あらぶる | ぽんたびじるし。

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猫のこと、ゆずのこと、日常のことをぽつぽつと。

カタン大会、無事(?)終わりましたー!

からの、愚痴!なので、気分悪くなりたくない人は読まないでください!



荒れ狂っております。私が。

端から見たら、たかがゲーム如きいつまでも引きずって、くっだらないですよねー。お前いくつだよってね。

そう思いながらも、止まらない止まらない。

記憶からあの一試合だけを抹消したい。でないとおさまらない。

誰が見てるか分からないブログにこういうこと書かないでおこうと思ったけど、自分でどうしても飲み込めない。だからごめんなさい書かせてもらいます。


トップを最後まで独走させるためのカタンってなんだ。
自分が二位でゴールするために、トップを止めずに下位を叩くカタンってなんだ。

理解してほしい、フリでもいいから共感してほしい人には、

「(私が、相手が「こう言ってた」ということについて)嘘ついてるだけかもよ?」とか「(私が)ヘイト買ってたのかもよ?」とか言われるし。

なんかもうこれ言われた瞬間、ああもうダメだと思った。

もう何も話したくなくなった。

共感してもらえたら、愚痴聞いてもらって、それで終わりにしようと思ってたのに。一言、「そうだね、ひどいね」って言ってもらえたらそれで良かったのに。
私が言うことについて、何で悉く、「こうかもしれないよ」「ああかもしれないよ」って、私の想いと違う可能性ばかり提示するの。それは私にとって否定でしかないのに。どうして向こうばかりかばうの。客観性に欠けるものはすべて受け入れてもらえないの。じゃあこの気持ちはどこにやったらいいの。実際にゲームを通して感じたこのやるせない気持ちは。
「直接言えば良かったやん」って、何でそんな風に言うの。どうしてこんなにも通じないの。もうどこまでが言っていいことで、どこからが言っちゃダメなことなのかも分かんないよ。

あの状況でヘイト買うってなんだ。何もできない、理不尽に動きを止められたあの状況で。

それでも自分が悪かった可能性を考えて反省しないといけないのか。
何もしてないし言ってないよ。今回、言葉には本当に本当に気をつけたんだよ。それでもヘイト買ったとか考えないといけないの。もうそれは私の存在自体が人を不快にするってことだよね。

はっきりと、「一位にスッと勝ってもらいたかったから止めなかった」と言っていたのに、それが嘘かもしれないと疑わないといけないの。ってか嘘って何?何のための?
 
微妙な差で、各々の“トップ”の認識が違うことはよくあるよ。それは当たり前だし仕方がないことだから、理解できる。だから、序盤でこっちにばかり盗賊が来るのは我慢したよ。この人には、こちらの方が発展性があるように見えるんだろうって。
 
だけど、そうじゃなかった。中盤になっても、確かな差が出始めても、誰がトップなのか、共通認識になっていたにも関わらず、変わらなかった。

特定の誰かに一位を取らせるためのゲームって、それは勝負を捨てていることとどう違うの。戦略の一つだと認めないといけないの。コンビ打ちと何が違うの。そんなくだらないゲームにつき合わされた人は運が悪かったと諦めればいいの。
「もうこれ以上発展のしようがないから」って、どこが?何だってできるじゃん。散々ダイス目に恵まれてたじゃない。発展してるじゃない。こっちはやっと目が出たと思っても止められてて、何周回っても資源が増えなくて、その“これ以上”の“これ”にも遠く及ばないところにいたけど、それでもゲーム投げたりしてなかったよ。ちゃんとトップ目指してやってたよ。
 
そういうの全部、踏みにじってるよね。バカにしてるよね。そうとしか思えない。そういうつもりじゃなかったとしても、結果そうだ。

最終的に何に対して怒っているのか分からないくらいぐっちゃぐちゃ。

そんな気持ちを抱えたまま、ある光景を見て、何故私はこんなにも次元が低いのだろう、何故こんなにくだらないのだろう、と思い知らされた気がして、余計に感情がこんがらがってしまってる。私には手が届かない。どうせこの複雑な感情も分かってもらえない。ただ醜くて汚いだけだ。


負けても楽しいゲームはある。悔しくても充実感のあるゲームはある。

楽しかったのにな。
一度も勝てなかったけど、それでも四試合中三回は、ちゃんとカタンを楽しめたのに。楽しい時間を過ごすことができたのに。たった一つが引っかかって、楽しかった気持ち、自分で台無しにしてしまう。

腹が立つやら悔しいやら悲しいやら。

もっと柔軟になりたい。