2,旅立ち
1990年正月、同僚のY氏と話し、夏に中国旅行をということになった。
僕は学生時代の1985年に一ヶ月、
中国の主要な都市を一人歩きしたということもある。
ふってわいたような話に
僕はすっかり有頂天になってしまった。
(詳しくは1985年中国一人旅を参照して下さい)
「鑑真号という船が日本から上海へ出てますよ。
これだと片道25000円で行けますね。」
我々二人はできれば安く行こうと自分で旅程を考えて、
できるだけ自分でチケットを手配しようとしていた。
ちなみに僕はそのころ慶應義塾大学通信制課程で
文化人類学なるものを専攻していた。
つまり大学生。学生証の威力は大きく、
25000円が22000円になったのである。
ところがそうして着々とプランを立てている頃、
Y氏は残念なことに転勤になってしまったのである。
すっかり意気消沈したが、乗りかけた船ならぬ
「乗りかけた鑑真号」
というわけで、一人での中国行きを決意したのである。
行き先は中国南部、雲南省。
米をはじめ味噌、醤油、漬物その他様々な
日本食のルーツの地であり、
日本人の祖先はこの地域の人と関係が深いとの学説もある。
そうした雲南を訪ねて、
この目で、この手で原日本人の文化を再確認しよう!
というのがこの旅の目的である。
もちろん、あの面倒で、こやかましくて、
それでいて人情味あふれる中国
にもう一度行けるというのが何よりの楽しみだった。
一晩かけて翌朝横浜に到着。
7月31日午後5時横浜の大埠頭から
上海に向けて客船鑑真号は出航する。
余裕を見て午後2時に大埠頭に行くと、
もうそこにはかなりの人たちがごった返していた。
日本人、帰省の中国人、香港人、その他の白人。
乗船手続きとやらのため、外で長い列の最後尾に並ぶ。
気温30度を越えるうだるような暑さの中、
太陽のもとで長い列は遅々として進まない。
しかしこの列にぐったりしているのは日本人ばかりで
日本で留学や出稼ぎをして帰国すると思われる香港人
は喜々として大声で何やら冗談を言い合っている。
彼ら独特の体臭、甲高い広東語。
そうしたものが入り混じり、ここはすでに日本ではなかった。
ちゃちな船を想像していたが、
乗客500人乗組員70人、総トン数9000トンの大きな船。
少々面食らってしまった。
2時間近く並んでようやく乗船手続きを済ませ、
リュックを背負い直してすばやく船内へ駆け込む。
切符は「二等和室」。
船底近くの20人部屋で、じゅうたんの上に各自
幅50センチくらい(肩幅ってこと)の
布団(というよりマット)と毛布が置いてあり、
全員がそれらをすべて敷き詰めると
荷物の置き場もなくなるほどの狭い部屋である。
何はともあれ、これで中国へ行ける。リュックを置いてほっとする。


