♪セっ、シっ、ボ~ン、と高英男サンがテレビに向かって歌いかける姿が、子供心に“ああ、これが女たらしていうのやな~”と思っていました(笑)。今思うと、ご本人に申し訳ない気持ちです。

 

なんといってもこの曲を世界に広めたイヴ・モンタンの女たらしブリときたら、高さんの比ではないようですね。


さて、この曲についての本題。1947年にアンドレ・オルネズ作詞、アンリ・ベッティ作曲で作られたものの、人気者シャルル・トレネが「セ・ボン(C'est Bon)」という曲を世に出した直後だったので誰もレコーディングしなかったそうな(笑)。

 

最初に歌った勇気ある歌手はシュジー・ドレールでニースのジャズ・フェスティヴァルで歌い、彼女の歌を聴いたルイ・アームストロングが気に入ってアメリカに持ち帰ったのだそうです。それがアメリカで「イッツ・ソー・グッド」(セ・シ・ボンの訳のままの英語)にしてジョニー・デスモンドがヒットさせました。

 

ジョニー・デスモンドは、40年代にはジーン・クルーパ楽団や後にベニー・グッドマン楽団の歌手として活躍した超甘ちゃん男性シンガー。この曲はいかにもお似合いですよね(笑)。

 

 


しかしそれより前にフランスで録音していた楽団がいました。時に1948年、昭和でいうと23年。日本ではまだシャンソンに聴き惚れる時代ではなかったのでしょうか。ジャック・エリアン楽団による貴重な録音です。

Jacques Helian & son orchestre 1948録音

 

 


では、世界の恋人イヴ・モンタンです。いくつかヴァージョンがあるようですが、これがスタンダードでしょう、きっと。

イヴ・モンタン

 

 


さて、ジャズ・トランペットにおけるソロ・プレイやアドリブを開発したといわれるルイ・アームストロングの名曲を見出す才覚の優れたこと。驚きますね。

 

 


「SHOJO-JI」の♪ショ、ショ、ショジョジ、ショジョジエフンダラクン・・・と何を歌っていたのか子供心に不思議過ぎた歌手、アーサー・キット。この人が「セ・シ・ボン」のフランス語ヴァージョンのお色気路線を世界に広めたとか。「ウスクダラ」も彼女でしたね、なんてご存じの方は今や少数派かも(笑)。

 

アーサー・キットの1962年の録音です。 動くアーサー・キット、初めてみました。感激!

 

 


実はこの曲をリクエストいただいた方から、「セ・シ・ボン」はとてつもなくセクシーな内容らしいとのタレコミがあり、それなりに手を尽くしたのですが訳詩を調べても「本当にオオ!だ、アア!だ、機会さえあれば抱き合っていられるのは」という一般的な賛辞のみ。フランス語の裏の意味をご存じの恋事情にお詳しいかたにお教えを乞いたいpopfreakです(苦笑)。


さてドーバー海峡を挟んだお二人が女性同士のデュエットで。ミレイユ・マチューとぺトラ・クラーク。「ダウンタウン」ですね、ペトラ・クラークの大ヒット。松ちゃん、浜ちゃんでも、達郎さんでもござんせんよ。

 

 


この人にかかると、軽妙なフレンチ野郎の軽い歌が、思い溢れて流れ出そうなくらいの情感に満ちてます。おお、バーブラ・ストライザンドの1967年、油の乗り切った壮大な歌唱です。

 

 

最後は戦後のシャンソン歌手の代表の一人、パタシュウの「セ・シ・ボン」。いかにもシャンソンの王道を感じさせてくれます。

 

 


それはステキだ、という「セ・シ・ボン」。それがアメリカに渡ってルイ・アームストロングが広め、またアメリカの黒人女性歌手がフランス語で色っぽく歌い、日本では高英男や江利チエミほかいろんな人が日本語で歌いました。

 

これがポピュラー音楽の素晴らしいところですよね。その上、世志凡太(せしぼんた)っていいうコメディアンも輩出するくらいですから、「セ・シ・ボン」も幅広いですよね。