島ネコになりたくて - 沖縄シマジマ徒然記 -66ページ目

ふるさと切手「ゴーヤー」を買う

Yomiuri Onlineの地域情報で沖縄のニュースをチェックしていたら、「ゴーヤー切手好評(記事がもう削除されてしまったのでリンクを消しました。代わりに琉球新報 の記事をどうぞ。) 」との記事を発見。

なになに・・・

ゴーヤーの日(5月8日)に近い5月6日に売り出されたらしい。ゴーヤーと赤瓦のデザイン 。シーサーも乗っている。夏らしくてかわいい。これは買うしかあるまい!

仕事中も切手が気になって仕方ない。会社からの帰り道、夜まで開いている郵便局にいそいそと寄る。1シート20枚。現物を見たら興奮してなぜか2シートも買ってしまった・・・。

こんなに切手に情熱を注いだのは長野五輪 以来だ。長野はちょっとゆかりのある場所なので、あの時はボランティアなんかもやって燃えたなー。

葉書を書く機会も少なくなった今日この頃、切手を買ったのも久しぶりだ。でも、改めてまじまじと見ると、この小さい面積で一つの芸術が成り立っている切手って奥が深い。

「ふるさと切手」も今回始めて知った。沖縄県が前回発行したのは、ゆいレールが開通したときみたい。県特産品がデザインされたのは、マンゴー,パイナップルに次いで3回目とか。次はどんな切手が出るのかな。楽しみが一つ増えた。

「瑠璃の島」第4回 & 小西真奈美さん

今回はよかった。放送日は、所用のため夫婦そろって地方のホテルに泊まっていて、自宅で見るときよりも集中して見た。だからかどうかはわからないけど、何かストレートに「いい」と思った。

那覇から体験学習にやってきた小学生との交流(戦い?)を通して、瑠璃とさなえ先生が徐々に「鳩海島側」の人間になっていく姿が印象的。これまでお互い素直になれなかった瑠璃とさなえ先生が抱き合う場面、ジーンときた。

 さて、さなえ先生役の小西真奈美。今さら書くまでもないけど「ココリコミラクルダイブ」なんかにも出演中の、かわいくてスタイルがいいだけじゃない、実力も兼ね備えた女優さんである。

鹿児島県出身。当初はモデルとして活動していたが、たまたま見た舞台に感動し、つかこうへい劇団のワークショップ(オーディション)に参加。厳しいオーディションに勝ち残って劇団生となり、舞台の世界に入ったという経歴の持ち主。

 その小西真奈美といえば、2003年に放送された「運命が見える手」というドラマが印象に残っている。(第20回サントリーミステリー大賞を受賞した、中野順一さんの「セカンド・サイト」が原作。)

彼女が演じる主人公の花梨は、沖縄の伊是名島で小学校の教師をしているが、「人の手を握るとその人の運命が見えてしまう」という不思議な力を持っていた。あるとき、一緒に暮らしていた祖母(南田洋子)が、島で男性の死体が発見されたのと前後して体調を崩し、入院。そんな祖母の手を握った花梨は、祖母が何者かに襲われる運命を見てしまう。その翌日、祖母は病院を抜け出し東京へ。それを追って花梨も東京へ行くのだが・・・

小西真奈美のちょっと神秘的かつナチュラルな魅力が主人公の雰囲気によく合っていた。彼女の意志の強そうな佇まいは、沖縄女性の芯の強さを自然と彷彿とさせるし。

今でも鮮明に覚えているのは、蜃気楼のようにユラユラと映し出される島の儀式の場面。この世のものとは思えない、ちょっと背筋が寒くなるような感覚にとらわれた。(関係ないけど、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが「風の盆」を見たときの印象もこんな感じじゃなかっただろうか、と勝手に想像。)

そして何といっても柏原崇とのラブストーリーが迎える衝撃のラスト。切なかった。

 残念ながらDVDは出てないみたい。再放送しないかな。

 ちなみに、原作は「沖縄」とは全く関係ないらしい。ドラマ制作者が「これからは沖縄だ。沖縄に繋げたら絶対ウケる!」と思って設定を変えたのかな。だとしたら、その思うツボにはまったってわけですな。

タイガー&ドラゴン 第4回「権助提灯」復習

 今回の古典は「権助提灯」

 ある風の強い晩、妾を抱える旦那は正妻から「妾のところに行っておやりなさい」と勧められ、権助に提灯を付けさせ妾宅へと向かう。ところが、旦那から事情を聞いた妾は正妻を気遣い(あるいは女の意地から?)、旦那を泊めることをやんわりと拒否する。再び、権助を引き連れて自宅に戻り、正妻に事情を伝えると、正妻もまた妾を気遣い(あるいは女の意地から?)、一向に旦那を泊めさせない。こんな調子で本宅と妾宅を何度も行き来した末、夜が明けてしまう、という話。

