皆様、今まで「医学生のルンルン日記」を読んでいただきありがとうございました。


この記事を以って、当ブログを終了いたします。


ただ、このブログは思い出としてそのままにしておきます。


コメントをくださった多くの方々や、ペタを付けて下さった多くの方々に感謝いたします。


ありがとうございました!





なお、新しいブログへのリンクを貼っておきます。


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研修医のルンルン日記







それでは、いつもの締めの言葉で終わりたいと思います。






ではでは!

ざざざっと思いつくまままとまりのない6年間のまとめをしてきましたが、最終学年に到達しました。


6年生(今年)です!






①大学生活


最初の1ヶ月は病院実習をやりましたが、実習終了後は国家試験に向けて6年間の総まとめをしました。


これまで、基礎医学・臨床医学・社会医学をやってきましたが、それらを全ておさらいする集中講義というのを受けることになるんです。


もちろん、臨床医学に重きをおいた配分ですが、ちょいちょい基礎医学の内容も復習しつつやりました。


ほぼ2週間に一度行われる卒業試験、そしてその卒業試験をクリアすると、本番の卒業試験を受験します。


医学部の場合、卒業するには論文などは必要なく(必要な大学もあるかもしれませんが・・・)、卒業試験に合格すると卒業でき、学位を得ることが出来ます。


もう6年生は思い出も何も、本当に一生懸命問題と格闘しましたね(笑


自分の限界への挑戦ではないですが、結構辛かったです。


でも今思い返すと、終わってしまえば何とでも言えるもので、なかなか一生のうちでこんなに勉強する1年て無いと思うので良い思い出になったと思います。


たぶん一生忘れないと思いますね(笑











実は6年生で書くことってこれくらいなんです・・・。


本当に国家試験のために捧げた一年みたいなものなので、それ以外に書くことが無い(汗


まぁ、ちょいちょい友達とストレス発散のために飲み会をやってベロベロになったりしましたが、日々クエスチョンバンクと生活を共にしていました。


なんとか卒業もできて、国家試験にも受かり、第一関門は突破できました。


さて、来週からはいよいよ病院デビューです。


ここまでの道のりは振り返ると長かったですが、長い目で見ればまだやっとスタートに立っただけなんですよね。


よく、医者は一生勉強をし続けて最新の医療情報に敏感でなくてはならないと言われますが、まさにその通りだと思います。


これまでは教科書に書かれた医学を学んできましたが、来週からは職業としての医学を勉強しないといけません。


理不尽なことや、悩むこと、うれしいこと、楽しいこと、悲しいこと、数多く遭遇すると思います。


ケースバイケースで対応します。


ひょっとすると、気づけば最初の熱い思いはどっかに行っちゃって仕事をしていることもあるかもしれません。


でも、心の片隅に、たしか高2の夏だったと思いますが、「そうだ、医者になろう!」と奮起したあの時の気持ちは持ち続けたいと思います。


思い返せば、「どうせ勉強しなきゃいけないのなら、徹底的に世のため人のためになる学問を勉強しよう。それが一番面白そうだ!!」と思ったのがきっかけですから、お金のため、自分のための医学にならないように自分を厳しく律していきます!








さ~~て、6年間の思い出を徒然なるままに書きました。


なんかもっといろいろあった気もするのですが、いざ書くと思い出せないものですね(笑


でも、さまざまな場面でフラッシュバックしてくることでしょう。


思わず赤面しちゃうような恥ずかしい思い出から、人に誇れるような自慢の思い出も、自分を成長させてくれた貴重な財産です。


これからも大切にあたためていこうと思います。







これで6年間の思い出話はおしまいです。






ではでは。

さてさて、5年生です。






①大学生活


4年生の進級関門であるCBTやOSCEをクリアし5年生に進級しました。


うちの大学は5年生から6年生の始めにかけてが臨床実習になっていました。


つまり、白衣を着て本物の大学病院で本物の患者さんを相手にさせていただいて実習を行っていくわけです。


緊張の連続でしたがポリクリのメンバーと助け合いながら1科ずつ乗り越えていきました。


患者さんのなかには、学生が診察するのを拒んだり露骨にいやな顔をされるかたもいましたがそれは本当に極少数。


本心は分かりませんが、皆さん快く学生実習への協力をしてくださいました。


そして、受け持った患者さんから元気をもらうことが多々ありました。


「頑張って良いお医者さんになるんだよ!」


と有り得ない位の力で肩をバ~~ンと叩いて励ましてくれた患者さん。


「病院食はまずい!○○っていうレストランのシェフを呼べ!」


と個室でボクを秘書扱いしつつも、


「君は良い耳の形をしているな!出世するぞ!そうだ、今日からお前を教授と呼ぼう!」


と教授と呼んでくれた会社社長さん。


などなど挙げればきりがないくらいたくさんの人と出会えました。


それぞれの患者さんにはそれぞれの人生のストーリーがあって、そのストーリーを知ることが出来る医師という職業は本当に恵まれているなと思いました。


患者さんとのやりとりがたまらなく楽しかったんですね。


この道を選んだことは決して間違いではなかった!


