1.「つらい」を何のせいにもできなくなってきている
最近、色々なつらさを誰のせいにもできなくなってる。
創作とか自分の好きな事で昇華できれば一番なんだけど、
何かをやろうとする力がどうしても起きない時には使えなくて。
そういう時にはこっそり、誰に話すでもなく、
「今自分がこんなにきついのはあれがこうだからだ」みたいに
ふと考えて一区切りつける必要がある。
難儀なことだけど、前に進むためには、実は結構重要なことで。
でもそれができなくなっているとなると、正直結構やばいんじゃないのかなあと思う。
自分の「つらい」を引き起こしているものが、
誰を責めるべきでないものであることを理解した分、
自分のせいにもできないし、地面についた意味のない裂目のせいにもできなくなっている。
うーん。難しい。
2.発達障害は「誰のせいでもない」
発達障害は、誰のせいでもなく、傾向として存在するものなのに、
どうして私が責められなければならないんだろうと思うことが、実は結構ある。
声には出さないけれど。
誰のせいでもないことを責められている分、責めた者勝ちな状況が存在してしまって
責められた側はどんなに正当性を主張してもぼこぼこに叩かれてしまって。
でもたとえ、理解がない人/しようとしない人が、私を責めてきたとしても、
私はその人たちのことを悪い人だと、どうしても言えない。責めることができない。
かといって自分を責めることに甘んじることもできないし。
そして、実際にこういう事態をなくすためには、
一般の人に理解を促す活動が必要なのだと思うけれど……。
でもその後、活動を受けて「理解した人たち」は、
理解してもなお生まれる理不尽な悪い気持ちを、
どこに追いやればいいんだろうとも、考えてしまった。
そう考えていると、何かいい方法はないものかなと、ふとどこかに祈りたくなる。
3.「共感」するということ
対人コミュニケーションを円滑に進めるためには、
「共感」をベースにした会話がとても重要なのは理解しているのだけど、
以前から、「共感」をベースにした会話に、苦手意識が結構強い。
やってもやっても難しいと思う。
しかも自分に気力がないときは、なおのこと難しくなってしまうのだということにも、今日気づいてしまった。
さて、どういう風にしてトレーニングしていけばいいんだろう……。
やっぱり、相槌のバリエーションを増やしていくことからかなあ……。

