私が感銘を受けた偉人
ライナス・ポーリング
彼こそ私が感銘を受けた最大の人である。そして天才という名にふさわしい。
私が大学生の時代、ポーリングが長崎に講演に来た。彼はノーベル賞を二つ受賞している。ノーベル賞を一つだけ受賞した人は、学生の講義室で講演する。そして講義をうける学生も一学年百人の講義室で、十数人でガラガラであった。
しかし、ポーリングの講演は違った。大きな講堂おそらく300人くらい収容できる講堂であった。その講堂が満席となり、立見席が出来るくらいであった。そしてその公演にすべての長崎大学の医学部の学生のみでなく、大学の職員も参加した。中には他の大学の職員も参加していたであろう。
巨人とは彼のことを言うのだろう。彼はすべての化学、医学に影響を与えた。その理論は単純明快であった。この当時(今でもそうだが)免疫学が学問の主流であった。彼はその免疫でも有名であった。免疫学は私も全く理解できない。しかし、ポーリングの理論は単純明快であった。有名な「鍵と鍵穴説」である。鍵と鍵穴が一致して初めて免疫反応が成立する。これは私のような不勉強な学生でも理解できた。
天才の理論は単純明快であるという私の考えはここに生まれた。
おおくの大学の講義は理論であった。理論が学門を生み出す。これこそドイツ医学である。しかし、ポーリングは違った。大規模臨床治験で多くの結果が出る。これに合うように理論を組み立てるのである。
私の受けたポーリングの講義はビタミンCであった。どうしてポーリングがビタミンÇに興味を持ったのか。それは多くの動物の中で、生体内でビタミンÇを合成できるのは、ほんのわずかの動物に限られている。人間やモルモットでは生体内では合成できない。だからポーリングはビタミンÇに注目した。ポーリングが言ったのは、ビタミンÇの欠乏症である壊血病の組織は癌の組織に酷似しているということであった。この件に関しては真偽は不明である。
ポーリングはその幅広い交友関係よりこの知識を得たのであろう。
このことにより、ポーリングは癌にもビタミンÇが有効であると推論した。この講演により日本では久留米大学を中心として、ビタミンÇの大量療法の実験が始まった。そしてポーリングの大規模臨床治験を進めたのが九州大学であった。そして長崎大学は動かなかった。もし、長崎が動けば多くの業績を上げることが出来ただろう。長崎大学の系列病院は離島が多い。離島では人の移動が少ない。同じ村人が長年住んでいるのである。コロナの研究、ビタミンⅭの研究にうってつけなのである。長崎大学の卒業生として私は残念である。
ポーリングと平和主義
どうしてポーリングは多くの国立大学の中で長崎で講演をしたのか。どうしてポーリングはビタミンÇの研究に着手したのか。
これこそ研究者として重要なことである。ビタミンÇは特殊なビタミンである。多くの動物が生体内でビタミンÇを合成ことが出来るが。人とこうもりは合成できない。そしてポーリンが言ったのは、ビタミンⅭの欠乏症である壊血病とガンの組織が酷似していると講演で述べたのである。これはポーリングの友人がポーリングに教えたのという。しかし不勉強な私はそのような事実は知らない。そして、ビタミンⅭが癌に有効であるという風況がたった。そして久留米大学は長崎大学でのポーリングの講演でビタミンÇの大量療法に向かう。しかし、長年の研究にも関わらず、ビタミンÇ大量療法は断念した。
そして九州大学は、ポーリングが述べた大規模臨床治験を始めた。それまでのドイツ医学では理論があり結果があった。しかしポーリングは結果を重要視した。長命の部落があると、その食生活、習慣はどうであるかを調査した。そこには理論はない。ただ結果があるだけである。そしてその結果を見て、どうしてそのような結果になるのか、そして理論を組み立てるのである。
どうして、ポーリングはその公演の場所に長崎を選んだのであろう。それは、シーボルト以来の蘭学(ドイツ医学)のメッカであったからだけではない。
そこにはポーリングの思想があった。
長崎は原子爆弾の被害を受けた広島とともに被爆都市である。
