いうまでもなく、ボサノバを代表するナンバー。

 

アントニオ・カルロス・ジョビンとニュウトン・メンドンサが作ったナンバーで、ワン・ノート=一音だけがシンコペーションのリズムで綴られることが「ワン・ノート・サンバ」といわれる所以です。


でも「ミ」も続く音「ラ」も同じテンポで歌われますので、「ワン・ノート」ならぬ「トゥー・ノート」ということになりますか。野暮を言ってはしらけますね(笑)。

 

最初はジョビン自身が1964年TV番組「スティーヴ・アレン・ショウ」に出演した時の映像。ここではたどたどしい英語で歌っているのがご愛嬌です。

 

アメリカ発でボサノバは世界に広まったのですが、この「英語でなきゃ世界でヒットしないからね」という英語ファースト主義にジョアン・ジルベルトがプロデューサーのクリード・テイラーに反発したことはつとに知られています。アントニオはその点では柔軟だったようです。シナトラともTVでデュエットして英語で歌っていますから(興味のある方、必見です)。

 

 


次は珍しい組み合わせのディーン・マーティンとカテリーナ・ヴァレンテ。ディーノの番組にゲスト参加のヴァレンテに話しかけるディーン・マーティンの息が思いっきり酒臭いように思うのはボクの先入観でしょうか?

 

 


大御所エラとジョー・パス、超絶円熟味のデュオ。この録画の時期には音楽プロデューサー、ノーマン・グランツは『パブロ』というレーベルを立ち上げて、この二人の共演などをLP化していましたね。このスキャットは、絶品。無形文化財ですよね。

 

 

次は、popfreakブログにしては珍しいインスト・ヴァージョン。名手ローリンド・アルメイダのギターソロ~MJQの演奏という珍しい1964年のライヴ。淡々としたMJQメンバーのソロが堪能できます。今思えば、こういう大人なクール演奏がもてはやされた時期があったとは不思議でなりません。コーラス好きのボクは、MJQとスウィングル・シンガーズの共演のアルバム『ヴァンドゥーム』など大好きでした。

 

 

最近お気に入りのステイシー・ケント。2013年リスボンでのライブリハ~本番の公式MVで歌っています。アルバム『チェンジング・ライツ』に収録されています。映像がキレイで素晴らしい。

 

 

1番はポルトガル語で歌っていてボサノヴァの出所を明示しているアストラッド・ジルベルトのライヴヴァージョンは、案の定2番では英語です。彼女の歌唱力ではこの中間部の上下するメロディラインはちょっと難しいかも(失礼)。

 

 

歌もの最後は御大シナトラ。この人の流行りものへの着目は早くて、ボサノヴァが人気となるやいち早くアントニオ・カルロス・ジョビンを招いてテレビ番組で共演しています。そこでは「ワン・ノート・サンバ」は歌っていないので本記事には選びませんでしたが、堂々たる歌唱ぶりがさすがのシナトラです。ぜひ別個にYouTubeで検索&鑑賞されたし。

 

 


ホントウはここで終わるべきなのでしょうが、バーデン・パウエルの1967年ベルリン・ジャズフェスでの超絶技巧を見落とすわけにはまいりません。運指がどうなっているのか、神業としか思えない「ワン・ノート・サンバ」ギター・ソロ編です。そういえば若いころにライヴ演奏を見たことがあります。その時も神業でした。

 

 


アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・モラエスとジョアン・ジルベルト。この3人の内だれかが欠けてもボサノヴァは生まれなかったとボクは思います。それぞれが大切な役割を果たしたからです。

 

1959年のブラジルとフランスとイタリアが生み出した映画『黒いオルフェ』における「オルフェの歌」に次いで、ニューヨークに進出したジョビン=ジルベルトの一団が音楽プロデューサー、クリード・テイラーの旗振りで「イパネマの娘」ほか新曲を世界に拡散、その数年後フランスの若き映画監督クロード・ルルーシュの映画『男と女』における「サンバ・サラヴァ」でボサノヴァは世界に重層的に広がっていきました。

 

生み出された「新しい波」(Bossa Nova)が、何度も繰り返されて世界に押し寄せるかのように時代を席巻する仕組みが隠されているように思えます。

 

この曲をリクエストしていただいたDupinさん、ありがとうございます。