前回の続き


実家に苦手意識があるわたくし



【自由気ままなわたしじゃダメ】
【きちんとしたわたしじゃないとダメ】



そんなことを思い起こさせる場所が実家



その日はすんごく久しぶりに
母・わたし・高一の娘
親子3代でお茶をすることに🫖





運気アップの方法の1つに


【ご先祖さまへの感謝】

と、いう話をよく聞くのだけれど
感謝ってしようとしてするのも違う


ちょっぴり天邪鬼な性格が顔を出す



そもそも、
わたしはご先祖さまのことを知らない



母にご先祖さまの
はなしを聞こうとしたところ、
話題を振る前から母が話し出した




わたしの祖母は1人娘
その親も1人っ子という
多産多死の当時はとっても珍しい家系



血筋が途絶えてしまったら
わたしの存在もなかったと思うと
不思議な感じがする




祖母の親は
イカダを作る職人をしていて
それを川から東京の木場へ流し、
それを売るという仕事を
していたそうだ



祖母曰く、


「頭は良くなかったけれど
 商売の才能はあった」らしい



なんかそういうの好き



祖母は小学校の先生をしていた祖父と
結婚することになるのだが、


19才で授かった第一子を
食中毒で亡くしている


6歳だったそうだ


当時は土葬だったのだけれど
子供が亡くなった場合
親が墓場に行けないという風習が
あったそう…



「何?その風習?」



愛娘が出棺される際、
その母であるわたしの祖母は


障子のサンにつかまり
泣きながら別れを惜しんだそうだ



そして、
小学校の先生であった祖父


朝礼台でラジオ体操をする際に
嫌でも目に入ってくる1年生くらいの子供達



亡くした娘を思い出して
人目を憚からず涙する祖父


厳格なイメージからは
想像もつかない情景が
鮮明に浮かび上がる


ーーーーー


祖父と祖母が
異常に心配症になった根源は
ここにあるのだろう



わたしの母も
少し帰りが遅くなると姑・舅に叱られ
ずいぶん堅苦しい思いをしただろうし



父に至っては
両親の異常な心配症体質により
やりたかったことを
ずいぶん諦めてきたと聞いていた




そんな母親に育てられた父は
子供達には
やりたいことを
自由にやらせてあげたいと
思っていたようで…



そんな話をもちろん父からは
聞いたことがない



わたしはめちゃくちゃ
勘違いをしていたようだ



つづく