ポンチキの窓
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就職きまった

先月、また十勝で農業をしてきた。

10月後半の北海道といえば、ちょうどハクチョウが飛来する季節なのである。


ハクチョウ。

それは森の中の清澄な湖で優雅に羽を広げる、チャイコフスキーの世界である。


しかし、十勝の農夫たちは知っている。やつ等の本性を。


ヤツ等は5、6羽で徒党を組んで滑稽な声をあげながら飛来するのだが、まず第一に飛ぶ姿がダサい。

あまりに首が長く、それは浣腸のケツに挿す部位のようで、さながら5、6個の羽の生えた浣腸が空を舞っているようだ。


また、やつらは決して湖に行ったりはしない。

人間様の畑に群れを成して侵入し、畑に落ちた小麦などを食いあさる。おかげでドイツもこいつも茶色か灰色をしていて、とても白などとは言えない。白いのは、ヤツ等が去ったあとで糞まみれになった畑だけだ。


それなのに、どうしてハクチョウはお上品ぶるのか。



それに比べたらダチョウは、じつにわかりやすい。


姿が滑稽なのはいうまでもないが、歩く際の腰つきといったら、アホの坂田のようだ。

高村光太郎の詩で「ぼろぼろな駝鳥」というやつがあるが、このダチョウなど、実にかわいそうで、ダサい。

また、上島竜平は専らヨゴレである。

ちなみに、ダチョウ好きの方には、沖縄県今帰仁村にある「ダチョウランド」に行かれることを強くお薦めする。



今年はずっと旅して農業して、素朴な人間にたくさん会って、どうやらようやくダチョウとしてやって行く気にもなれてきたし、人前でダチョウであっても大丈夫になってきたようだ。


ここんとこ、ある私立の学校の教員採用試験を受けていた。


「心に残る言葉」というテーマの作文で、それは坂口安吾の「堕落論」にある「生きよ、堕ちよ」である、というダサくて比較的おヘンタイな文章を思った通りに書き、面接でも当たり障りの無いことを言うのではなく思った通りを話した。


そしたらどういう訳か内定をもらえ、来年4月から教壇に立つことになった。

そんな学校だから、素直な気持ちで働くことができるのではないかと思う。


上島竜平くらい体張らんといかんのかなあ。

ちなみに女子校や。

不祥事起こすなら新聞に載るくらいのことをするから新聞はよく読んでなさい。










お前は今までに取った名刺の枚数を覚えているのか?

このあいだ、ロックインジャパンというフェスに3日間行ってきた。


以前「ZAZEN BOYS」というバンドが心斎橋に来たので見に行ったことがあるが、そのとき俺の酔っ払い具合が足りなくてひどく後悔したことがあったので、初日の夕方にザゼンが出てくるまでには酔っ払おうと思っていた。


でも最初のバンドが意外と良かったので、またさらにその前に、駅から会場に行くバスに乗るのにすげー待たなければならなそうだったので、朝9時にスーパードライを空け、最初のバンドが終わるころには完全に酔っ払っていた。

結局その日の夕方はまさにトランス状態であった。ろくに音楽が聴けなくてひどく後悔した。


そんな肝臓の限界に挑んだ3日間であった。



ところで最近、人材派遣の会社で飛び込み営業というのをやっている。

株式会社と名のつくものには片っ端から飛び込んで、企業の皆さんに大変ご迷惑をおかけする仕事だ。


親切にしてもらったり怒られたり、めずらしく会社の奥まで通されたかと思うと老若男女みなエロ画像を真剣に処理していたり、出てきた担当者がなぜかメイドの格好だったり、綺麗なお姉さんだなあと思って張り切って話をしていて最後に名刺をもらうと名刺の名前が「○男」となっていて驚愕したり、毎日いろいろなことが起こる。


今まではいろいろなところで農業をやっていた。

菊を刈れば畑はすっきりしていくし、リンゴの花を摘めばおいしい実がなる。俺が十勝で蒔いたカボチャはいま花が咲いたところでもうすぐ実をつける。

働くことで何かを生み出すことができるし、その成果が目に見えるのが農業だ。

だからやりがいがある。


ところが人材派遣は所詮、人を右から左へ流すだけの中間搾取に過ぎない。何一つとして生み出してはいない。

それに、他にも派遣会社はいっぱいあるわけで、うちの会社が無くなったところでだれも困らない。他の会社がやればいいだけの話だ。


会社を回って名刺を必死こいて集めてきてもそれが何になるというのだろうか。名刺の枚数がやがて会社の売り上げにつながるのかもしれない。でもその売り上げで会社の上の人は喜ぶかもしれないが、べつにそれだけだ。俺や世の中の人にはあんまり関係ない。


