会いたくない誰にも。
学校は休み倒した。
お母さんは卒業できるのかと発狂していた。大学入ってからかな、発達障害という言う言葉をたまに耳にするようになっていた。
ぐちゃぐちゃに散らかってる部屋を見てあんたは発達障害なんだ。とか。
生活保護に落ちるとか。
お母さんは医療従事者で、薄々そう思う所はあったのかもしれない。
鬱病の薬を飲むよう言われた。
中学の頃から度々心療内科には連れて行かれていた。元々お母さんが鬱病なのだ。私も中学の頃感覚過敏が嫌で学校を度々サボるようになっていて、その時最初に連れて行かれたのだ。
心療内科の先生は、「ゆっくりしなさい」と言ってお薬を出すだけだった。何を話しても、「それは鬱だからだよお、休養してね。」それだけでは何の解決もしなかった。
薬を何回か飲んだが、何回も辞めた。確かに薬を飲んだ方が楽だったけど、あっても別に解決はしなかった。根本的には何も変わっていないのだから。
そしてまた心療内科に連れて行かれると、双極性障害と診断された。
お母さんには少しだけ休ませて欲しいと泣きながら懇願して学校をしばらく休ませてもらうようにした。
信じられない暴言を吐くけれど根本的には凄くお母さんは甘かった。そこのバランスでいつも傷ついた。早く自立したかった。
そこから毎日が絶望だった。一日のほとんどは寝て過ごしていた。状況を何とか変えたくて、本を読んだりネットをしようとしても気がついたら気力を失って寝ていた。
寝ている時と食べている時だけが辛うじて快楽を感じられた。お母さんも同じ事を言っていた。ただもうどんな好きな物を食べてもそこまで幸せじゃなかった。
madonnaやp!nkの力強い音楽を聞いて何とかメンタルを保っていた。
そこで見ていたのがadhdの本。
私をずっと悩ませていたのはこれなんじゃないのだろうか。
お母さんにずっと説得して言い聞かせた。
心療内科の先生は多動がないので違うと思うと言った。(多動は大人になると基本的に無くなる事が多いのだが…)
お母さんはそれを認めたら生活保護に落ちるから認めないで頑張れと言った。お母さんの弟は統合失調症で、精神障害の手帳で生活保護を受けて生活している。元々は国立大の工学部でエリートだった。お母さんにはトラウマなのかもしれない。
でも、私はやっぱりはっきりさせたいと思ったし、正直ここまで苦しむ理由が欲しかった。理由が見つかったら対策が練れるから、とか言っていたけどとりあえず何かのせいにしてしまいたかったんだと思う。
支援センターに連絡したら、一ヶ月ほど待つよう言われた。
そんなある日、ふいに大学の友達にイベントに誘われた。学校来てよと言われて。結構好きな友達だった。
学校大丈夫?とか来なきゃやばいよ。
とかじゃなくてシンプルに会いたいと言われたのはそれが初めてだった。
嬉しくなって、誘いに応じた。学校に行ったら皆おお!ひさしぶり!って感じで応じてくれた。イベントも行って、ひさしぶりの外出で疲れたけれど、必要とされた感じがして嬉しかった。
気付いたら突っ走ってた。前期の試験だけでも勉強しようと言われ言われるがままに勉強して学校に通っていた。
支援センターの約束は気付いたらすっぽかしてた。
ふと、下宿しようかな、と思った。
親から離れた方がいいのかもしれないと思った。友達からも学校こっちの方が絶対楽だし下宿しなよ!と言われたし、下宿したいという気持ちが高まった。
親にお願いしまくって下宿させてもらう事にした。お父さんは反対だったらしいけど最後まで直接は何も言って来なかった。
お母さんはすぐに許してくれた。難色は少し示したがお母さんは本当に押しに弱い。基本何でも言う事聞いてくれたりする。甘やかされて育ったんだ私は。