初めは指切りだった。


深い意味もなく、ただ満月の夜にたわいない話をして、

その後、


ずっと好きでした



と彼は言った。

その時は、全く意識してなかったのに、何故か何かを信じた。



私は本来なら便利な地元に帰ろうと思ってた。



まさか、会社に来るなんて、

そこまでは思ってなかったけど、



また会える気がしてた。

この高台から海が見える。

海って特別で、そうそう見れない物だと思ってたけど、


青空の下に海がある景色が当たり前になり、


2月でも店頭に花が並ぶ暮らしが本当に好きになった。


結局雪っていう雪は降らず、

立春が過ぎてすぐキャンプへ行けるくらい私からするとここは温かく、



彼もずっと広島にいて、きっと親御さんの為に、

地元に戻ってきて、数年で私と人生が重なった。


もうなんとなく春の風を感じる。

私は今生きている、自分が自分である事を実感して、自分の意志で歩き始めた気がする。


父……。


私が左遷してこの近くへ来たよね。1人で。

私を自分と同じ、東京教育大学(現筑波大学)へ入れたくて、


必死だった。


まさかここで守ってもらえるとはね。

私の恨んだ父は、

仕事では本当に様々な方たちに感謝される仕事に携わっていたことを、


今頃知った。



私はきっと

安心が欲しかった。


優秀じゃなきゃダメな娘がいうこときかなくて、

愛を知らない父が

良くなって欲しいからきっと私を傷つけた。

そうすることでしか私を愛せなかった。



私を心配して亡くなったと何度も聞いている



正しく生きる。記憶がある限り。

私が私で居れる間だけでも強く意志を持ち、


精一杯生きる。


彼は悪い私をも諭すと言った。


この障害は自分ではよく分からないが、

YouTubeやテレビみたいにコロコロ変わったりは私は出来ない。呼んだり

とかも。



ただただ記憶が抜ける。


指切りから、

手を握り、


つないだ手をもう離さない、私が確かに握った手だと実感して、


目の前に先が見えた、それは今まで見た事ないくらい無限大に広がった。


希望。


そう、私はここで生きてく。

彼の親御さんを助けながら働けるまで働いて、


好きな人に看取って貰う。


それは夢でもなく、私自身が実感出来るまで、

随分時間がかかった。




当たり前のこと。

そこにたどり着くまで、


不安だった。


私がずっと欲しかったのは、自分自身で居てもいいんだという、


安心感だったのだと思う。


これからはきっとこんな毎日が過ぎていくんだと思う。



最後までお付き合い下さり大変ありがとうございます(_ _)