思い出さずに忘れましょう


この言葉は 私が在宅ヘルパーとして初めて伺っていたおばあちゃまが言った言葉です

とても気骨のある方で やけに気があって色々な話(恋バナまで!)を聞かせてもらいました

そのおばあちゃまがとうとう一人暮らしが難しくなり 急きょ施設に入ることになり心の準備もないままあたふたと引っ越されていきました

最後に掃除と洗濯をやらせていただいて そのお別れの時に私がうるうるしてしまったら 彼女が「思い出さずに忘れましょう」と言ったのでした


今 時間があると佐々木閑先生の動画で釈迦の生き様としての仏教についてを聞いているのですが 私はふと あのおばあちゃまのこの言葉を思い出したのです


仏教の中では「愛」という言葉は良い意味より「執着」「しがみつき」という意味が強いそうです


私が別れが悲しいと強く思ったのは おばあちゃまに対する私の思いが大きかったからです、、思いが強いことは愛とも言えますがと思いますが執着でもある、、それに対しておばあちゃまは「忘れましょう」と言う言葉を返してくれたのです


私はその時 言葉の意味がよく意味がわからなかったけど とても強い意思を感じました

今少しおばあちゃまの言葉の意味がわかるかもしれないと思っています

別れの悲しみを作り出しているのは私でした

人と人との付き合いにはいつかは別れ(大きく括ってあえて言うなら 人間には死という別れ)が来ます

それをそのままに受け入れるために いつまでもその悲しみを持ち続けないために おばあちゃまは「忘れましょう」と言う言葉をくれたのだと思います

人との関わり方をおばあちゃまは教えてくれたのかなと感じます


私が言うとなんだかわかりにくいので 先生の動画の一部を写メさせていただきました








おばあちゃまは日常の中でも このように「手放していく」考え方で過ごされてきたのだと思います

10年ごとに物や思いを片付けるのだとも話しておられたことも思い出されます




大乗仏教以前の仏教の教え つまり釈迦の教えは「人はどう生きるか」がテーマです

「どう救われるか」ではない、、絶対神などいないからです


仏教は長い歴史の中でさまざまに進化していきました、、私たちはバラバラに伸びたその進化の枝葉の先っぽを断片的に知っているだけです

だいぶはじめの教えとは違った解釈も多くあるようです

それらが間違いというのではなく「大元は一体どんなものだったのか、どのように枝葉が伸びていったのか」という壮大な話を 私は学び始めているようです


お経ってキリスト教の祈りの言葉のようなものなのかと思ってきたのですが 釈迦と弟子たちとの問答が多いそうです

佐々木先生はその中身を噛み砕いて話してくれるのです

自分でお経を読まずに内容を知るなんて なんだかお得な感じです