ポーリングは分子物理学の権威である。アメリカ大統領から原子爆弾開発するマンハッタン計画に協力してほしいという要請があった。ポーリングは職を辞してマンハッタン計画に参加しなかった。しかし、彼の同僚は参加した。そして、ポーリングと彼の同僚は考え方の違いで決別した。
彼の同僚は、その当時のダイナマイトよりずっと強力な爆弾を知った。
勿論その研究者はノーベル賞を受賞した。その研究者は考えた。
「この爆弾が出来れば、その強力さ故に世界から戦争が無くなるだろう。」
ポーリングはその同僚と決別した。ポーリングは平和主義であった。戦争を嫌った。同僚はこの爆弾は大きな都市を一瞬に破壊する。この爆弾が出来れば、世界中から戦争が無くなるだろうと思った。
これこそ原子爆弾である。実際には広島、長崎に投下され多くの人命が奪われた。だからポーリングはその長崎で講演した。ポーリングが長崎で講演した理由はここにあると私は思う。
ヒトラーもプーチンもそっくりである。口では平和を唱えながら、していることは大虐殺である。
ポーリングの講演では、その平和思想について何も語らなかった。しかし、ある意味ではポーリングの学問的業績は長崎の原爆の理論的な基礎となったことは間違いない。
ノーベルがダイナマイトの発明で大金を得た。しかし、ノーベルは考えたのだろう。この大金を文化の発展と世界平和に役立ててほしい。これこそノーベル賞である。
今回ノーベル賞を受賞した京都大学の中山教授の業績である。あの業績が、ヒトラーやプーチンのような化学者に渡るのを恐れたのではないか。中山教授の技術がロシアに渡ったら大問題である。更に研究を続けたら、ヒトラーのコピー人間、プーチンのコピー人間作るのは可能かもしれない。ヒトラーやプーチンのコピー人間が出来れば、世界はどうなるのだろう。
ポーリングはノーベル化学賞を受賞した。その理由はタンパク質の3次元構造を解明したとあるが、それ以外にも多くの化学的業績を残した。その業績は枚挙にいとまはない。そして、その多くの学問的業績の中の一つとしてタンパク質の3次元構造を解明したに過ぎない。
驚くべきことに、ポーリングは高校を卒業していない。そして、高校の卒業証書を得たのは、ポーリングがノーベル賞を受賞したあとであった。
ポーリングはノーベル賞の受賞を喜ばなかったと思う。何故ならノーベル化学賞を受賞することは当然であったからである。しかし、ポーリングは、ノーベル平和賞に関しては喜んだと思う。何故なら、科学の進歩は人類の発展に寄与すると思いたかったからであろう。しかし、本当に科学技術の発展が人類の幸福に役立つのか、それはポーリングも解らなかったであろう。少なくともポーリングの研究が原子爆弾の開発の大きな一因となったことは違いなく、ポーリングはそれを後悔していたと思う。
矢野先生とダッドリーの仮説
素晴らしい先生であった。長崎大学を卒業して、長崎の大村国立病院の内科部長として赴任した。
免疫学の権威である。
ある学会で多くの専門家がいる中、フロアーから質問が来た。何百人の消化器病の専門医は誰も答えられない。座長は叫んだ
「矢野先生はみえますか」
私は知っていた。矢野先生はトイレに行っていたのである。座長は諦めた。
「矢野先生がいない以上、われわれが討議してもむだである」
長崎大学医学部はその業績の多くは矢野先生が担っていた。
矢野先生から教えてもらったことは「ダッドリーの仮説」である。
ダッドリーの仮説は、医学的に最も大事な仮説である。
抗原に異物が侵入すると、生体は反応して異物を排除しようとする。
私が長崎の学生時代、注目されたのがB型肝炎であった。B型肝炎ビールスが生体内に入ると生体はそれを排除しようと、抗原抗体反応が起きる。それが過剰に反応すると、劇症肝炎となる。中等度に反応すると普通の急性肝炎となる。この反応が少ないとビールスは生体内にいついてしまい永続的にビールスの保有者となる。全く反応が無いものもいる。これを無症候性感染者(ア シンプトマッチク キヤリアー)と呼ぶ。知らないうちに、ビールスに感染していたのである。これをわたしなりに喩えた。
