バラの季節に、バラの歌にまつわる名曲を紹介したいと思います。

一般に知られているエディット・ピアフの「バラ色の人生」の創作過程は、1945年5月に女性歌手のマリアンヌ・ミッシェルがピアフの
もとへ新しいシャンソンが欲しいと依頼に来た時に、すでに曲想ができあがっていたピアフが歌詞をその場で「彼が私を抱くと、私には物がバラ色に見える」
と示すと、ミッシェルは「私には人生がバラ色に見える」と修正して出来上がった、というのが定説なのだそうです。

後に「愛の讃歌」を作曲するマルグリット・モノーは、「歌詞が馬鹿げている」と酷評したとのことですが、持ち帰ったミッシェルが同年11月に自分の経営する
キャバレーで創唱すると大成功。ピアフも1946年10月に録音、楽譜は翌年に出版されました。

まずはピアフの名唱から、ですね。後で、創作の他の説をご紹介したいと思います。


エディット・ピアフ ステージの動画(モノクロ)




次は、端正な歌唱で日本でも人気の高いジャクリーヌ・フランソワ。このかたの歌、ボクはとても好きなもので、多くの録音のなかから選んでみました。

ジャクリーヌ・フランソワ




フランスの女性歌手に絞って、時代順に並べると、70年代はこの人。張りのある歌唱で、フランスを代表していました。テレビ出演時の動画です。

ミレーユ・マチュー




さて時代は飛んで、2010年代のパリの人気者、ZAZの「バラ色の人生」。軽快でスウィンギー、さすが魅力的ですね。ボクも一度ZAZの赤坂でのライヴを観たことがあります。

ZAZ 




さて、フランスの歌が世界に広まる重要法則は、英語詞ができて歌いつがれることでしょう。「マイ・ウェイ」「ラ・メール」その他いろいろありますよね。

この「バラ色の人生」の英語詞は、1948年にマック・デヴィッドがつけて、同年の映画で歌われたのがきっかけだそうですが、それよりも世界にアピールしたのは、映画『麗しのサブリナ』のなかで主役のヘップバーンがハンフリー・ボガードとオープンカーでドライヴするときにアカペラで歌うシーンが、世界中に「バラ色の人生」を拡散(笑)した張本人だと思います。


なかなか見つかりませんでしたが、多数検索している間に見事、オードリー・ヘップバーンが歌うシーンを発見しました。

1954年の映画『麗しのサブリナ』のこの最初のところと、二人の会話の後も歌いますよ。ステキです。




ヘップバーンの映画での歌唱は、『ティファニーで朝食を』の「ムーンリヴァー」を窓辺で歌うシーンが有名ですが、この「バラ色・・」もいいですね。彼女には歌心があるのでしょう。

さてご年配の方にとって「バラ色の人生」の英語盤といえば、ジャズ手法の開発者でサッチモの愛唱でお馴染みの
ルイ・アームストロングの歌でしょう。前半はトランペットでの演奏で、歌は1:37~です。お急ぎのかたは飛ばしてください。せっかくのバラ色の人生を飛ばし聴きってのも、どうかと思いますが(笑)。




この方の歌も気になっていました。これだけ錚々たる歌唱があるのですが、箸休め的なポップなテイストで一休み(笑)。一時人気ありましたよね、肩パットと濃いめの化粧が実に80年代の香りですよね。

グレイス・ジョーンズ




そうそう、忘れそうになっていまいた。この「バラ色の人生」創作のアナザー・ストーリー。

ご想像通り、恋多きピアフにとっての創作の動機は「恋」。

1944年、ナチス占領からパリが解放された年の7月、ピアフは「ムーラン・ルージュ」のステージに立った時、同じ催しで出演していた新人歌手イヴ・モンタンを知ります。まだ無名で、ピアノ演奏にあがってしまったものの4曲を歌い終わったモンタンにピアフは近寄り、「あなたはすばらしいわ。一緒にやれるのはなんて嬉しいことでしょう」と告げた。ピアフの新しい恋の始まりですね。

彼女はモンタンの売り出しに奔走し、映画『光なき星』に出演させるなど献身的に働きかけた時期に作られたのが「バラ色の人生」だというのです。

作詞はピアフ自身、作曲はピエール・ルイギー。1944年10月12日に生まれた理由をルイギーは、「15人ほどが集まったホームパーティの後で、ピアフが立ち上がり、いっしょにシャンソンを作りましょう、と言い出して隣の部屋で突然、霊感にうたれたようにピアフは歌い出した」ということです。

ただ後のピアフの伝記によれば、この曲の作詞・作曲はピアフ自分でしたのだが、ピアフは作曲家協会の会員として認められていなかったため、ルイギイの名前を借りただけ、ということだそうです。(以上、この曲の顛末は、永田文夫著「シャンソン」1984年刊より引用しました)

この真相も藪の中、ということでしょうか。


さてわが国の歌い手の方にもぜひご登場願いたいと、お二人を選びました。

最初は、「希望」などのヒット曲があり、かつ歌い方がとてもスムースで心に伝わる岸洋子さん。ボクもファンでした。

岸 洋子 テレビ出演時の映像です。




最後は男性シンガー。一時はボリス・ヴィアンなどのフランスものレパートリーを意欲的に自分のショウに取り入れていたジュリー、こと沢田研二さん。

伸びやかな発声と、歌詞の説得力は数多い「バラ色の人生」のなかでも白眉ではないかと、popfreak一推しのジュリーです。余談ですが、同じ京都市出身で(沢田さんの実家は銀閣寺の近く、ボクは西陣です。あ、関係ないか)
、より親近感倍増です。

沢田研二




それにしても恐るべき多数の録音・演奏がYouTubeにアップされている「バラ色の人生」。ピアフとシャンソン・パワーを思い知ります。それとその大きな要因は、戦争が終わってパリが解放された象徴としてシャンソンが日本でも愛好され、
それらが平和の使者として広く受け入れられたことも大きなよりどころとなったはずです。ちょうどフランスの人たちにとって、戦後本格的に入ってきたジャズが「平和の象徴」として捉えられたことと共通しているように思えてしまいます。


【特別盤】

ここで止めようと思っていたところに、こんな「バラ色の人生」を発見しました。フランスの宝石Piaget(ピアジェ)のプロモーション用に、
なんとボクが一時ハマっていた(渋谷クアトロでのライヴまで行きました)メロディ・ガルドーが、フル・ヴァージョンの映像で歌い出演しているのです。

フランスの世界ブランドが時々展開するMV制作の一つのようですが、メロディさんがこんなゴージャズな映像に出演していたとはついぞ知らなかったもので、ぜひぜひとボーナストラックとしてアップします。

メロディ・ガルドー 

Piagetの宣伝用映像ですが、ほとんどイメージでしか商品は登場しません。素晴らしい映像です。