私が12歳だった頃のおはなしをすることにする。
私には大親友がいた。
毎日2人で遊んでいた。
ずっと同じクラスだった。
好きな人のおはなしや、好きなことのおはなしをした。
しかし、その子は転校することになった。
今までその子としか仲良くしてこなかった私は、いきなりひとりぼっちになった。
放課後も1人で宿題をした。
ちょっとしたことで笑わなくなった。
公園のブランコは、キィキィと哀しく鳴いている。2人で逆上がりの練習をした鉄棒もこんなに冷たかっただろうか。
みんなにとっては楽しい昼休みも、
すべてからっぽになってしまった。
トイレの中で昼休み終了のチャイムが鳴るのをひたすら待った日もあった。
みんなが書いた習字をずっと眺める日もあった。
悪夢はここで終わらなかった。
トイレ掃除を担当していた時のことである。
掃除当番のメンバーは、私以外に年下の2人がいた。
掃除中、いきなりその子たちに
「なんでそんなに笑わないの?」
と言われた。
ここで初めて気づいた。
私から自然と笑顔や楽しいという感情がなくなっていたことを。
その一言を言われた日から
嫌な出来事は日に日にレベルを上げていった。
掃除用具を入れるロッカーに閉じ込められた。
ドアを開けようとしても、当然開かない。
「開けたいなら押せばいいじゃん」
彼女たちは言った。
言われた通りに押す。
わずかに開いたドアの隙間から見える
彼女たちの目は今でも覚えている。
毎日掃除当番の彼女たち、そして同じクラスの男子からのイジメで頭を悩ませた。
誰かに言いたかった。
おうちに帰れば、私の学費や生活費で頭を悩まし、喧嘩ばかりしていた両親がいた。
親には言えなかった。
担任の先生に言ったら、親に知らせが行くから言えなかった。
言う友達もいなかった。
そんな生活が続き、私は初めての自傷行為をした。その時の痕は、今でも左手に残っている。
そして拒食症になった。
給食や夕ご飯はほとんど残してしまった。
食べ物を見ると気分が悪くなり、体が受けつけなかった。
拒食のせいで、いつのまにか私のウエストは、父の太ももよりも細くなってしまった。
症状は悪化し、食べ物を見なくても毎日胸焼けがしていた。
そんなある日、いろんな思いが爆発したのだ。
家族でテレビを見ている時、こんな生活が耐えきれなくなって、みんなの前で泣いてしまった。
ずっと気分が悪いんだと親に話した。
イジメのことは言えなかった。
母は、私にお布団をかけてくれた。
父は、仕事の帰りに新鮮なフルーツを買ってきてくれた。
弟は「大丈夫?」と声をかけてくれた。
家族の愛が温かくて、泣いた。
布団にもぐって、声が出るまで泣いた。
数ヶ月後、掃除当番の彼女たちは私をいじめることに飽きたのか
「もう気持ち悪いからあんたとは関わらないようにするね。」
と言い、イジメをやめた。
心が軽くなった。
暗い毎日から少し解放されたことが嬉しくて、青空を眺めながら泣いた。
公園も、踏み切りも、ピアノ教室も
見える世界すべてが滲んだ。
君が差し伸べてくれた右手さえも。