そう確信できました。


実際に、患者さんを治療する医者として患者さんと接するのは、学生のそれとはまた違った側面があると思います。


それでも、患者さんと仲良くなり、ともに病気と闘う仲間という意識は常に持ち続けたいですね。


患者さんは看護師さんには本音を言うが医者には言わないと、某病棟の看護師長さんから聞きました。


毎朝の注射。


医者が痛くない?と聞くと患者さんは痛くないよ、大丈夫だよと答えます。


でも、医者が去った後、看護師さんがくるとボソッと一言。


「あの先生、注射へたくそでいてぇんだよな・・・。毎朝の注射、、、いやだな・・・。」


なんてことを目の当たりにしたこともあります。


だから、看護師さんに負けないくらい、患者さんから本音を言ってもらえるような医者になりたいですね。


目標は「患者さんの心に寄り添った医療」を行うことです。


理想論を語るは易し、かもしれませんが医療はそういった各ドクターの久遠の理想によって日々向上していくものと考えています。


臨床実習は、とにかく日々勉強でした。


患者さんとのコミュニケーション、疾患の知識、プレゼンテーション能力など、課題は山積みでしたが1つ1つ出来ることを全力で取り組みました。


あっという間に過ぎ去った1年でしたね。


もちろん、ポリクリのメンバーで飲み会もやったし、旅行に行ったりもしました。


あのメンバーと出会えたことにも感謝です。


そして6年生へと進級すると、国家試験に向けた勉強の日々が始まるのです。。。






②アルバイト


バイトの方ですが、まさかの事態が起こりました。


まず、中3を送り出して「さて来年度はどの学年に配属かな?」と思いながら人事を見ると、なんと引き続き高1の担任になれとのこと。


小6から5年間連続で一緒に進級でした。。。


でも、それもつかの間さらに人事異動が。。。


お隣の教室への異動でした。


これは青天の霹靂でしたが、これもまた運命。


新天地でのバイトが始まりました。


駅でいうと1駅しか離れていませんが教室の雰囲気がぜんぜん違うんですよね。


まず生徒の質。


これがめっちゃ良い(笑


成績も良ければ理想も高いし勉強もする。


もう楽チンな1年でした。


高1の担任でしたが、その教室は高校生が少ない教室だったので、中学生も教えることになりました。


とは言え、6年生は国家試験の勉強がありますからバイトは無理。


今年いっぱいで辞めることを決めていましたので中2とかは最後まで(受験が終わるまで)責任持って教えられないので中3を再び受け持つことになりました。


前教室では数学をメインに教えていましたが、実はボク、理科講師で採用されたので先生の数も桁違いに多い当たらし教室では理科のみを担当しました。


そして生徒が頑張り屋さんだったので、全国模試で全国1位を勝ち取ることが出来ました。


これもまた生徒の自信になったと思うし、自分自身も得がたい達成感に酔いしれました。


ぶっちぎりの1位でしたからね。


高校生も化学・生物を中心にじっくり、ゆっくり丁寧に授業が出来ました。


前の教室と比べるのもなんですが、前の教室にはそこなりの、新しい教室にもそこなりの楽しさがあって充実した仕事ができました。


その中3の合格発表の日、日本を震撼させる出来事が起こったのは残念でした。


2011年3月11日。


東日本大震災です。


うまく表現できませんが、塾講師として最後に送り出した生徒の喜ぶ顔を見ることができなかったのは残念でした。


その後、震災の影響もあって、辞めるのが2ヶ月ほど遅れましたが塾講師としての仕事はこれでおしまいです。


トータル5年間。何人の教え子と出会ったのか分かりませんが、自分自身のスキルも高まったし、なによりも相手の気持ちに立って行動できるようになったと思います。


挨拶をしただけでその人のコンディションが見抜けるようになったのは、塾講師のアルバイトならではの成果だったと思います。


そして、子どもと接することに喜びを見出したワタクシ、小児科を専門にすることに決めたのでした。


世の中、どこがどうつながっていくのか分からないものですね。


本当は外科に進もうと思っていたのに(笑


以上がアルバイトのお話でした。







5年生を一言で表すと「出会い」ですかね。


患者さんとの出会い、そしてアルバイトでは退職したことで再認識した生徒との出会いの大切さ。


こんなにも多くの人と関わり合えたのは医学部に入ったから、そして塾で働けたからだと思います。


出会った人の数では、結構負けない自信がありますよ(笑


全てが良い出会いではありませんでしたが、み~んな自分にとっての財産です。


6年生はいよいよ国家試験の受験です。


今度は生徒ではなく自分が受験生として勝負の一年を迎えるわけです。







ではでは。

今日は晴れてるけど花粉が:゙;`;:゙;`;・o(ロ≦〃)


