虹の橋へ
悲しいご報告になりますが…
夏頃から闘病していたウランが1月3日、虹の橋を渡りました。
12月後半に入ってから目に見えて弱っていき、最後の一週間は徐々に食べられなくなっていきました。
最後の3日間は歩くのもおぼつかなくなり、それでも私の後を追ってきたり、水を飲みに行ったりトイレに行ったりしてました。
色んなご飯を並べても顔を背けるので一度、口に入れてみたんですが、体力ないのに必死に抵抗する姿が辛かったです。
アンディを亡くした時、私が飲ませた水をきっかけにアンディが苦しんで亡くなったんです。
その記憶があり、ウランにとどめを刺してしまうのではないかと怖かったんです。
だから無理な強制ができなかった…
最後の日。
朝仕事に行く支度をしていた私の後を追って側に来ていたウラン。
抱っこして暖かい場所に連れていき、「お母さんお仕事行くからね。今日は遅くなるけど待っててね」と撫でながら伝えて仕事に行きました。
休憩中にペットカメラに写っていたウラン。
寝ていたのでお腹が動いているか確認してホッとしたのですが夕方カメラに映らない所に移動していて心配になり。。。
仕事が終わって真っ先にカメラを見ても映ってなくて、カメラのレンズを動かしてもどこにも映らず、急いで帰りました。
家に着いてウランの元に行き、明らかに朝より弱々しくなった体を抱っこしました。
抱っこしてしばらく撫でながら話しかけていると、間の空いた口呼吸になって、1月3日21時10分。。。
そのまま亡くなりました。
私が帰ってから15分後くらいでした。
私との約束を守ってくれた最後まで親孝行な娘でした。
息ができなくなるくらいウランを抱きしめて泣きながらいっぱい話しかけて。
そのあと、ウランをキレイに洗って乾かし、お気に入りのベッドに保冷剤と共に安置しました。
そして今日1月5日13時。
天使はお空に帰りました。
お気に入りのベッドにお骨を安置しました。
我が家はお花を食べようとする子がいるのでお花を飾ることができません。
今は沢山のうまうまを並べています。
帰ったらしばらくノエルがウランの側を離れなくて。
この後、すみれのいる寝室にウランを連れていきました。
今まで私は仕事の都合上、晩年をたっぷり時間をかけて一緒に過ごすということが難しかったんですが(アトム、じゅんのすけ、アンディ、みかん)、今の店は有難いことに早く帰られるシフトを組めたり休みが取れたり百貨店だから元旦も定休日だったりで、ウランとの時間をたっぷり作ることができ、ウラン優先で過ごしていました。
ウランは他の子の名前を呼んでも我先に私の側に来るくらいヤキモチやいてくれて私にベッタリだったので…白いモフモフがいない部屋がとにかく寂しいです。
今回葬儀はいつもお願いしていた所が休みでネットで検索して口コミ良かった所にお願いしたんですが、心に寄り添ったお式をしていただけました。
また、爪の骨、しっぽの骨、歯などの小さなお骨をカプセルに入れてプレゼントしてくださったので、お骨を寝室とリビングに分けて置き、いつでもウランの側で過ごせます。
初めてのクリスマス。
アトムやじゅんのすけ、アンディ、みかんと一緒に遊んで待っててね。
お母さんの娘になってくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
いつまでもいつまでもお母さんはウランのこと、好き好きやからね。
ウランの闘病を今までお話していなかったので突然のご報告に驚かれたと思います。
ウランの前でウランの闘病や病状について誰にも話さないようにしていました。
ブログなんだからウランにはわからない事ですが、なんとなく、ウランの良くない話のオーラみたいなのが伝わってしまうような気がして、書けませんでした。
12歳と4ヶ月。
生まれつき心室中隔欠損で長く生きられないかもしれないと言われてた白いフワフワの女の子は腎不全で亡くなりました。
ただ、火葬後のお骨の状態から最期は腎不全ではなく心臓だったのではないかと言われました。
お骨はキレイで栄養状態も良く、長患いで苦しまなかったことがわかります、とも言われました。
それだけが救いです。
ウランは今頃、病から解放されてお空の上でみんなと笑ってくれてるといいな。。。