奈良市小川町にある律宗寺院「傳香寺」については、『大和國南都傳香寺』に、以下の書き出しで「傳香寺略縁起」の記載がみえる。


「 伝香寺筒井順慶法印と、筒井氏一族の総菩提所として知られている。

 筒井氏は春日大社が河内国の平岡より今の御蓋山麓に御遷座した折、お伴し大和に移り住んだ筒井太夫藤原順武を家祖とする。安土桃山時代、筒井順慶法印の代には「大和一国筒井存知」の大大名となった。

 寺伝によると伝香寺は元、実円寺と呼ばれていた。実円寺は唐僧鑑真大和上と共に来朝された思詫律師により、天平宝亀年間(770~780)に開創された律院であった。後、荒れるにまかされていたのを、天正十三年(1585)順慶法印の悲母、芳秀尼(尊栄・大方殿・寿桂院芳秀宗英大禅定尼)が弘願を発して財を施入、順慶法印と筒井氏一族の総菩提所として、実円寺の霊跡を再興した。芳秀尼は文武に秀でた息子、順慶法印が僅か三十六才の若さで、郡山城中に没したとき、三日三晩にわたり寝食をとらず嘆き悲しんだという。翌年、芳秀尼は順慶法印の死を悼み、その菩提を弔う為、香花の絶やさざる寺院の建立を発願、正親町天皇の勅許を賜り、唐招提寺長老、泉奘大和尚を請じて実円寺を再興、古額を改め菩提所としたのが今の律宗、伝香寺である。

 伝香寺の開創と共に芳秀尼が順慶法印の霊前に供えた椿は、別名を「武士椿(もののふ つばき)」と称して定次の供えた石造の「片袖地蔵尊」と共に伝香寺本堂(国指定重文)前に現存している。普通、椿は色衰えてから、花そのものが落ちるが、この椿は色まだ盛んなとき、桜の花弁の如く一枚一枚と散る、その散りぎわのいさぎよさが、若くして没した順慶法印を弔う意味を込め、いつしか「武士椿」の名になったといい伝えられている(奈良三名椿の一)。もち、いちい、楠木などの老樹がそびえる下、本堂には順慶法印・定次・芳秀尼を始めとして戦国乱世を生きぬいた筒井氏一族の霊牌が、今なお静かに眠っている。」


 時機に応じて、傳香寺を拝観されては如何でしょうか。 JR奈良駅、近鉄奈良駅から徒歩10分程度のところにあります。是非お勧め致します。

 傳香寺のホームページには、その「歴史と所在地」、「寺宝」、「伝香寺の四季」、「伝香寺瓦版」等のページが設けられております。特別開扉の機会もありますので、詳細を併せてご確認下さい。

上の写真は、平成25(2013)年3月17日に、当研究会会長が傳香寺にて撮影した「武士椿」。


via 筒井氏同族研究会
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