最近テレビを見ていると、やたらとアメリカ社会の分断という言葉が出てくる。中間選挙でトランプと反トランプが拮抗してきたからか。泥棒にも三分の理というが、あれは同情する部分が少しはあるものだという例えで、極端な保護主義にも三分の理などと言うのがあるはずがない。拮抗してきた理由は、アメリカ国民の中に、流石に行き過ぎだろうという危機感が生まれて、ブレーキがかかったのだろう。民主主義が正常に働いているという証拠であり、流石に民主主義を牽引してきた国である。

日本はどうか?悪法が次々に出てきても全くブレーキがかからない。国民の意識が異常に低いと言わざるを得ない。民主主義の機構が正常に働けば、アメリカ中間選挙のように選挙結果として現れて然るべきである。江戸時代から庶民はお上に逆らえないという伝統が長く続いたせいか?昔のお上は官僚だが、今は議会もあるのだから昔の百姓のように命を捨てて直訴する必要も無くなった。ところが、政府と議会が癒着(司法すらそう思えるところがある)していて三権分立が働いていない。太平洋戦争で負けて、アメリカに諭されて輸入した民主主義だから中身が伴わないのかもしれない。先進国の仲間入りをしたつもりで、国としての成熟が出来ていない。

もっと気になるのは、原発と反原発が日本社会の分断などと言い出した事だ。勘違いも甚だしい。ぼーっと生きてんじゃねえよと言いたくなる。わかりやすく例えれば、水俣病や四日市ぜんそくを認めようとしない資本家と公害病訴訟で戦っている人の戦いにおいて、これを社会の分断と言えるのか?原発が排出する核のゴミの環境影響は水俣病どころの話ではない。内部被曝すれば、ガンで死亡したり何世代にもわたって奇形児が生まれたりする。そんな危険なゴミを処理する手立てもなく貯め込んでいるだけである。なのに、原発建設に金を使いすぎて経営危機にある電力会社が潰れないため、という理由で続けることに理があるわけがない。おまけにそのツケは政府主導という名のもとに、全部国民負担になっている。国民は騙された被害者なのであって、なぜ被害者が賠償金を払わないといけないのか?反原発はそこに怒っているのである。何も知らないで、やれ反原発集会は地元に迷惑行為だとか、電力会社の手先が吹聴している馬鹿馬鹿しい批判に乗るものだ。

日本のメディアはそういうことを伝えなければならないのに、電力会社の金権に支配され、悲しい状態に陥っている。個人個人が愚かさに気がついて、選挙で政権を裁かなければ、何も変わらない。日本人は東日本大震災から何も学べなかったことになる。