旦那です。
数年間ほったらかしにしていたこのブログも最後の記録をすることになりました。
本日午後0:39、このブログの主であるponkanmamaは永眠いたしました。
ざっと経緯を書きますと、
実は私(旦那)が7/9~31まで痔瘻の手術の為入院しておりまして
その間はなんとか一人で頑張って過ごしていてくれたので
詳細な体調は確認できていませんでした。
私が入院した直後に義姉に腹痛を訴えていたようですが、
翌日には治まっていたようで大したことはないと認識していました。
7/31の退院の際にも、足が痛いと言いながらも車を運転して迎えに来てくれました。
8/1、8/2と足が痛いから車の運転は辛いとは言っていましたが穏やかに過ごしていました。
そして8/3の透析後から、ひどい足の痛みを訴えるように
なりましたが、自宅ではどうすることもできず、
かといって大学病院の救急に行くのも嫌がり
次の透析(8/6)を待たせていた状態でした。
その間ずっと足の痛みを訴えていましたが、耐えさせていただけでした。
既に右足つま先はチアノーゼ状態でしたので、もんだりさすったりするくらいしかできませんでした。
たまたま8/6は台風の影響で透析が午後からとなり
車椅子を病院で用意してもらって透析に行きました。
透析中に、今度は腹痛を訴えるようになったとのことで
透析していた病院より呼び出され
そのまま国立病院の救命救急へ救急車で搬送されました。
私も救急車に同乗して国立病院へ行きましたが
ずっと腹痛は止まらず、右足のひざ下がチアノーゼ状態のままで
先生の診断は虚血性の疾患とのこと。
これが透析による一過性のものならば元に戻ることもあるだろうが
元に戻るのはかなり厳しいとの診断でした。
夜中0時ごろ、「帰るね」と言ったら「嫌だ。そばにいてほしい。」と訴えていましたが
私も退院したばかりで体力も落ちていたため、座薬を入れたタイミングでこっそりと
後ろ髪をひかれながらも、とりあえず自宅へ戻って入院準備をしました。
そして本日(8/7)早朝6:00ぐらいから呼吸困難となったようで
7:00過ぎに担当の先生から人工呼吸器の送管許可の電話がありました。
病院へ移動中、今度は造影剤CTをするが、
アレルギーが多いので造影剤使用の許可が欲しいと電話があり、
病院に着いた時にはちょうどCTをとっているところでした。
そのまま義姉と病院で待機し、姪たちにも来るように義姉が連絡し
とりあえず同居しているもの全員が病院に集合できました。
結局、腸管が壊死している可能性があり
そこからカリウムが流れ出て
カリウム過多で心室細動を起こしている。
電気ショックによる除細動を20回ほど繰り返している。
腸管を手術するにも心室細動が起きているため不可能。
とりあえず心拍が落ちたら強心剤を点滴してなんとか持たせている状態。
ということで
もう、心臓マッサージまではしないということで透析して
少しでもカリウムを減らす処置を行ってもらいました。
しかし、点滴が切れると心拍が落ちる、
点滴でまた少し戻るを繰り返し
甥の到着を待って、点滴も終了してもらおうかと相談していたところでしたが、
到着を待つこともなくそのまま逝ってしまいました。
意識がなくなる最後まで痛みを訴えていたと思うと
ぎりぎりまで傍にいてやらなかったことを後悔するばかりですが、
これまでの痛み、苦しみなどを考えると「やっと楽になれたね。」と
頭をなでてあげるくらいしかできませんでした。
穏やかに死を迎えることができるならよかったのでしょうが
後悔ばかりが頭をよぎります。
もし私が入院しなければもっと一緒に過ごせたのに
もし、もっと早く病院に連れて行けばもう少し延命できたかもしれないのに
など・・・
妻の人生は、病気の体をもって生まれ辛い人生だったかもしれません。
私がいたことで少しでも心の支えになってあげられたろうか
楽しい時間を共有できたろうか
頭の中はまだぐちゃぐちゃでいろんな思いだけが募ります。
あとは、早く迎えに来てもらいたいというのが正直な気持ちです。
明日は通夜、明後日は葬式としっかり喪主を務めたいと思っています。
たまたまこのブログを見つけた方
病気の体でも少しでも前向きに生きた透析患者がいたと
また、今でもどこかで病気と闘っている方がいると
ちょっとの時間でいいので考えてみてください。
そして後悔のない人生を送ってください。
文章が拙い部分はお詫びします。
さようなら