先日の大雨で、桜が少し散ってしまいましたが、昨日のお散歩でお花見している人をたくさん見かけました。
たぶん、10年前くらいまではまだ春らしさがあった気がするんですが、最近は、春がなくていきなり初夏って感じですよね。
さて、先週の終わりに「快感情を感じて留める」というのがテーマになりました。
留めるとは、記録して、ストックするということ。
不快感情を減らしたり、無くしたりするように日々試行錯誤して、快感情を感じることを意識していたのですが。
この「快感情を留める」ということを怠ったお陰で、例えるなら、指差喚呼で喚呼せずに、指差だけで確認していた・・・みたいな状況だったみたいです。
指差だけで確認作業をすると、流れ作業になりがちで、喚呼もしたときと比べたらミスや見落としが増えるというデータがあるのですが。
ノートに記録しないと、まさにその状態と似たようなことが起こり、快感情を感じた瞬間が流れ去ってしまい、快感情が自分の中に意識として残らなかったのです。
人は生存本能の働きのせいで、どうしても不快に思うことをいつまでも記録として残す性質があるようです。
それは、過去の記憶を振り返れば、嫌なことはすぐ思い出せるのに、良かったことはそれに比べると思い出しにくいことからも明らかだと思います。
だからこそ、ノートに書いて快感情を記録することが大事なのです。
ノートに書くことで、言語化して整理され、かつ、五感のあらゆるチャンネルから情報を取り込むことができます。
そうすることで、長期記憶となり、快感情のストックが溜まっていくというカラクリです。
それは、自己愛となり、自己肯定感が上がることにもなり、インナーチャイルドの交流にもなるという、マインド系や心理学系で言われている癒しのスキルになると思われます。
結局、自分を大切にする(自己愛を極める)というのは、立派な目標を達成することではなく、こうした「ごく私的な快」を一つひとつ指差喚呼して、自分という存在に報告し続けることなのかもしれません。
「あぁ、今の私はこれが嬉しいんだね」
「これが欲しかったんだね」
そうやって、自分という一人の人間の「本音のデータ」を丁寧に集めていくこと。
それが結果として、自分との深い信頼関係を築き、揺るぎない「快感情の安定」をもたらしてくれるのだと確信しています。