というわけで、4年生のまとめです。





①大学生活


4年生は、前半が臨床医学の続き。


後半が社会医学、CBT対策、OSCE対策を学びました。


臨床医学は1つ前の記事の通りです。


キャラの濃い先生の自由奔放な講義に振り回されました(笑


でも、その中でも分かりやすく講義してくれた先生や、直接の講義内容とは関係なくても経験談や先人たちの偉業などを交えて話してくれた講義は記憶に残っています。


後々、講義をするくらい偉くなれたら(笑)、変な意味で学生の記憶に残るのではなく、名講義の1つとして記憶に留めてもらえるような講義をしてみたいものです。


後半の社会医学というのは、基礎医学、臨床医学とは趣が異なった科目群でした。


具体的な名前を挙げると、法医学や社会福祉学、公衆衛生学があります。


法医学は、「法医学教室の事件ファイル」なんていうドラマがあるように、主に死に関する科学を学ぶ科目です。


実際に法医解剖を見学したり、県警本部に行って科学捜査研究所(科捜研)に実習に行ったり、意外と体験型の科目だったので興味を持って学ぶことが出来ました。


社会福祉学や公衆衛生学は、さながら文系の内容です。


法律がどうのこうのとか、保険制度を学んだりする、ほぼ100%暗記しないとどうしようもない科目でした。


実際に国家試験のみを視野に入れれば、そこまで深い知識は要求されないはずだったのですが、今回(第106回)の国家試験は、「過去に出題された内容+α」が要求されていた気がします。


まぁ、どう贔屓目に見ても面白くなく科目でした(笑


でも、実は大好きな科目でもあるんです。


勉強するのがつまらないのと、興味があるのって別じゃないですか。


公衆衛生学というのは、「病気にならないための学問」が本質だと思うんです。


大学で学んだのはそのための基礎知識だと思うんですね。


実際には、知っている人は知っている「久山町研究」はじめ、疾病の原因や罹患率の研究は医者が描く理想の「人類を苦しめる病気に打ち勝つ」ことを現実化するために必須の学問だと思います。


そして、事実上、4年生の途中(10月くらい)で大学で学ぶべき内容は一通り学びきったことになります。


その後は、CBTといって、5年生で行う臨床実習にあがるために最低限の知識を持っているかを問う、全国共通の試験があります。


Computer Based Testingの略語でして、文字通りコンピューターに次々現れる問題を解いてく試験です。


その対策は各自で行うのですが、実際にはそこまで一生懸命やらずに、なんとなく合格した感じです。


今考えると、あの時にもっとしっかりと勉強していれば臨床実習がより有益になったはずです。


従って、10月以降はOSCEのための、診断の基本ならびに診断学、治療学、症例提示と演習が中心になります。


OSCEというのは、診察の技術を見る実技試験です。


これも臨床実習に上がるために必要な試験です。


そのために、聴診器の当て方や打診の仕方などを学びます。


逆に言うと、世の医学生はここまで進級してやっと聴診器を使ったりするんです。


生身の身体相手の商売ですから、知識はしっかりと入れてその上で実技に入るわけです。


つまり、OSCEを受験できることは、表向きには知識はしっかりと具有していると認められたことになります。


これらの講義や実習は、「ちょっとリアルなお医者さんごっこ」みたいな感じで楽しかったです。


ただ、OSCEは本当の診察技術というよりは演技力が重要だった気が・・・。


まぁ、いずれにせよ医者に近づいた感が満ち溢れた3学期でした。







②アルバイト


バイトのほうは、一番しんどい1年でした。


というのも、小学6年生から持ち上がってきた生徒が中3になり高校受験を迎えたからです。


生徒数もなぜか信じられないくらい増えて、数学と理科の先生がどんどん辞めてって(よりによってあの忙しい時期に産休の先生がいたり・・・)、てんてこ舞いでした。


もはや、「大学生が余った時間に塾でバイトしてる」のではなく、「塾講師が暇な時間大学に行って勉強している」っぽい生活でしたね。


でも、やるからには大学の勉強も塾の仕事も手を抜きたくなかったので、大学の講義は絶対に休まない、さぼらない、試験はすべて一発で通すことを自分に課して頑張りぬきました。


