今日は、こげんたちゃんの命日。
10年前、一人の狂人と、多くの顔の見えない狂気にさらされ、筆舌に尽くしがたい虐待を受け、無残に虐殺された一匹の猫。
インターネットでその全貌を読みながら、息苦しさと、悲しさと、申し訳なさと、怒りと、その他のたくさんの感情が混ぜこぜになって、気が狂いそうだった。
本も買ったのだけれど、それは未だに本屋さんの袋に入ったまま、取り出せていない。
もう一度、向き合うのが怖いから。
どうしようもない臆病者。
私に、たくさんのことを「知る」きっかけをくれた子。
私に、大きな影響を与えた子。
安らかに眠れますように…とか、生まれ変わったら…なんて、気休めだってことはずっと前から分かっているけれど。
そんな気休めすら言えないほどの、何の救いもない最後だった。
犯人が憎いという感情よりも先に、同じ人間として申し訳ないという感情が先だった。そんなの初めてだった。
偽善だってなんだっていいよ。
頭で考えてそう思っているわけではないから、どうしようもないもの。
ただただ、ごめんねって、そればっかりだった。
あれから、たくさんの現実を知った。
どこまでも冷たい現実と、何も行動できない自分の不甲斐なさ。
私は何も変われてないね。
でも、一つの目標をもらったんだよ。
それは、夢とも言えるのかもしれない。
会ったことがなくても、こげんちゃちゃんが心に住んでいる人はたくさんいる。
私もその一人。
小さなあなたが生きていたことも、人間によって虐殺されたことも、絶対に忘れない。
償えやしない。
だからこそ、ちゃんと一歩を踏み出さなければ。