パンツのひもの押し売りがやってきた。
ある場合は主人と大喧嘩のなり、家具はことごとく壊れる。
またある場合は正常に反応し、押問答を繰り返すうちに押し売りは帰っていく。
またある場合は、家に入り込み、居候を決め込む。
更にまたある場合は主人の知らないままに、勝手に家の入り込み居候として生活する。
主人が知らないうちにビールスと同居しているのである。
これらの違いは、ビールスの強さ、主人の体力により異なる。
このことを矢野先生に徹底的に教わった。
では、コロナウイルスではどうであろう。
私の学生時代、風邪は多くのビールスにより引き起こされる、これを風邪症候群と呼ぶ。このような多くのビールスを私の頭では覚えきれるはずはない。しかし、その多くのビールスの中の一つがコロナビールスであった。そしてそのコロナビールスが突然、変異を起こして新型コロナビールスとなったのである。そして多くの人間の生命を奪った。しかし、コロナビールスは更に変異した。そして弱毒化している。今の日本のコロナビールスは、かつての 風邪症候群の時のコロナビールスに近づいている。かつての風邪症候群のコロナビールスなのである。
しかし、多くのコロナビールスがある。かつてのパンツのゴム紐売りのようなコロナビールスも一部には存在している可能性がある。これらは、地域により異なり、生体の反応により異なる。
では、どうすれば良いのであろうか。
コロナビールス感染症は免疫が多くの要因となる。免疫を制御することがコロナビールスに対する最も大事な手段であることは間違いない。
しかし、免疫を制御するのは至難の業である。免疫能をむやみに高めると、劇症肝炎のように、コロナビールスによる死者が増える。免疫を抑えると、無症候保菌者が増える。この矛盾はどうしたら解消できるのか。
これこそ、コロナビールス感染症の最大の問題である。ある人は免疫能を高めて治療する。ある人は免疫能を落として劇症化を阻止する。
この矛盾をどう解釈すればよいのか。
これこそ漢方である。
漢方医学は西洋医学と全く違う医学体系である。
広瀬先生と漢方医学
広瀬先生も素晴らしい医学者であった。
漢方を専門領域としながら、次々と新しい考えを押し広げた。
アトピーを細菌による感染症と考え、イソジンによる入浴を考案した。しかし、漢方医学は私たち西洋医学を学んだ者には完全に理解することは困難である。
かつて、肝炎に小柴胡湯という概念が広がった。馬鹿でもチョンでも肝炎と診断すると小柴胡湯を投与した。
私も馬鹿でチョンな医者の一人であった。
ある時、ある慢性肝炎の患者に小柴胡湯を投与した。柴胡剤でも小柴胡湯は、虚証、実証と関係ない中間証に投与する。だから私のような知識のない医者は、気楽に慢性肝炎と診断すると小柴胡湯を投与した。
ある時、ある患者が言った。
「この薬を飲むと、手足が冷えるのです。」
私にはその理由が解らなかった。その理由に広瀬先生は答えてくれた。
「柴胡剤は体を冷やします。その患者が手足が冷えると訴えてもあたり前です」
漢方では副作用がでると、その薬では治療が望めないと言われている。西洋医学のように、副作用が出ても病気を治すために、副作用を我慢するという考えはない。私は柴胡剤で肝炎を治療するという考えを断念した。
その時、ある製薬会社から知見を頼まれ、ウルソの調査をしていた。ウルソは胆石溶解剤として有名であった。その調査で私は偶然、ウルソが肝機能を改善するという結果を得た。どうしてウルソが肝機能を改善するのかは解らない。しかし、臨床治験では改善したのである。あれから数十年、いまではその機序が解明されているかもしれないが、私には興味はない。
このように漢方は西洋医学とは違い、学問体系が全く違っている。
コロナビールス感染症では、この漢方が有効ではないかと私は考えている。しかし、漢方をコロナビールス感染症に使用するのは至難の業である。
コロナビールス感染症と後遺症
