明日はマイバースデー

ヒャッハー

36歳になる🥹



お彼岸の時期の我が誕生日。

お彼岸が近づくと、実家のばあさんが張り切ってうるさかったなぁ(遠い目)

(まだ生きてるけど)


私は、

お彼岸は、

美味しいあんこの餅が食べられる

という認識だった。


ぼた餅とおはぎの違い


なぜなら、会話のない家族だったから。


何のためにそれをするのか。

気軽に聞ける家族では無かった。


ばあちゃんの気分を家族全員で伺う家庭だった。










そもそもお彼岸って何?


お彼岸とは、春分の日、秋分の日を中日(ちゅうにち)とする前後3日間のこと。仏教では「極楽浄土に想いをはせ、善行を積むべき大切な時期」だとされています。




ねぇねぇ

何で【お彼岸】で亡くなった人を偲ぶの?


それをするとばあちゃんは嬉しい?楽しい?



お母さんは何でばあちゃんの指示に従って、ばあちゃんの好きなあんこを買いに行き、近所(ばあちゃんの兄弟の家)の分までぼたもち作るの?

ぼたもち作るの嬉しい?楽しい?


偲ぶって何?

  1. ⬇️

     過ぎ去った物事や遠く離れている人・所などを懐かしい気持ちで思い出す。懐しむ。「故郷を—・ぶ」「先師を—・ぶ」

  1.  心引かれて、思いをめぐらす。慕わしく思う。「人となりが—・ばれる」「人柄を—・ばせる住まい」

  1.  物の美しさに感心し味わう。賞美する。

  2. (goo辞書より引用)



 


ねぇねぇばあちゃん。
私は、ばあちゃんの父母(ひーじーちゃん、ひーばーちゃん)は会ったことも記憶もないから偲べないよ。死んだじいちゃんは偲べるよ。

ねぇねぇお母さん。
ぼたもちなんか作ってないで、
いろんな話をしようよ。




お彼岸だからその行為をする

その行為はなぜするのか。

ばあちゃんにはこんな大切な人がいて、亡くなってしまった。

人は亡くなると、
もう会話することも見ることも感じることもできない、

今、自分は生きている、
目の前には生きている大切な人もいる

目の前の生きている大切な人と、
亡くなった、大切な人を思い出す

それが
お彼岸なのかなと
36歳になる娘は考えているよ。

私はそれを息子たちに伝えるよ。






義実家は、美味しいぼたもちを
買ってきて食べる家だった。


私は、慣習を遵守することより、
亡くなった人を思い出すことより、

今、目の前の生きている大切な人と、
美味しいぼたもちを、
「美味しいねぇ」
「美味しいねぇ」
と言いあって、

君たち(私の息子)を可愛がってくれた
義父(じーじ)がいたんだよ
と食べながら伝える時間にしたい。




宗教や考え方の良い悪いじゃない。
「正しい」「正しくない」じゃない。

大切な人の大切にしていることは
尊重したいし、
私の意見も聞いてほしいだけ。




義実家は、毎日お仏壇に、
今生きている家族の人数分の
お線香をあげる家庭。

結婚当初、知らない文化を知れて
素敵だなと感じたのを覚えている。

夫は自分の実家に行くと、
必ずお線香をあげて手を合わせる。

私は義実家に行っても、
義父に“何か伝えたい時”にしかお仏壇前にも行かないし、手も合わせない。


夫と夫家族とそれについて
喧嘩したことはない。

共存している。





大切なはずの子供が目の前にいるのに、
慣習ばかりで
「みえていない」
それが一番悲しかった。

(大人になって、子供の時の違和感が悲しみだったとわかった)








おしまい。