 放送を見た後、「権助提灯」について少しネットで調べてみた。

 「権助提灯」は女性の「悋気(りんき)」をテーマとした代表的な古典である。ドラマの中で、「悋気って何だよ!」と虎児がどん兵衛に詰め寄るシーンがあったが、恥ずかしながら自分も「悋気」って言葉の意味を知らなかった。「悋気」とは嫉妬、もっと簡単に言うと「やきもち」のこと。「悋気は女の七つ道具」なんていうことわざもあるらしい。

 もっとも、「権助提灯」は「悋気の無い女性」の話として演じられることも多いようである(いろいろな解釈があるようで、調べてみたが結局よく分からなかった)。
http://www.sgy2.com/site/tanabeyose/mokuroku/2003/10/
http://www.hpmix.com/home/mochiie/D2_27.htm


 ところで、「権助提灯」について、興味深い論文を見つけた。
「落語に見る女と男」菅野則子

 以下、「権助提灯」に関する記述部分を一部引用させていただく。

 「社会の基底には一夫一妻が通念としてあり、それを踏み出したものへの無言の制裁を含意しているようにも見え、男の虫のよい考えとそれを全うし得ない優柔不断さとが鋭く風刺されているようにもみえる。しかし、ここではそれ以上に本妻と妾のふたりの立場の違った女性の複雑な心理を見落とすわけにはいかない。一妻多妾を是認する男社会に巻き込まれた女性の複雑であり、かつ屈折した心理を。語り手がどの部分を強調するかによってこれらの演目の主張は多面的に捉えられるかも知れない。しかし、演目の奥のところでは、それを笑い飛ばすことによって一夫一婦制の貫徹を曖昧にしてしまっているかのようである。「本妻」と「妾」という違った立場におかれている女性たちを一律に、しかも当然のことのように「嫉妬」深いものとして描出することで、男の不法を黙認しているかのようにも受け取ることができる。このような演目を作り上げたり語り伝えるものが男であるというところに一つの限界をみないわけにはいかない。」

 こんな見方もあるのか、と感心。

 しかし、こういう視点から振り返ってみると、今回の現代版エピソードでは、古典の設定をそのまま持ち込むのではなく、「嫉妬深いもの」が中年のおじさん2人(どん兵衛(西田敏行)と組長(鶴瓶))にアレンジされている。

 さらに、およそ焼きもちなどとは縁遠い虎児(長瀬智也)が、竜二(岡田准一)とメグミ(伊東美咲)が一緒に帰宅したことに生涯初のジェラシーを覚えたり、虎児と竜二の2人に銀次郎(塚本高史)が「何だよ、(二人の)その連帯感は!」と嫉妬したりと(この気持ちはすごくよく分かる)、いろんな立場の人間が表すいろんな形の「悋気」が差し込まれていることに気づく。

 おそらく、このドラマには、古典を知らなければ分からない細かいストーリーがたくさん盛り込まれているのだろう。次回からは、古典を勉強するとともに、録画して2度3度見返してみようと思う。

 そういえば、岡田くん主演の大人気映画、ご存知「木更津キャッツアイ日本シリーズ」の南の島のシーンは、宮古島周辺で撮影されたらしい(池間島や大神島での目撃情報もあるみたい)。以上、島の豆知識。

宮古島回想記 その十三

(お知らせ:いつも読んで下さっている皆様、ありがとうございます。たいした意味はないのですが、ブログ名を「島ネコになりたくて」に変更しました。引き続き、宜しくお願い致します。)

<3日目(つづき)>

今回2回目の来間大橋。橋の上から見る来間島と前浜の間の海は、これまでで一番の美しさかも。

来間大橋

この来間大橋は日本一長い農道橋(1,690m)で、開通したのは1995年。車だとあっという間に渡れてしまうこの橋のおかげで、今では我々観光客も気軽に来間島を訪れることができる。しかし、この橋が架かるまでの住民の方々の苦労は並大抵のものではなかったようだ。

宮古から帰ってきてから「楽園の花嫁 」という本を読んだ。この本の著者である砂川智子さんは本土出身者。写真を学んでいた智子さんは学生時代に沖縄を好んで訪れ(今でいう「沖縄病」だったようです^^)、将来ご主人となる来間島出身の重信さんと出会う。重信さんの「来間で農業をやりたい」という希望に応える形で結婚と同時に来間島へ移住。「楽園の花嫁 」は、そんな智子さんの島での生活の苦労や喜びがギュっと詰まった一冊である。

嫁いでこられたのが1986年、それから10年近く島は純然たる「離島」だったことになる。橋が架かるまでの来間-前浜間(約1.7km)の足は船であった。その昔はサバニ(くり舟)が、昭和40年頃からはエンジン付きのサバニと小型の和船が、その後はフェリーが活躍していたようだ。