私の行きつけのクラブで多くの従業員がコロナビールス感染症に罹患した。これに関しては疑問があるが。従業員が勝手に休むと「罰金」を要求されるが、コロナビールス感染症では罰金を要求されないからである。だから本当にコロナビールスに罹患しているのかどうか疑問符が付く。しかし、あるホステスは4回も罹患している。
ホステスという特殊な職業であることを考えても4回の罹患は尋常では無い。
「私が治療してあげる」と言ったが、彼女たちは乗り気ではない。後に「どうして治療を受けないの」と訊いたら、彼女たちは言った。
「私の通っている病院は患者さんがいっぱいです。でも、先生の病院はほとんど患者がいないじゃない」
その言葉は事実である。
私は一人の女性には通常の「小柴胡湯」そして もう一人の女性には「黄連解毒湯」を考えていた。しかし、投与できなかった。しかし、幸運なことに(ある意味では残念なことに)彼女たちは二度とコロナにかかることは無かった。
「畜生」と地団駄を踏んだが仕方がない。
この地方(名古屋)では流行のピークが過ぎたとしか言いようがない。そしてテレビの報道でも言っている。
「最近はコロナ患者の発症率は増えているが、重傷者は少ない」
これは矢野先生の理論では当然の結果である。
もし、免疫がコロナビールス感染症で抑制的な働きをするのなら、プロ野球の選手や相撲取り、プロレスラーは感染しないことになる。しかし、抵抗色の強いこれらの人々でもコロナビールス感染症が成立するのである。
テレビの番組であるコメンテータが言った。これが真実なのかどうかは解らない。そのコメンテータは言った。
「本当かどうかは解りませんが、奇妙な事実があります。私の印象では重度のコロナビールスに罹患した人より、軽度の罹患患者の方が、コロナビールスによる後遺症が多いのです。この原因に関しては不明です。」
これはダッドリーの解釈では重度のコロナビールスに罹患した人は多くのコロナビールスに対する抗体価が高いのでは無いか。これに対して軽度のコロナビールスの抗体価は十分に上がらない。これこそコロナビールスによるスローバイラルインフェクションかもしれない。あるいはコロナビールスが消滅して、コロナビールスの抗体価自身がコロナビールスによる後遺症の原因かもしれない。
どちらであるか私にも解らない。
しかし私の直感ではコロナビールスによるスローバイラルインフェクションの可能性の方が高いと思う。どちらが原因であるかは、患者の血液の中のコロナビールスの抗原を調べると解るかもしれない。しかし、これも不確実である。何故ならコロナビールスの抗原の量が極めて低いと検出感度以下なら陰性と判断される可能性がある。わずかにコロナビールスが残っているなら、コロナビールスによるスローバイアルインフェクションとなり、血中からコロナビールスの抗原が検出されないのなら、コロナビールスの抗体自身によるコロナビールスの後遺症となるからである。しかし、コロナビールスの抗原検査がそのような判定に使用できるほど感度が良いものとは思えない。だから私は少量のコロナビールス感染症によるスローバイラルインフェクションだと思うのである。そして、コロナビールスの抗体がコロナビールスの副作用の原因なら、コロナビールスのワクチンは有害があることになる。
また面白い研究結果がある。中国ではコロナビールスのワクチン接種でコロナビールス感染症の発症率が減少しなかったという臨床治験が発表されたのである。まさにコロナビールスワクチンでゼロコロナ政策が破綻したのである。もしこの事実が本当なら、コロナビールスワクチンは副作用も含めて有害無益ということになる。
プーチンと日本国家社会主義
プーチンは日本国家社会主義を理想としてる。
ではプーチンの理想としている日本国家社会主義とは何であろうか。社会主義思想は国家社会主義に他ならない。国家社会主義でない社会主義はあり得ない。
例えば生活保護は社会主義思想の一つである。富裕層、あるいは中間層から金を徴収して貧しい人に金を配布する。では、誰が金を配布するのか。これこそ官僚しかいない。富裕層、あるいは金を徴収するのは国家しかない。民間では金を徴収することは出来ない。これこそ国家社会主義である。国家社会主義とは中央集権の延長である。
