私はあの冬、
結が入院したあと、
精神病棟に3年間居たことを知った。
全く覚えていない。
会える状況ではなく、
だけどある日病状が落ち着き、
私は、
元旦那が迎えに来て、
暫くして
荷物をまとめ、
どこかへ引っ越してしまったと、
元旦那に聞いた。
別人みたいだったから、もう何を言っても無駄で、
でも私の履歴書とおり、地元にはいたが、
長年の別居生活が始まった。
映画やYouTubeでみるような多重人格とは全くイメージが違う。
私の場合は。だれもわからなかった。
ただこの前は覚えていることを話した時
………。
仕事はおぼえてる。仕事仲間も、そして元旦那も。
ただ殆ど元旦那には会ってなく、
会えば
「どうしてあの夜居なかったの?結が苦しんでる時に」
ばかり言って話にならなかったので、
まさか誰も解離性障害と思わず、
医師は躁鬱病と診断したようだ。
記憶抜けは、結のことだけに見えた周りには、
私は格好こそ別人にはなったが、
ショックを受けたからと皆は思っていたようだ。
なので皆話を合わせたと。結のことは。
↑↑↑
私には記憶が全くない。
記憶が戻ってきたのは
旦那が私が仕事のボランティア中、離婚届を持ってきた日から。
ここから今の私、本当の私?に戻って、
現在に至る。
フィルターごしにみてたのは、記憶で、
映画のファイトクラブ、
ジョーブラックによろしく
あと
一日中キッチンの後ろの食器棚に座って見ていたシンク、
誰もいないリビング
朝から晩まで陽の当たる位置が変わる様子
結が虐められて学校へ出向いたこと。(実際には違っていた)
ツインタワー飛行機墜落事故
父の危篤
父の葬式
東日本大震災。この時私は東京にいた。
夜に、新宿から中野まで歩いた。
あと、あとは…。
離婚届と、
祖母の死
私はこれしか覚えていなかった。
M君と会って少しずつ私を取り戻し、M君も、本当にキーパーソンだった。
けいごくんと一緒に居て2度目の解離?がなかったら気づかなかったのかもしれないけど、
いつか気付くように出来てるこの障害。
初めて悲観した。
どうして私はこんな思いするために生まれてきた?って。
けいごくんが猜疑心強かったのもあったけど、
今回はけいごくんは、
何時ものYでいてくれるために、
一緒に、今度は1人ではないから。俺も居る。
俺も何も知らずにごめん。
初めて私に謝った。
そんなことを医師に話してみようと思う。
最後まで御付き合い頂き大変ありがとうございます。