思い出して泣いてしまいました・・・
本当は恥ずかしくて、公開したくなかったです。
だけど、せっかく新しいことを始めたのだから
この機会に、私の過去についてまとめようと思いました。
少し長くなりますが、最後まで読んで
もらえるとうれしいです。
私の実家は普通じゃありませんでした。
周りのみんなが『当たり前』と思っていることを
経験したことがなかったのです。
まるで、戦後の日本にタイムスリップしたような家庭でした。
物心ついた時から私の家は貧乏でした。
家族旅行なんて行ったこともないし、
ほしいものも買ってもらえませんでした。
クリスマスプレゼントなんてもらった記憶はありません。
家にはエアコンもないので、
夏場は扇風機だけで暑さをしのいでいました。
お風呂にはシャワーすらついていない家だったのです。
最初に乗った自転車も親戚からもらったボロボロの自転車でした。
唯一おさがりでなかった真っ赤なランドセルは
小学校を卒業するまで本当に大事に使いました。
貧乏だったのにも理由があります。
これは時間がたってから知ったのですが、
父が友人の連帯保証人になり、
数千万の借金があったそうです。
父はお人好しで、信じていた友人に騙され、裏切られ、
逃げられ、借金を背負ったのです。
だから、私はずっと貧しい家庭で、
いろんなことを我慢して育ちました。
夏休み前になると、友達は家族旅行の話をします。
その話に交われず子供ながらに旅行に行けない劣等感を感じていました。
小学生の時に使っていた絵の具セットやピアニカ、
お裁縫セットも、全部兄からのお下がりで、
なにひとつ新しいものは買ってもらえませんでした。
リコーダーの色がみんなと違って私のだけ白色だったので
クラスの男子に「お前、兄ちゃんのリコーダー使って気持ち悪いな」
と、馬鹿にされたこともありました。
私にとっての『普通』は友達にとって「気持ち悪い」ことだったのです。
兄からのお下がりなので、男物だし古くて、
友達のピカピカの道具を見ていつも
「いいなぁ。私も新しいのが欲しいな。
でも家は貧乏だからしょうがないんだ。」
と幼いながらも自分に言い聞かせていました。
中学生の時もみんなかわいい自転車で通学している中
私はやはり兄からのお下がりの
ボロボロの自転車しか与えられませんでした。
ブレーキをかけるとキーっとものすごい音が鳴るので、
人前でその自転車に乗りたくなく、
学校まで少し遠かったですが、
我慢して歩いて通っていました。
高校生になる前の春休み、
友達はみんな携帯を買ってもらっていました。
私の家は当然携帯なんて買ってもらえるはずもないので、
初めての携帯はお年玉で自分で買いました。
みんなが持っているものは
同じように私も欲しかったのです。
この多感な年頃、友達には
私の家庭が貧乏だと知られたくありませんでした。
それを隠すために必死で、バイトをしました。
バイト禁止の高校でしたが、
生活のためにも働くしかなかったのです。
私にはそれ以外に選択肢がありませんでした。
週に5日バイトをし、携帯代、電車の定期代、
自分の服代、遊び代、すべて自分で稼ぎました。
高校生にしては稼いだと思います。
そんな私を見て、「そんな稼げて絵美は羨ましい」と言う友達もいました。
でも、
そんな生活なんて私は望んでいませんでした。
みんながしている当たり前のことを、当たり前に感じることができる
そんな生活ができたら私にとっては十分でした。
しかし、それすらも叶うことはありませんでした。
私は、
「なんで、みんな部活したり遊んだりしているのに
私はこんなにバイトしているんだろう。」
「なんで家は貧乏なんだろう。」
「なんでこんな家に生まれたんだろう。」
ずっとそんな風に思っていました。
そんな環境が嫌で嫌でたまりませんでした。
次第に、私は学校をサボるようになりました。
学校をサボっても、お金のために
バイトだけはちゃんと行っていました。
そんな生活が続いていたある日、そんな私に父は怒りました。
怒ると感情的になる父は私の髪を引っぱり私を殴てきたのです。
私はこのままでは殺されるのではないかと、
本気で怖くなったのを今でも覚えています。
泣きながら家を飛び出し、
祖母の家に逃げ込みました。
「なんで、私の家はこうなんだろう。」
「なんでお金持ちの家に生まれなかったんだろう。」
「なんで私は頑張っているのにこうなんだろう。」
「お金があれば幸せになれるのに。」
本気で親を恨みました。
父のせいでこんな生活になってしまったのに
