今日は『ナリ真理学講座』前後の
私の変化を記します。
2021.10月
私は市役所が怖かった。
なぜか。何が怖かったのか。
一番怖かったのは、長男の保育園の申請の時。
当時私は会社を辞めていて、夫は自営業。
詳しくは義父が事業主で夫は専従者。
義母が事務的なことをしていて。
私が何が手伝えるほど、
大きい仕事はしていないが、
私も事務をしているていで、
保育園の申請書を提出を目論んでいたのだ。
子供が少ない地域なので競争率は低いが、
預けたい所は公立なので書類はきっちり。
嘘がバレるのが怖かった。
保育園に入れられないことが怖かった。
書類の記載ミスが怖かった。
その時期に久しぶりにあった旧友に「え、なんで市役所怖いの?わからないところ確認して、期限内に出せば良いだけだよね☺️ニコニコ」と言われたっけ(遠い目👀)
彼女はヨガ講師として、誰にも雇われず、自由に働いていた。
彼女と自分を比較して、自分の好きなことを仕事にしている彼女は上、私は働いていないから下の人間。
下の人間とバレたら、仲良くしてもらえないから「本当は働いていないで保育園入れるという真実」を言わずに隠した。「そうだね〜」と流した。
夫や夫家族のことは、
低レベルの馬鹿どもがと
見下していた。
義父は中卒。夫は偏差値の低い高校卒。
自分は大卒だったから。
社会に過度に怯える
人を極端に見下す
人を見上げる
自分を認められていない
ありのままの自分で存在していいと
思えていないころ。
2022.4月
その後、無事に?
保育園に入園させ、
家庭とお家の往復のみになった。
【問題が起きないこと=幸せ】だった。
たまにイライラすることはあった。
保育園の前で立ち話をしている太った、
長男と同じクラスのママが目障り。
「うわー今日もいる、雨なのに今日も居やがって。」と毎日見張っていた。
デブは表に出るな
そして立ち話は嫌なのに、
悪口を言われる、除け者にされると
怯えてたまに加わる。
ストレスを感じて、お菓子で発散。
送り迎えの時に、
すれ違う自分の子ども以外は
全く可愛くなかった。
目が小さい子はブサイクで可哀想と思っていた。
保育園の先生も怖かった。
忘れもの、遅刻はしなかった。
朝ごはんは、ご飯にお野菜多めのお味噌汁、たんぱく質のおかずで栄養バランスバッチリだった。
ママとして100点の仕事をする(家事、育児)ことに一生懸命だった。
なぜなら、仕事を辞めた私には【ママ】と【妻】しかなかったから。
夫とは毎日頻繁にLINEしていた。
帰りの時間をいつも確認していた。
実家の母にはまめに、我が子の写真を送っていた。
目障りなものを極力、私の人生に入れない。
保育園と家の往復だけ、
安心安全。
ソファでゴロゴロ
ブログ見て、好きな漫画を読んで、好きな音楽を聞いて、幸せだと思っていた。
家族で楽しむこと、オシャレすることは
お金もないしってやらなかった。
(今思うと、罪悪感があった)
自分のやりたいことはなかった。
2023.4/16
ナリ真理学講座に入った。
毎日なーんかつまらない生活を変えたかった。
この時、
家族で映画に行くこと、
ブルーベリー狩りをすることすら挑戦だった。
東京に楽しみに行くことすら挑戦だった。
2023.12月現在
今では講座生インスタライブをしているよ。
アメブロも【お話聞く屋さん】としても書いている。
今は家の中はぐちゃぐちゃで、
外食も増えたけど。
朝はパンだし。
息子にはお菓子だけの時もある。
海外の朝ごはんは、ビスケットの国もあると知った。
保育園の連絡ノートには
「ミロの粉」と書けるよ。笑
(長男はミロの粉を牛乳に溶かさずに、直接舐めるのが好き)
保育園の先生も子供の頃
舐めるのが好きだったそう。
自分の体調が悪い時の長男の無理難題の欲求
(昨日はポッケ付きの服を着て寝たいだった。ポッケ付きの服は洗濯して濡れていた)
にも、夫と協力できてる。友だちにも愚痴った。
(気合いや我慢ではなく、大爆笑対応できるようになりたい。ここは【自己受容】をもう一度みてみるか。幼い悲しみがまだあるのか?体調悪い時は、任せりゃいいのか。任せられない自分と向き合ってみるか。)
毎日楽しくなった。
もっともっと楽しくしたい。
(次の挑戦の方向性は決まった)
(来年はさらに加速しそうだ)
ひとつひとつ、逃げずに向き合って、
勇気を出してきてよかった。
手越くんのテイっも貼っておく。
てい=体裁/世間体 世間の人から見られる姿
私は子供より自分の体裁を気にしているママだった。
おしまいポ