエール・ルイギイによる1950年の曲で、作曲のルイギイの代表曲はピアフでお馴染みの「バラ色の人生」です。

 

これが翌1951年にアメリカに渡り、「Cherry Pink And Apple Blossom White」という英題がついてジミー・ドーシー楽団などがレコード化されたところまでは、いままでシャンソンがアメリカでヒットしたパターンと同じですが、この曲がちょと違うのは、1953年にレオナルディという人がアレンジしたものを、当時マンボブームを世界に発信していたペレス・プラード楽団が演奏した録音が1955年のRKO映画『Underwater』に「Cereso rosa」(スペイン語「セレソ・ローサ」)というタイトルで使われました。そのレコードが1955年に大ヒットとなったという訳です。


では、まずは世界を席巻したペレス・プラード楽団の熱いラテンマンボで「セレソ・ローサ」です。なんといっても、冒頭のトランペットのハイトーンが聴く人のハートに火をつけたものでした。途中の♪ウッ、アッもお聴き逃しのないように(笑)。

なにしろ「ロック・アラウンド・ザ・クロックを差し置いて、10週もNo.1に輝いたのですから当時のペレス・プラード人気は凄まじかったようです。

 


この曲にマック・デヴィッドの英語詞がついてポップシンガーたちが録音した音源が残されています。


まずはジョージア・ギブスの1951年リリースの「セレソ・ローサ」。記録では、英語版で一番早かったのがこれです。

 

 

ヒットに釣られて、多くの録音が残されています。男性の優等生シンガー、パット・ブーンのヴァージョンがこれです。あくまで端正ですね。

 

パット・ブーン「セレソ・ローサ」1960年の録音だそうです。

 

 

それではシャンソンの原曲から。原題は"Cerisier Roses et pommier blanc"で、創唱はアンドレ・クラヴォーの1950年。これが初の録音(もちろんフランス語)です。

 

 


女性では日本でも人気のあったイヴェット・ジロー、1950年フランス語の録音です。ちなみにこの曲の作曲者、ピエール・ルイギーはイヴェット・ジローと結婚していたそうです(後に離婚)。

 


ジローさんは、日本語の歌詞でも歌っていて、「♪あの子とただ二人 石けりをしては 遊んだ懐かしい あの頃」の歌詞も懐かしい。

 

 


アンドレ・クラヴォーの歌ったシャンソンがアメリカに渡って英語詞が着いて歌われ、後にラテン楽団の演奏が映画に使われて、その熱い演奏のリズムとサウンドで世界を席巻する。

 

音楽世界巡りの見事なお手本ですね。