朝から家事をこなし、子供の世話をして、送り出した後は、さらに家事をこなしまくる。間に赤子は泣くし、待ってはくれない。
でも私の中から『被害者』が消えた。
それは淡々としたもので、でも頭の中に響く『もう…ちょっと待ってよ!』とか『もうやだ!全然進まないじゃん…』みたいな声とイライラが
無い。
文字通り、無い。
でもそれは、劇的でありながら淡々としていて、
『あ。泣いたの。ハイハイ行くね』
『よし今これやろう』
『はい次はこれね』
みたいにパチンパチンとさばくような、テトリスで、これはこっち、これはあっちとやるような感じで。
だいたい10時半ごろまでそのような作業に追われているのだけれど、その『余計な声』がないことで、30分〜1時間ないくらい作業スピードが上がったのだ。
もしくは作業自体が多くこなせていることもある。時間が圧縮されている感じ。
頭の中の声(だいたいは文句だったりする)が静かというのは、本当に快適だ。
これがないだけで逃すべきでない直感が見えてくる。
ちなみに頭の中の声が『無い』というのは、無音の瞬間もあるけれど、正確にはスルーしていい声とキャッチすべき声が聞き分けられる状態だと思う。
キャッチすべき声というのは、か細くて一瞬で通り過ぎる。
頭の中が雑音だらけじゃ、まずかき消されてしまうのだ。
それは天気を見ているのに似てる。
室内から外の天気を見て、雨だ晴れだと言っても、その天気にどっぷり浸かることはない。
移りゆく天気を眺めてるのと同じだ。
イライラも、喜びも、悲しみもある。
迷いも、嬉しさも、ズルさもある。
どんなに『変わって』もそれはなくならない。
でも、戻る場所がある。
戻る場所があれば、また始められる。
帰ってこられる場所は、再出発の場所。
『感情に振り回されない』。数年前の私には想像できない世界だけれど、今の私は確かにそこにいる。