おはようございます。今帰省中の私ですが、何か教材づくりに役立てようと、青空文庫の中の色々な小説や読み物を物色していました。何か短い文章で、日本語の授業に役立ちそうなものはないか、と。

そこで偶然読んだ原民喜の「少年」ですが感想を短く書いていこうかな、と思います。

 

 

 

こちらから読むことができます。

 

原民喜は小学生か中学生の時に教科書か何かでその作品に触れた機会があると思います。詩を読んだような記憶があります。

なぜか興味が引かれました。ガラスのうさぎ、という作品を昔読みました。それも戦争に関わる作品で、引き付けられ、こんな時代に生まれたらつらかった・・と思ったものです。もし自分の家族や友達がこのような目に遭ったら・・と想像しました。

 

以下ネタバレを含みます。

 

 

「少年」では自動車展覧会をのぞきにいく主人公、そこからの素敵な車や運転している若い女の想像、車への憧れ・・といった純粋な日常の心の機微が読み取れ、主人に道草していたと叱られたり、といった日常風景が描かれています。

 

そして、道を運転しているとき、イメージした通りの車と女をみつけて、追いかけて行こうとする・・。

 

そこで読者に感じられるのは、これから少年はどうなるのか?少年の好奇心とともに読者もわくわくするような体験を錯覚させるかもしれない。

 

しかし最後の二文でこれらの日常の人生、未来、といったものは突然打ち切られます。

 

「光の洪水」「絶望」「罵倒」と表現されていますがそれは原爆でしょう。

 

このように原爆とはっきり表現しないまでも詩的にそれが表現されているようです。

 

「罵倒」という表現がつらさを感じさせます。これは自然現象や単なる爆発ではなくて、人間の悪意、暴力といったものなんですよね。

 

そんなものに未来や日常を突然奪われてしまう・・そこに恐ろしさやふがいなさ、怒りを感じさせるものですね。

 

そして核不拡散条約を多くの国と締結し、核兵器は失くさないといけない・・と思うのでした。

こう書くと「オールドメディア」に影響されているだとか、「お花畑」とかひとくくりにされて今の風潮では馬鹿にされるのかもしれませんが、やっぱり戦争というものはこういう文学作品からも表現されている通り、人間が伝えていかなくては防げないものでしょう。

 

銃が無ければ、銃では殺せない。核兵器が無ければ、それに破壊される未来の人類も誕生しない。

 

日本は銃社会ではないので、銃による犠牲者はアメリカほど多くない。

 

人間の心が戦争や暴力を起こすものだが、その道具がなければ、実行はできない。

 

やっぱりそういったことも事実ではあるな、と思うのですよね。国際社会がお互いの心を読み取り、徐々にお互いに武器をなくしていけばいいと思うんですよね。

 

そのためには外交が必要だな、と思います。