私を叱る父が憎くて憎くて仕方なかったです。
「高校を卒業してお金を貯めたらこんな家出てってやる」
「就職して一人暮らしをして、親に縛られない自由な生活を送るんだ」
「もうちょっとだからがんばろう」
その一心で、卒業までは高校生活を耐え抜こうと決意したのです。
「今の生活を絶対に変えてやる!」
という思いから、本気で就職活動をしました。
商業高校ということで、周りの友達も就職先を決めていく中、
私も無事に家電量販店に就職することができたのです。
就職してからは、稼ぎたい一心で頑張って販売しました。
高校の頃に感じていた不信感を払拭するために
本気で、誰よりも働いていました。
しかし、どんなにどんなに頑張って売っても、
褒めてはもらえるけれども
歩合制ではないので給料は増えませんでした。
社会人になったことで、給料はもちろん
高校時代のバイト代よりは多いので、
自由に使えるお金はすこしだけ増えました。
しかし、それと引き換えに
自由な時間はありませんでした。
毎日毎日、夜の10時11時まで仕事で、
サービス残業も多く、休みの日は疲れて寝る。
こんな日々が続きました。
就職して3年半がたち、
「なんのためにこんなに毎日働いているんだろう。」
「こんな毎日でいいのかな。」
「自由な時間が欲しいな。」
「もっといい仕事があるんじゃないかな。」
そう考えるようになり、辞めることを決意しました。
ずっとお金がないことに劣等感を感じ過ごしてきましたが、
お金を手に入れるには、自分の時間を
犠牲にしないといけないことを知ったのです。
「どんなに頑張っても私が望む世界はやってこない」
「高望みなんてしたことはなくて、
ただ『みんなと同じ』を味わいたかっただけなのに・・・」
そんなことすらも叶わない人生を送ってきました。
考えれば考えるほど私の望みからは遠ざかっていき、
現実という壁に絶望という二文字を突きつけられたのです。
家電量販店を辞めてから、
今度は自由な時間が欲しかったので
自分で働く時間を決められるようにと、アルバイトをしました。
しかし、やはりバイトだけで生活するのは苦しく
「なにか就職しないとな」と考えました。
その時に、知り合いの人に生命保険の営業に
誘われました。
「保険の仕事は、時間も融通がきくし、早く帰りたい時は16時に帰れるよ!
給料も頑張ったぶんだけ増えるよ!」
そんな甘い誘惑にコロッと私は載せられてしまったのです。
「もともと販売をしていたから、
営業も大丈夫だろう!やってみよう!」
あまり、深くは考えず、親にも相談せず
働くことを決めました。
決めた後、親にはひどく反対されました。
それでも、私が求めている生活が
手に入ると信じて、営業をやっていこうと決意しました。
最初の2ヶ月間は研修なので同期たちと楽しく勉強していました。
が、3ヶ月目から急に企業へとびこみの営業をさせられ、
営業の厳しさを知りました。
それまで、仕事自体に躓くことはありませんでしたが
ついに、お金や時間だけでなく、仕事でも壁にぶつかったのです。
それまでは、仕事だけは頑張って結果を残してきましたが、
それさえも叶わなくなりました。
保険の営業というだけで、周りの反応は冷たく
その時初めて、「保険の営業は周りから煙たがられる」
と知ったのです。
営業で数字の取れない私は、企業だけでなく、
友達や家族にも勧めていかないといけませんでしたが、
私は人間関係が悪くなるのが嫌で
なかなか勧めることができませんでした。
親戚には勧める前から、「うちは入れないからね!」
と、冷たい言葉を浴びせられました。
思うように結果の出ない私は、だんだんと会社に行きたくなくなり
ついに会社を無断欠勤しました。
一度無断欠勤すると、さらに行きづらくなり
しばらく休み、その後退職することとなりました。
正直、「辞められて良かった」と思いました。
それと同時に「私はダメな人間だ」
「いい年して周りの人に迷惑かけて、どうしようもない人間だ」
と自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
それからしばらくの間、落ち込んでいましたが、
生活のためには働くしかありませんでした。
そこで、私はやっぱり接客が好きだし、
今まで接客業以外やったこともなかったので
今度は携帯ショップで働くことにしました。
でもサービス業はやはり、夜遅くまで仕事でした。
またもや私の自由は奪われました。
休みは平日なので友達と遊ぶこともなかなか出来ませんでした。
世の中には、早く帰れて給料の安いところか