日本における国家社会主義は白村江の戦いである。日本は朝鮮に出兵した。しかし、白村江の戦で朝鮮に完膚なきまでに叩きのめされた。これは中大兄皇子の時代である。そして朝鮮の逆襲を恐れた中大兄皇子は日本に戻ると防衛線をはった。そして再び朝鮮に出兵することは無かった。これ以来、日本は朝鮮に出兵することを断念した。これこそ日本国家社会主義が平和を標榜する原点となる。すなわち日本国家社会主義は平和のシンボルであった。その政治的形態は、天皇中心であったが、実際は藤原氏など貴族を中心とした国家であった。
そして次の日本国家社会主義は後醍醐天皇に引き継がれる。後醍醐天皇が日本国家社会主義を天皇中心の国家社会主義に変貌させようとした。そして失敗。
コロナワクチン
日本は国家社会主義を標榜している。正確な情報を流さない。
ある時、私はクラブで隣の席の男と話した。私は言った。「私はコロナワクチンを打ってから、半年もなるのに注射部位が痛いのです。」
その言葉にその男は言った。
「きちんと勉強しなくちゃ。ワクチンの注射部位が痛いことは当たり前です」
私はワクチンをうってから、今では1年半になる。
役場にも訴えた。しかし役場は「ワクチンは任意接種です。自己責任でワクチンをあなたはうったのでしょう。町役場には責任はありません」と冷たい返事だった。
それからしばらく経ってから、テレビでコロナビールスのワクチンの副作用の特集があった。
日本でわずか9例であるが、コロナビールスで多くの副作用が出ている。中にはパーキンソン症候群、痴呆という副作用も報告されているらしい。しかし、国家社会主義では、これらの副作用を隠ぺいする。
そしてコロナビールスのワクチンでは大きな副作用はないと報道する。私の見たテレビ番組を見た人は、コロナビールスのワクチンを拒否するだろう。そして、国歌という力で、その番組は二度と放映されることは無いだろう。
因果関係があったのか、なかったのかは民主国家では厳しく検証する。でも、国家社会主義では不都合なデータを平気で隠ぺいする。
ここに面白い事実がある。アメリカ大統領であったウイルソンは、活動的に政務を行った。そのウイルソンがコロナビールスに罹患したのである。以来、ウイルソンは、活動的な政治活動が無くなったという。コロナビールスが人間の知能活動を低下させるという重大な傍証である。もしウイルソン大統領がコロナウイルスに罹患しなかったら、プーチンの尊敬するヒトラーは生まれなかったかもしれない。
最後に斎藤先生のことを述べたい。
斎藤先生は長崎の北松浦でお会いした。田んぼの真ん中で大きな声で「俺は阿呆だ」と叫んで二人で大酒を飲んだ。そして、田舎のスナックに行った。この時、おそらく斎藤先生のアルバイトの給料は、2,3万円くらいであったと思う。それと同じくらいのスナックの支払いであった。
「可哀想に」と思ったが私にはどうすること出来ない。
それから数年たっただろう。ある学会で斎藤先生の特別公演があった。「在郷軍人病」である。そして内科学会の賞を受賞した。
そしてある国立の教授として赴任された。
吉野家の牛丼
今、吉野家の幹部が「気娘をしゃぶ付けにする」という不適切発言で問題になっている。
確かに不適切発言には間違いない。
私の大学時代には吉野家は無かった。初めて学会の途中で吉野家に行ったのは、横浜駅の近くで食べたときである。一人で食べたが、淋しいなと思っただけで、あまり印象が無かった。
それから何年たったであろう。私はフィリッピンのホステスとよく同伴する。フィリッピンの女性は「吉野家」が大好きである。
吉野家に行くというと「好きすき好きすき○○の牛丼」と小さな声で歌いながらスキップする。「馬鹿、すき家の牛丼」の歌だと私が言う。「いいの。いいの。」
こう言う私の前の妻も牛丼が好きであった。それはすき家のヘルシー牛丼であり、お米の代わりにトフの上に牛肉がのっている。でも私には、腹が満腹にならない。
