職場で飲むのは、

 コーヒーコーヒーもしくはミネラルウォーターみずがめ座



 コーヒーはなるだけ時間を決めて飲むようにしている。

 そうしないと、際限なく飲む恐れがあるので。(^▽^;)


 なので、コーヒーを飲んでない間は、ミネラルウォーターを

 飲むわけだが。

 気がつけば、飲み物を口に含んでない時間がない。


 それこそ職場にいる間中、水分を摂取している気がする。


 故に、

 トイレの回数は半端ないあせる



 家に帰ると、極端に水分を取らないくせに、仕事してるときは

 やたらと喉が渇くのはなぜだろう?

 冷房が効いてて、汗をかくこともないのに。



 1つ言えるのは、

 仕事中ってたいがいイライラしている(笑)


 体を動かす仕事でもないし、

 外回りも皆無であるため(つまりは気分転換できる環境下にないため)か、

 時間の経過とともに、腹の中に黒い塊が沈んでいく感じがするのだ。



 私のこの”ミネラルウォーターをがぶ飲みする”という行為の真相は

 透明で清らかなミネラルウォーターを、無闇矢鱈に飲むことで、

 それらを流そうというささやかな抵抗なのだろうか。


 どちらにせよ、

 どーでもいい呟きなのだけど。


 そういう心のサインもあるのかしらと、ふと思った午後でした。





 思った事を、音にしたとき。

 それはもう別の生き物として、一人歩きしてしまう事がある。


 意図して放った言葉ならまだしも、

 意図せずになんの悪意も持たぬまま放った言葉が、

 鋭利な刃物となって大いに人を傷つけることだってありうるわけだ。



 それはなにも音に限ったことではない。


 こうして誰の目にも触れることの出来る、

 制限のない文章であっても同じ事がいえる。



 噂話なんて、その真骨頂ともいえる。 

 話の発端を紐解けば、振りまかれる際の"尾ひれ"の方が主体と

 なって、本来の事実からかけ離れているなんてザラなのだから。

 ここからが人の内側の怖いところで、

 噂話ほど、真に受けてはならないと頭ではわかっていても、

 その事実の上に作られた偽物のイメージに囚われてしまうことも多々ある。


 それが意図して作られた、悪意のある"尾ひれ"であれば

 なおのこと。


 一人歩きした偽物の尾ひれを、払拭できずに苦しんでいる人も

 たくさんいるのだろうなぁ。




 とはいえ、言霊の行方まで見届けねばならないのなら、

 人と他愛なく話をすることですら躊躇してしまう。


 コミュニケーション自体が難しくなってくる。


 


 「考えすぎ」だと言われればそれまでなのだが、

 考え出すと、とことんまで突き詰めてしまう性分なのだからしょうがない。



 何気ない一言が、対する人の人生まで左右するなんていうとひどく大げさなのだが、

 影響力のある、上に立つ立場の人であるならば、

 放つ言葉にある種の責任を担うのはしょうがないのかもしれない。


 無論、こうして無制限に文章を書き連ねる私だって同じ事がいえる。

 ・・・・なんの影響力もないんだけど(笑)



 選挙報道を見聞きしながら、ふと思索に耽った夜でした。


 おもうに。


 ここ最近、物事に対する執着心が薄くなってきてる気がする。


 というより。


 なにをするにも、時間がかかるようになってきた。



 興味のあるモノをコレクションするのが好きだったのに、

 モノを揃えるという行為がひどく億劫になったり。


 何かを「聞きたい!」「食べたい!」「見たい!」とかいう

 強烈な願望が湧かなくなったり。


 それはとても寂しいことのような気がするんだけど。



 ちょっとした虚無感っていうのかしら?


 窓を全部閉めて、密閉された空間にいても、

 どこからか風がピューピュー入ってきてる感覚がする。


 そしてひどく乾燥してる。



 こういう時は、オアシスを求めて彷徨うよりも、

 ひっそりと静かに、雨が降るのを待つほうがいいのかも知れない。


 ともあれ。

 先は長い予感がするな~汗



 


 蒸し暑い室内に


 雨上がりの湿った風が入ってくる。


 途端にそこは夏のかおりでいっぱいになる。



 灼けたアスファルトの匂いに混じって

 草木独特の青臭い匂いが心地良い。




 夏は嫌いだけど

 自然の息吹がとても近くに感じるこの季節は

 やっぱり必要だとも思う。



 なにより 夏の野菜は格別だ。


 苦みや酸味の強烈な

 パンチの効いた野菜達が

 暑さに萎えそうな心身に刺激をくれる。



 子供の頃は 夏野菜が大嫌いだったのに・・・


 旬の野菜に舌鼓を打つようになったということは

 それだけ歳を重ねた証拠だということかしら?



 ともあれ

 今年もいよいよ 暑い夏がやってくる。


 


 人と話しているとき。


 たとえばそれが自分の興味ある話題であったり、

 賛同してもらいたい意見であったりしたとき。



 熱くなってしまう傾向がある。



 同じ価値観の者同士なら、そこに違和感はないのだけども

 同じ価値観の人なんて、そうそういるわけもなく。



 熱くなったあと、ひどく自己嫌悪する。


 なんだか自分を、相手に押しつけてしまったような

 あるいは、たいしたことのない知識や価値観を

 自慢気にひけらかしてしまったかのような。


 そんな感覚に陥るのだ。



 「ひとりよがり」


 そう、それは間違いなく独りよがり。



 自分の意見に共感や賛同を得られなかったときの

 落胆に過ぎない。


 共感や賛同がほしいだけの関係なんて、

 薄っぺらいことこの上ないのに。


 そんなことわかってるくせに。


 認めてもらいたくってしょうがない、

 まだまだ未熟な自分がいる。