だから会社はなんのために集めるのかよーわからん名刺を集めさせるために、詳しく書きたいけど情報の漏洩がどうとかで書けんがモチベーション管理(洗脳)をあの手この手でやってくる。


そんなシュールでニヒルな環境にどっぷりだ。


でも働くというのはもしかしたら所詮こういうことなのかもしれん。

働くということについていろいろ考えさせられる毎日だ。



そんなことを友人に話したら、「お前はその前に働くところをはよ決めろ」と怒られた。




















馬鹿だ。僕は馬鹿だ・・・

北海道から帰ってきた。

夜中に脱走した豚さんたちと酔っ払いながら追いかけっこする必要もなくなり、平穏すぎる毎日だ。



夏目漱石の「こころ」という小説で「先生」に女の子を横取りされて、「僕は馬鹿だ・・・」と言って自殺していった「K」のKはクワバラのKであると確信している。


北海道の帯広という街には北の屋台という北海道の食材をつかった料理を食わせてくれる飲み屋街があるのだが、そこで俺は○別町の教育長殿と酒を飲む機会に恵まれた。

教育長殿は俺に何度か「馬鹿」とのたまった。大学出てまでアスパラ採ったり豚さんと追いかけっこしているかららしい。そして、教師の資質とはなにかについて中教審の答申の内容を高らかにそらんじなされ、馬鹿にはかく崇高な職業は勤まらんと説法なされ、また、俺の権限で北海道の教員にしてやらんでもないと言ってくださった。



馬鹿と言われることに思い当たらぬ節がないわけではない。

ここ帯広といえば2年前単車で訪れた際に、長澤まさみのみなみちゃん見たさにヘルメットを脱ぎ捨て、一人映画館に突入して実写版タッチを観た思い出の地なのだ。


ほかにも、寮の天井に2日に1度くらい頭をぶつけるとき、搾乳の際ジャージー牛のモモちゃんのお乳を触って興奮を禁じ得なかったとき、教育基本法が覚えられないとき、文科省のお触れの意味がよくわからないとき、自分は馬鹿なのではなかろうかと思ってしまう。


長澤まさみが見たかったというわけではないが、東京に戻ってみるとこの5ヶ月間やってきたことがえらい懐かしくなり、故郷にいるのにえらいノスタルジックな心に駆られ、「深呼吸の必要」というベタベタの映画を借りて観た。

都会の若者が沖縄の離島でキビ刈りをする話で、撮影はエラブでもやっていたらしい。


なんだかエラブをすんげー思い出したが、それ以上にみんなで同じ作業をしていくうちに心のもやもやがすっきりしていったり、つまらんプライドが無くなって自然体でいられるようになって行く感じは、この5ヶ月のあいだの自分や周りの人たちが感じてきたことと同じなんじゃないかと思う。


おれは放っておいろいろぐちぐちと考えたりするが、そこで考えたこととか理論をこねくり回すこととかはどうも脳ミソの真ん中まで来ないみたいでリアルじゃない。

俺が夜に激しく一人酒をするのはそういういらん思考や理論を吹っ飛ばしてちょっとでも脳ミソを解剖してみたいからなんだろうと思う。


でも手の届くところにいる人間とつながっとくことや自分の手を動かすということは、自分のなかで意外と脳ミソに素直でリアルなことなんだということに最近気がついてきた。


だからなるべくちっちゃい人間関係を大切にできて現場で熱中して手を動かせるところで働きてえなと思う。


俺は馬鹿なせいか、国家のためとか言われてどう頭をこねくり回してもどうもピンとこない。国家の大計はもっと頭のいい人にお任せしよう。

国の歌を歌うか歌わんかで熱くなっとる職場ではそういう国家のための熱い志を持った人が働くべきなのかもしれん。おれにはよーわからん。




さて次の旅先は「企業」です。

すんげーでかい会社の派遣やってる子会社で営業します。具体的には、1日に50社以上に飛び込み営業吹っかけて派遣担当の人に派遣の案内をするらしい。

冷凍都市の攻撃を酒飲んでかわしつつやっていこうと思うので東京のみなさん酒のみましょう。





最近のこと

このあいだ、群馬の沼田でりんごの摘果作業をしてきた。


築130年の古民家で寝泊りした。日本刀やら火縄銃やらが転がっとった。

そこには毎晩のように近所の人々が一升瓶を引っさげてやってきて、囲炉裏を囲んで飲みつつ、俺は彼らから熊との戦い方や他人の田んぼから水を奪ってくる方法などを学んだ。


熊に30連勝中のおっさんのつくった熊汁は俺が生涯において喰ったどんな食べものよりもうまかったし、集まってくるおっさんらはみんなすげー器のでかい人たちばっかりだった。


