ボク自身のシャンソン体験を思い出してみると、短調と長調が行ったり来たりする軽快なワルツ「パリのお嬢さん」が、シャンソン初体験・初胸キュンのナンバーだったかもしれません。

 

でも聴いたのはオリジナルのジャクリーヌ・フランソワではなく、とてもキュートな日本のシャンソン歌手、中原美紗緒さんの歌う「パリのお嬢さん」だったような気がします。

 

中原美紗緒のSP盤音源。最初と後半がフランス語で、中間の3番4番が日本語訳詩(音羽たかし訳詩)で歌っています。

 

 

この方、東京芸大声楽科卒なんだそうです。1955年にキングレコードより「パリのお嬢さん」でデビューしました。シャンソンを歌うのにピッタリの家系で、叔父に画家の中原淳一、義理の叔母(淳一の妻)に宝塚で大活躍した葦原邦子、さらに中原家はパリで活躍した画家、藤田嗣治にもつながるそうです。ボクはほかに彼女の「フルフル」とか「河は呼んでいる」とかも子供心に大好きでした。余談ですが、彼女主演のTVドラマ『あんみつ姫』も欠かさず見てました。シャンソンは歌いませんでしたが(笑)。

 


この曲、ポール・デュラン(Paul Durand)作曲、アンリ・コンテ(Henri Contet)が作詞。歌の主人公は踊り子の衣装を縫うお針子(この言葉、通じますかね)の生活を歌ったものです。

 

この歌の創唱はジャクリーヌ・フランソワ。1948年のことです。歌手になりたかったものの認めてもらえず苦労したそうですが、起用された映画の二つの主題歌を歌ったところ、その内の「パリのお嬢さん」が大ヒットしました。

 

この映画『Scandale aux Champs-Elysees(邦題:巴里の醜聞)』ではスクリーンに出番はなかったのですが、1955年にこの曲をテーマにした映画『Mademoiselle de Paris(邦題:水色の夜会服)』が製作され、実際に彼女は出演して歌っています。

 

これはオリジナル盤の音源です。シャルル・トレネは「彼女とマイクの出会いは、レコード史上におけるエポック・メイキングな出来事だ」と評していますが、声量が小さいことを指すのか、ビング・クロスビーのようにマイク向きの歌唱法のことを意味するのかは不明です。

 

 


フレンチ・ポップスの人気もの、ダニエル・ビダルも歌っています。ビダルは1969年のデビュー曲「天使のらくがき」が日本でヒット。その後日本では「オー・シャンゼリゼ」もカヴァー(フランス詞の創唱は、ジョー・ダッサン。アメリカの映画監督ジュールズ・ダッシンの息子でアメリカ人)して活躍しました。

 

 


男性も歌っています。「パパと踊ろう」のアンドレ・クラボー。

 

 


アメリカに渡って英語ヴァージョンも作られました。フォー・フレッシュメンと覇を競った男性ジャズ・コーラス・グループのハイローズのテレビ出演時の珍しい映像です。『ローズマリー・クルーニー・ショウ』だそうです。

 

 


さて、マイクをフルに活用した最初の歌手といわれる、ビング・クロスビーも歌う「パリのお嬢さん」。音楽は言葉を超えますね。シビレます。

 

 


最後は本家、ジャクリーヌ・フランソワの1992年TV出演時の歌唱です。アレンジも洗練されていて、すばらしい歌唱です。この時、おそらく70歳近いと思われますが、マイクもいらないくらいの堂々たる歌力です。

 

 


ジャクリーヌは1953年、アメリカに巡業して大成功を収め、ジャズ・バラードの唱法を吸収して帰国。新しい境地を示し、1954年にはミシェル・ルグラン楽団を伴奏にオランピア劇場公演を成功させました。

 

世界を回って日本にも1958年、67年、71年と公演旅行を行ったそうです。