今回、吉野家の幹部が言ったのは、このことであろうか。田舎から出てきた(フィリッピン)から出てきた気娘は、日本に来ると吉野家が大好きになる。しかし、店の常連たちが「しゃぶしゃぶ」や高級焼肉店に連れて行くと、フィリッピンの小娘たちは次第に吉野家に行かなくなる。これは接待する客にも問題がある。なんとなく親しいホステスを吉野家に誘うのが躊躇する。そして違う高級焼肉屋を誘うのである。
吉野家の幹部はこのことを言ったのだろう。最初に来たフィリッピンの気娘を吉野家に何度も来るようにしなければならない。このような意味で発言したのだろう。しかし、なにせ言葉不足であったことは否めない。
そのフリッピンの女性は「日本大好き」と言う。「日本のどこが好きなの」と私が聞くと「平和だから」と答える。そして吉野家の牛丼が誰でも食べられる国になった。
しかし、同時に大きな問題も発生している。吉野家の牛丼だけでは栄養が偏る。吉野家は「卵ドンブリ」で対処しようとしている。でも卵ドンブリだけでも解決しないだろう。牛丼、卵ドンブリでもこの問題は解決しない。今、私は野菜ジュース、トマトジュースを飲むように心がけている。
しかし、もっと大きな問題は、「平和」をどうして守るのかである。もし、ロシアが北方領土に侵入したら、どうするのか。
これに対しては答えはない。勿論、日本が防衛費を増額することは必要だろう。しかし、日本だけではロシアの脅威に立ち向かうことはできない。アメリカと日米同盟を基軸として防衛するしか方法は無いと思う。
そして、日本は絶対に戦争してはならないと思う。
戦争と平和
誰でも戦争より平和が良いに決まっている。
しかし、冷静に考えると、例えばロシアが北方領土に侵攻したらどうするのか。戦争をしないで、おとなしく北方領土をロシアに引き渡すのか。
同じことが竹島をめぐる問題で朝鮮との関係が問題となる。竹島は日本の領土なのか、南朝鮮(韓国)の領土なのか、北朝鮮の領土なのか、全く不明である。
同じことは尖閣列島問題でもいえる。尖閣列島は日本の領土なのか、台湾の領土なのか、あるいは中国の領土なのか、これも全く分からない。
これらの問題は今始まったものではない。私が学生時代にも友人と話したことがある。全く進展しないのである。領土問題は複雑なのである。お互いにそれぞれ言い分があろう。しかし、間違いないのは、第2次世界大戦で日本は敗戦した。そして講和条約で日本は無条件降伏をした。その講和条約の一日後にロシアは日ソ不可侵条約を破棄し突然北方領土に侵攻したのである。
日本は戦争の経験が少ない。欧米列強では絶えず戦争が起きている。そして戦争が終わると国境線は変更するのである。
住んでいる人々が帰属する国を決めるのだろうか。では、アメリカインディアンはどうであろうか。今はインディアンはアメリカに帰属し、独立運動は起きていない。
日本でもアイヌ問題がある。日本は北海道のアイヌ民族を無視して北海道を日本の領土とした。北海道はアイヌ人のものなのだろうか。
これに目を付けたのが土方歳三であり、榎本武明であった。彼らは北海道を独立した国家にしようと計画した。しかし、戊辰戦争で敗れて明治政府の軍門に下った。
沖縄も同じである。沖縄人を結果的には無視して沖縄を日本の領土とした。
では選挙で帰属する国を住民が決めるのだろうか。日本は表向きは民主国家であると言う。それは選挙で選ばれた代表が民主主義的な手続きで帰属を決めるという虚像である。ロシアはロシア人が多い地域で民主主義的な投票で帰属を決めることを考えた。しかし、それでは多くの国家に分裂する。
日本でも同じような歴史があった。連合国であるアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国などで日本を分割統治するという考えである。そうなると日本は多くの国家に分裂する。朝鮮が北朝鮮と南朝鮮に分断されたように。勿論、その中で選挙が行われるが結果は決まっている。沖縄でも選挙があった。そして沖縄が独立するか、中国の支配下に置かれるか、それとも日本に帰属するかは沖縄人が選挙で自ら決めて日本に帰属した。これにはアメリカの意向が大きく働いたことは言うまでもない。これが民主主義と言えるのだろうか。
- 前ページ
- 次ページ