台湾新幹線の席で
ライ麦パンを食べながら
旅をしてる自分を
周りの人はどう思うのか
仮にこの旅が
帰れない約束の旅だとしたら
自分が死んだとき
例えば
供養をいつ
どうして欲しい…とか
どこそこに葬って欲しい…とか
いろいろ考えるとき
結局それは
旅に出ているのと同じで
たまたま音信不通になる場所で
帰れない場所なだけで
結局は
思い返してもらえるかどうか
思い返してもらえないことが寂しいかどうか
そういう問題のように思える
もし
思い返してもらえないとして
それが
寂しいだろうか
生きている間の旅なら
寂しいように思う
でも
死んだあと
寂しいと思える主体なのかどうか
いなくなって
寂しがられたとして
それがいったい
自分にとって
何だというのか
仮に
寂しがられているかどうかすらわからないなら
結局
そんなことは何にも関係ないわけで
また仮に
寂しがられていることを
魂が知ることが出来たとしても
卑しき自己満足に過ぎない
結局
どう死のうが
死ぬ瞬間までの問題であって
自分にとって
旅の間
どう思われていようと
あまりどちらでもいいことなんだと思う
ただ
せっかく生まれて
生きるからには
どうせ死ぬなら
自分が
誰かにとって毒にも薬にもならなかった…ってのは
やっぱりつまらない
誰かに影響を与えたり
誰かに追われたり憎まれたり
無意味に忘れ去られるより
たまに
誰か思い出してもらえる自分でありたい
そう思う
旅は寂しくない
ネットカフェからメールを送るつもりが
送れていないけれど
こんなときしか
考えないこと
考えていたかった
目がさえた(^_^;)
ライ麦パンを食べながら
旅をしてる自分を
周りの人はどう思うのか
仮にこの旅が
帰れない約束の旅だとしたら
自分が死んだとき
例えば
供養をいつ
どうして欲しい…とか
どこそこに葬って欲しい…とか
いろいろ考えるとき
結局それは
旅に出ているのと同じで
たまたま音信不通になる場所で
帰れない場所なだけで
結局は
思い返してもらえるかどうか
思い返してもらえないことが寂しいかどうか
そういう問題のように思える
もし
思い返してもらえないとして
それが
寂しいだろうか
生きている間の旅なら
寂しいように思う
でも
死んだあと
寂しいと思える主体なのかどうか
いなくなって
寂しがられたとして
それがいったい
自分にとって
何だというのか
仮に
寂しがられているかどうかすらわからないなら
結局
そんなことは何にも関係ないわけで
また仮に
寂しがられていることを
魂が知ることが出来たとしても
卑しき自己満足に過ぎない
結局
どう死のうが
死ぬ瞬間までの問題であって
自分にとって
旅の間
どう思われていようと
あまりどちらでもいいことなんだと思う
ただ
せっかく生まれて
生きるからには
どうせ死ぬなら
自分が
誰かにとって毒にも薬にもならなかった…ってのは
やっぱりつまらない
誰かに影響を与えたり
誰かに追われたり憎まれたり
無意味に忘れ去られるより
たまに
誰か思い出してもらえる自分でありたい
そう思う
旅は寂しくない
ネットカフェからメールを送るつもりが
送れていないけれど
こんなときしか
考えないこと
考えていたかった
目がさえた(^_^;)




