2012年11月6日に、神奈川県逗子市にて度重なるストーカー被害のすえに、女性が殺害される事件があった。

 

 この事件にて、犯人が被害者の女性の居場所を特定するために使われたとされているのが、「Yahoo知恵袋」だ。犯人は被害者の女性の情報から、「お世話になった人を探しています」という嘘の情報から被害者女性の居場所を特定しようとした。

 

 

 

 例えば、Twitterにこういう投稿があったとしたらどうだろうか。

 

 

「探しています。 01/31午前中に下の写真の妹が行方不明になりました。場所は新潟県長岡市××です。 情報提供と拡散お願いします。 (DMもしくは電話) ***-****-****」

 

 

 多くの人はせめて拡散くらい協力してあげよう、とリツイートをしてしまいます。しかし、これがリツイートの落とし穴なのです。

 

 

もしその投稿が、逗子殺害事件の犯人のようにストーカー被害者を特定するためのものだったら?

 

その拡散がきっかけで

被害者が殺害されてしまったら?

 

 

 あなたのその拡散が重大な犯罪に繋がることがあります。つまりそれは、犯罪に加担したと言っても過言ではない。

 

 

 他にも、例えばネット上に兄が妹に暴力を振るう虐待の動画が出回ったとしましょう。その動画が炎上してネットの住人たちはその兄の特定を始めます。そんな時に全く関係ない人間を犯人として顔や個人情報を晒しあげるツイートが出てくるとします。世間の大半の人はその人のことを知る由も無いから本当だと思って拡散して叩きます。人によってはいたずら電話など、直接攻撃する人も出てきます。濡れ衣を着せられたその人がどれだけ否定しても、その瞬間から世界が敵に変わるわけです。

 

 そんな事態を起こしたのは、もちろんそもそも間違った情報を晒しあげた大元の人間も悪いですが、確かだと断定できないのに拡散したり攻撃した側にも罪があります。

 

 拡散行為は、他人の投稿を横流しする行為ではなく、他人の投稿を自分の投稿として再度発信する行為と同義と捉えてください。そうすれば、自分の拡散にも責任を感じられるはずです。

 

 

 前回の最後の方に"インターネットは社会の縮図"という表現をした。これが当たり前でありながら、僕が十年かかって再確認した真理だと思う。

 

 いわゆる僕らが日常的に使っている"インターネット"はそもそも何か別の目的で作られた"インターネット"を誰かが「見知らぬ世界の人と繋がる」という目的に気づき、そこに文化が生まれ、人が集まってきた結果のものだと思っている。それは、人間がさら地の地球に集落を作り、それが広くなり、文化が生まれ、巨大な1つの社会が生まれた過程と酷似している。

 

 

また、何よりも

 

”人と人との繋がりの上で成り立っている”

 

というのが一番の共通点である。

 

 

 ネット上で問題になることは大体これで片付く。

 

「現実の社会でしていけないことはネット上でもしてはいけない」

 

 

 

 

 

 これが「情報リテラシー」の根本にある考え方だと思う。そもそもこれは常識であらねばならないし、多くの人が常識であると認識しているはずである。それが行動にも伴えばネット世界はとても平和だろう。しかし、現実はそう簡単じゃない。

 

 多くの人が知らず知らずのうちに見知らぬ人を悪気なく攻撃しているかもしれない。あなたが軽い気持ちでした一つの行動が他人を傷つけているかもしれないということ。

 

 特に、「  拡散  」という行為においては・・・

 

 僕の小学校の終わり頃から中学、高校、大学と振り返ると、僕にとってインターネットの存在はとても大きく、インターネットとともに成長したと言っても過言ではないくらいその十年ほどの間でもインターネットは著しく発展している。

 

 僕が初めてインターネットに触れたのは小5の頃。当時好きだった児童文庫小説について親のPCで調べていたら、ある掲示板サイトが見つかった。そこにはその小説が好きな人がその内容についての感想などを匿名で言い合ってる掲示板だった。それが僕にとって初めてインターネットで世界のどこかの人と繋がる始まりだった。当時その小説について話せる友達が周りにいなかったため、僕にとってはとても嬉しいものだった。

 

 それがきっかけで僕はインターネットにのめり込んでいった。mixi、Twitter、Facebook、色々なSNSを渡り歩いてきた。のめり込みすぎて青春の多くの時間を無駄にしたことは否めないので、それが良かったかは今思えばわからないが、当時の僕はとても楽しんでいた。

 

 しかし、十年近くもインターネットに触れていると楽しいことばかりではなかった。中学の頃にまだ社会としての"常識"やモラルが身についてないうちには「炎上」したりすることがあった。接しているうちに好きではない人もいた。

 

 

 

ある程度分別のつくようになった今でこそ思う。

 

僕は

 

"インターネットは社会の縮図"

 

であることを忘れていた。

 

 

 

 もし、中学の頃の僕に教えてあげれるのなら、しっかり情報リテラシーを1から理解させたい。無理なら今すぐにでもTwitterをやめさせたい。そういう気持ちを込めてこのブログを書きます。

 

 楽しい思い出もしょっぱい過去も含めて・・・