チリ鉱山の事故で、最後の一人が救出されたときに聴きたかった歌があります。

「人生よ、ありがとう」(Gracias a la vida/グラシアス・ア・ラ・ビーダ)。

ボクは救出現場にいたすべての人みんなが、この歌を歌う場面を想像してしまったのですが、果たして歌われたのは国歌だったようですね。

「人生よ、ありがとう」はチリの国民歌ともいえる歌で、チリを代表するビオレタ・パラが作って歌った彼女の代表曲です。



ビオレタ・パラは、チリ南部の貧しい家庭に生まれました。生計を助けるために子供のころから歌やギターで音楽活動を始め、チリの農村や鉱山地帯を歩いてその地域ごとに伝承されてきた民謡を探す旅を続けました。

それをきっかけにラジオ番組で紹介で集めた民謡を紹介し、チリ以外の国からも注目される存在となります。

ビオレタは、民謡採取の旅の途中で見聞した社会の矛盾や政治の怠慢などに憤りを覚え、それらを歌にするようになります。そして後に“社会派”というラベルを貼られることになる反体制ソングを歌い始めたのです。

鉱山労働者の悲惨な労働の様子を描いた「太陽は頭上に燃える」や、不毛な地域においやられた先住民の無念を描いた歌を歌い、彼女は次第に体制側の怒りを買うようになります

また彼女は、恋多き女性でした。最後の恋は40歳を裕に過ぎたころにスイスからやってきた、息子ほどの歳の差があるよそ者でした。


その恋は破局。また当局から睨まれてきたことで相当ないやがらせを受けたことなどが誘因となったためか、ビオレタは次第に神経を病んでゆき、ついに50歳を迎えるころについにピストルで自ら命を絶ったのです。

「人生よ、ありがとう」は、死の数年前、すでに苦しみ抑圧されたときに作った曲だといわれています。驚くべきは、そういう状況にあって「人生よ、ありがとう」と人生に感謝するビオレタ・パラの姿勢です。

この気持ちが、聴く人の心を打つのでしょうか。

多くのカバー録音が行われました。その中で、ボクが独りだけ選んだのはアルゼンチンのフォルクローレの名花、メルセデス・ソーサの「人生よ、ありがとう」です。


メルセデス・ソーサ「人生よ、ありがとう」



その後、チリにビオレタの精神を引き継いだ一人の活動家がいました。歌を武器にして体制に異議を唱えたビクトル・ハラです。

しかし1973年、軍事クーデターによってアジェンデ政権を倒したピノチェット政権によって、ビクトル・ハラが虐殺されたことは世界に衝撃を与えました。

$♪blowin' in the music こちらは虐殺されたビクトル・ハラ

こんなチリの長い歴史があったからこそ、ボクが今回のチリの鉱山事故の後、その昔そこで働いていた人々の苦しみを歌ったビオレタ・パラの歌こそが全員救助に際して歌われるべき曲だったのではないか、と思うのです。

それにしても、救出=美談として大はしゃぎのわが国のマスコミのは姿勢はいったんなんでしょう。

ビオレタ・パラの歌でも聴いて、すこしはチリの鉱山労働者の歩んだ悲惨な歴史など学習されてはいかがでしょう。


(ビオレタ・パラについての記述は、竹村淳・著『ラテン音楽名曲名演ベスト100』と、数年前にようやく探し当てたCD『ビオレタ・パラ/最後の、そして永遠の作品集』(発売元:オーマガトキ)の濱田滋郎・著のライナーノーツを参考にしました。)