しかし、船便は天候に左右されやすく本数も少ない。智子さんはこう書かれている。

「子供のミルクや紙おむつを買いに、予防接種や検診、農協や郵便局へ行くにも、すべて海を渡ってタクシーを頼んで行かなければならなかった。(中略)台風の日に子供が熱を出したときも、第三子のお産の時も大変だった。街からの帰りは前浜で船を待つ。間の悪い時間に来た時は、前浜で一時間も一時間半も船を待つ時があった「一体、私はここで何をやっているのだろう」。子供を遊ばせて前浜の白い砂を掴みながら恨めしい気持ちで、輝くエメラルドの海に浮かび上がる来間島を何度も眺めた。」

近くて遠かった来間島。それゆえ、来間大橋が開通したときの喜びを「夢の大橋ついに開通」と表現されている。

確かに、橋の開通によるマイナスの影響を懸念する声も当時からあり、実際に島は少しずつ変貌しているという。

それでもなお智子さんが橋の開通を大いに歓迎していらっしゃるのは、それまで度重なる苦労を経験されてきたからに他ならず、それは、どんなに辛い時代も島を離れずに住み続けてきた住民の方々も同じであろう。

我々観光客も、大橋を観光のための橋と勘違いすることなく、砂浜を汚さない、必要以上に島民の生活に立ち入らない等、最低限のマナーを守って島の散策を楽しみたいものである。

・・・これらはすべて帰ってきてから知ったこと。行く前に読んでいれば、とちょっと悔やまれる。

(Amazon)
著者: 砂川 智子
タイトル: 楽園の花嫁―宮古・来間島に渡った日々

さてさて、車は橋を越えて来間島に到着。両脇に植物が生い茂る細い道路をたどり最初に目指すのは、映画「深呼吸の必要」にも登場した長崎浜だ。

「島では服に金がかからない」は本当か?

 先日のブログ にも書いたが、我が家は洋服にそれなりの金をかけている。決して高価なものを買っている訳ではなく、バーゲンやらアウトレットやらでパーっとまとめ買い、といった感じだ。

 余談になるが、その帰りに思う存分食べて飲み、カラオケに行って各々が自らの快楽を満たすためだけに歌い、DVDを借りて雑誌を買って家で夜更かしをする。これが年に数回のストレス発散デーの過ごし方である。離島でのシンプルな生活を夢見る一方で、こういった商業的というか退廃的な都市型ライフも完全には捨てがたい、というジレンマを抱えているわけである。

 本題に戻るが、でっかい紙袋を持った自分たちへの冷たい視線を感じながら、決まったように交わされる会話がある。

 「こんなんじゃ、島での生活は無理だな」
 「大丈夫、そもそも向こうでは服必要ないから」

 確かに沖縄に行ったときにはTシャツや短パンで過ごすことが多い。それゆえ、こんな会話で感覚的に納得していたのである。

 そこで、本当に沖縄の人は服をあまり買わないのか調べてみることにした。総務省が毎年公表している「家計調査」 のデータを引っ張ってみると

そのものずばりの結果が出た。

1ヶ月間の服代(調査では「被服及び履物」)の全国平均は12,465円。それに対して、沖縄地方の平均服代は

5,929円!

もちろん全国ダントツの低さ・安さである。ちなみにトップは東海地方で13,478円。関東地方が13,207円で次いでいる。

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 生活支出費の高低があるので、絶対額で比較することが妥当かどうかという問題はある。しかし、生活費に占める服代の割合(ファッション係数とでも呼ぼうか)から見ても、沖縄は3.1%と全国平均の4.7%を大きく下回っている。

 「島では服に金がかからない」は、データ的にも正しかった。

 しかし、である。都会で染み付いた「シーズンごとに服を買い足す習慣」や「ストレス発散的な買い物の楽しさ」は、そう簡単に身体から離れないんじゃないだろうか。

 「沖縄には全国から洋服の売れ残りが集まってくるんだよ」と、パナリのツアー で一緒だったお兄さんに教えてもらったことがある。だから、本土と比べて激安の価格で掘り出し物を見つけられる場合もあるそうだ。

 「いざとなったらそういう場所に行けばいいんだ!」と胸を撫で下ろす自分に、「そこまで洋服のことが気になるのかよ」とあきれるもう一人の自分。

 島に住むようになったら、こんなこと考えなくなるんだろうか。それとも、こんなこと考えるヤツはそもそも移住なんかしないんだろうか。これまでに出会った移住組の皆さんは、かなり、おしゃれな方が多かった気がするのだが、どうなのだろう。
(本土から移住した皆さん、教えて下さい。)