古いものが大切にされて近所の人たちで囲炉裏を囲むのが当たり前のこのムラでは、価値観から食い物の味まで、伝えられるべきものがしっかりと受け継がれていた。



伝えるべきことを伝えられるようにならんといかんと思い、旅を続行する。


沖永良部島にはじまった旅も伊那谷、沼田と北上してきたことだしこのまま北上してみようかという気になり、また、熊との戦い方を伝授された今の俺にヒグマは怖くねえと思い、北海道まで来てしまった。


十勝郡幕別町。

十勝平野のド真ん中である。ここで116ヘクタールの畑を耕作する農家でアスパラの収穫のほか、もろもろの農作業をしている。

1ヘクタールの一辺は何メートルだか忘れたけど、とにかくでかい。

この広大な畑の中の、牛やら豚やら馬やらもろもろの家禽が生息するエリアにたたずむ小屋で、毎度のことながら様々な経歴を持っておられる方々と共同生活である。

ただ今回救いなのは今までのところではじめて、地元住民曰くコンビニが近くにあることである。(徒歩30分)


アスパラというのは、フテブテシイ生き物だ。地平線まで続いているんじゃねーかという畑に好き勝手に伸びるアスパラをやっとのことで採り終わって最初に採った場所に戻ると驚くべきことに採り頃のアスパラたちが勢ぞろいしているではないか。

天気のいい日には奴らは一日15センチ成長するらしく、採り頃を逃すと商品価値は無くなるから、日に2回収穫しなければならない。


こうして摘み採ってもキリのないアスパラとのイタチゴッコをしつつ、摘んでもキリのない自意識とその裏返しの臆病とあれやこれやをなんとかせんといかんと思いながら北の大地を歩き、労働者と酒酌み交わす北海道の日々は続く。





俺らこんな村いやだ!

一ヶ月間、信州伊那谷のキャンプ場でアコガレの田舎暮らしをしてきた。


そこには自然がいっぱいで、動物たちがいっぱいいる。

耳をすますと鳴き声が聞こえてくる。


以下は俺が出くわした動物たちである。


イノシシ       2頭

ニホンザル     3匹

イナダニヤマネコ 1匹

ノウサギ       1匹

シカ          7頭

ヒト          10匹くらい(ゴールデンウィークを除く)


ヒトは自分がいたムラには5匹生息していた。

キャンプ場を経営する家族4人と、90歳のばーさんが一人である。

隣の集落には歩いては行けない距離だ。


だから都会の澱んだ空気の届かないとっても静かなところだった。

都会にあるゴミゴミしたものがなにもなかった。

ガスも無エ 毎日ぐーるぐるしてるおまわりもいねエし、バスは一日一度も来ねエ

信号無エ ある訳無エーーっ!!


こんなすばらしく静かなところで、キャンプ場の整備をしていた。


夜は箱みたいなキャビンの中で一人シカの遠吠えを聞いて寝た。風呂に入りに行くにも懐中電灯無しには行けない。

携帯の電波も届かないし、酒が尽きてもどこにも売っているわけがない。

イノシシやシカの肉や、そのへんで摘んだ山菜を食べて生きていた。


これはちょっといけなかった。

あたりを囲む針葉樹が牢屋の柵のようだった。

酒が飲みたくて手が震えてきた。


キャンプとは、非日常を楽しむものである。

俺の一ヶ月は常にキャンプみたいなもんだったから、非日常が連続していたのである。


オーナーは毎日キャンプをしていたくてこんな山奥にキャンプ場を作ってしまった。

またこのキャンプ場では「夢の力プロジェクト」というのをやっていて、スタッフの一人は夢を追いかけて自転車でユーラシア大陸を横断してポルトガルまで行ってしまった。


オーナーもそのスタッフも、雰囲気のあるおもしろい人だったが、俺はここにいることで皮肉にも非日常や夢がおそろしくチンケに思えてしまった。


俺が気が狂いそうになって求めていたのはぱっとしない日常だった。

飲み屋のカウンターで友人と飲んだくれたかったし、綺麗な声で鳴く小鳥よりもゴミをあさるカラスの汚い鳴き声が聞きたかった。

大自然ではなく街路樹に季節を感じていたかった。

結局自分の居場所は、俗塵にまみれた東京なんだろう。


いちどムラにあるお不動様でお祭りがあって昔の住民が集まってきて酒を飲んだ。

あのじーさんは熊の生き血をすすっていたら90まで生きたとか、罠にイノシシがかかったから喰おうとしたらそれがカモシカであんまりおいしくなかったとか、そんな世間話をしていた。

そんなムラの人の日常に混ざれるときすごくほっとしたし、今回の旅のいい思い出になった。


しかし、最高の思い出は、連休中にやってきた若くてぴちぴちのさくらこちゃん(2さい)に、結婚を申し込まれたことである。

二人がどうなったかは、秘密である。








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