そこそこの給料で、拘束時間が長く、自由のないところしか
ないのかと絶望しました。
「雇われるというのはこういうもの」
「働かせてもらえているだけいいんだ」
「働かないと生きていけないし、仕方ない」
そう、自分に言い聞かせながら、我慢して仕事を続けていました。
毎日毎日、仕事に行って、夜遅く帰ってきて疲れて寝る。
またもやこの同じことの繰り返しの日々でした。
しかし、携帯ショップで働きだして、ちょうど5ヶ月たったころ
私は、自分の人生、価値観を変える出会いをしたのです。
それは、Facebookにあった
ひとつの記事でした。
そこには私の友人がネットビジネスをするために上京したと
書いてありました。
私はその投稿に載ってあった、URLを開きました。
そこにはひとつの動画がありました。
動画を再生すると見たこともない人たちがいて、
聞くと何億円も稼いでいるとあったのです。
正直、「胡散臭いな」と思いました。
が、その反面、
「この人たちは誰なんだろう」
「ネットビジネスってなんなんだろう」
と、すごく気になっている自分がいました。
それから、ネットビジネスをしているその人たちを検索したり
その友人がFacebookに投稿するたびに記事を読みました。
ネットビジネスについて調べました。
そして私は唖然としました。
「こんな世界があったんだ」
「ネットビジネスしている人ってこんなにもいるんだ」
「なんで今まで知らなかったんだろう」
「私の理想はまさにこれだ!!」
そう思いました。
でも、ネットビジネスというものを知っただけの私には
なにをすればいいのかわかりませんでした。
ただ憧れるだけでなんにもできず、
お金持ちの起業家たちのブログや
Facebookの投稿を見る毎日。
「いいなあ。今日もこんな美味しそうなもの食べてる」
「こんな高級な時計買ってすごいなあ」
「こんな高級なタワーマンションに住んでいるのか」
憧れるだけではなにも変わりませんでした。
「私もこうなりたい」
「この人たちみたいに稼いで自由になりたい」
「どうやったらこの人たちみたいになれるんだろう」
そんな気持ちばかりが募っていきました。
そんな時、アフィリエイトを始めたばかりで
すぐに収益をだしている方のブログを発見しました。
私は単純に
「すごい!こんなすぐに結果を出せるなら私にもできるかもしれない!」
そう思い、その方にすぐにメッセージを送りました。
次の日、返信がきました。
その方からアフィリエイトのシステムや始め方を教わりました。
そして、同じように私もやってみました。
少しですが収益がでました。
「あ、こういうことなんだ」
システムがわかった私はそれから必死で考え、
どうしたらこのアフィリエイトで初心者でも稼げるのか考えました。
そしてそれを実践してみました。
すると、10日で20万を円稼ぐことができたのです。
それが、昨年の8月下旬のことでした。
ネットビジネスに出会ってから1ヶ月で
私の生活は大きく変わり始めたのです。
私が試した方法は誰にでもできるものでした。
実際にほかの人に教えてみると、
教えた人も同じようにすぐにできるものだったのです。
ネットビジネスに出会うまでは、本当に
つらい思いをしてきました。
物心ついたころから20年
「よく我慢できたな」と今までの私を褒めてあげたいです。
『現在』を手に入れるための我慢の20年だったのかもしれません。
今の私は毎日本当に充実した生活を送っています。
まだまだ、始めたばかりなので
よくある『楽して稼ぐ』とか『自由な時間を手に入れる』
なんてレベルではありませんが、
そのための第一歩を踏み出したと思います。
これまで気にしていたことや
つらかったことを忘れるくらいに
充実した生活を送れるようになりました。
ずっと貧乏で、時間もなかった私ができたんです。
あなたにできないはずはありません。
ちょっとだけでも、自分の望んだ生活が送れるように
一歩だけ踏み出してください。
もしかすると、私よりもつらい思いや
お金に困っていた人、私以上に頑張っていた人
はいるかもしれません。
あるいは、私と同じような境遇の人もいるかと思います。
そんな人の人生を少しでも変えることができたら
それ以上の幸せはありません。
今の気持ちを忘れずに、人を幸せにしながら
ビジネスをしていきたいと思います。
本当に長くなりましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました!
加藤あおい