自分でも頑張っていたからこそ、自信を持って教え子たちを叱咤激励できたのだと思います。


授業とは関係ないことですが、夏期講習・冬期講習で全員に手作りのお弁当を持ってこさせる企画を通せたのは良い思い出です。


たまたま家庭の事情で片親のご家庭や、その他さまざまな阻害因子が無かったこと、そして保護者の方々にご理解いただけたことがトータルで企画成功へと導いてくれました。


持論なのですが、成績が良い子は手作りのお弁当を食べてます!(唐突(笑)


これは生徒の様子を観察した結果なので、意外と自信があります。


そして、かならずご飯を食べる前に、


「いただきます。」と感謝の気持ちを声に出すことを生徒に指示しました。


最初は恥ずかしがっていた生徒も、3、4日するとみんな良い顔をしてお弁当を食べていました。


この甲斐あってか、特に冬期講習で毎年出現する「受験生うつ病」みたいな元気がなくなる生徒がいなかったのはちょっとした自慢です。


塾全体の広報誌にも、モデルケースとして載る事が出来ました。


ただ前述の通り、ご家庭にはさまざまな背景がありますから、真似をする教室はほとんどありませんでしたがこれに近いこと(食べる前は手を合わせて「いただきます」を言う等)は実践されたようです。


語弊のないように言っておくと、手作り弁当が最高で、親が忙しいから買ったお弁当がダメと言っているのではありません。


あくまで、親子をつなぐツールとしてお弁当企画を実施したまでです。


そんなことをやりながら生徒と一緒に1年間を駆け抜け、無事に受験を終えることが出来ました。


今でも合格速報を教室で受ける緊張感は忘れられません。


なお、冬期講習中、どうにもこうにも胃が痛くて、正月明けに病院に行ったら胃潰瘍になってました。


ストレスなのか不規則な生活が原因なのか。。。


痛みに耐えてよく頑張った!


と自分で自分を褒めてやりたいです(笑






というわけで、4年生を一言で表すと「努力」ですかね。


自分自身が進級するために、定期試験に加えてCBTやOSCEをやりつつ、バイトでは最も大変な中3の担任になり、とにかく努力努力の日々でした。


医者の仕事は、超多忙だと思いますが、4年生の1年間を乗り切れたんだから、どんな勤務体制でも乗り越えられる自信があります(笑


そして、4年間一緒に頑張ってきた生徒の合格したときの笑顔はボクの一生の財産ですね。









5年生は臨床実習が始まります。





ではでは。

こんばんは。


また間が開いてしまいました。


今しかできないこと(遊びも勉強も)をあれこれやっていると、時間が1日24時間じゃ足りないくらいでして。


では、大学3年生の出来事です。




①大学生活


3年生は1学期までが基礎医学の続きでした。


薬理学や免疫学を学びました。


薬理学の受容体地獄に半べそ、免疫学の「分かったような分からないような」そしてCD○○地獄(笑


2学期からはお待ちかね!臨床医学の講義が始まりました。


臨床医学というのは、「臨床=患者さんを前にして」みたいなニュアンスですので、つまり内科とか外科とか耳鼻科とかの講義が始まったわけです。


ここまで入学から2年とちょっと。


自分が勉強してみたかった内容の講義が行われるとあって、楽しみにしていました。


実際、難しいことばかりでしたが講義は面白く聞き、勉強もそれなりにしました。


最初は『朝倉内科学書』という、枕もしくは凶器になるくらい分厚い教科書を買って一生懸命読んでいたのですが・・・。


効率悪すぎまして・・・。


いや、正確に言うと自分の飲み込みの遅さで試験前に大パニックになっちゃったんですよ(´・ω・`)


頭ごちゃごちゃ状態ですね。


そこで、国家試験のためのあんちょこ本を買って、結局はそれを中心に勉強していきました。


医療系の学生以外はご存知の方は少ないかと思いますが、「病気が見える」シリーズや「year note」、「STEP」などです。


臨床講義では先生のキャラが光まくっていて、先生観察も面白かったです。


うちの大学だけかもしれませんが、基礎医学はだいたい同じおっちゃん(講師以上の先生3、4人)がまとまって一気に5コマとか6コマとか講義してたんですが、臨床はほぼ毎回先生が変わり、手を変え品を変え講義が行われていました。


インパクトありすぎな先生を思い出すと、


☆救急の先生☆


講義テーマは熱傷だったと思います。


授業開始後1時間くらい遅刻ww


地震か!?って思うくらいドスンドスンと巨体を揺らしておっさん登場。


そして、レジュメ配って一言。


「あのね、熱傷ってすごく奥深いのよ。でもね、国家試験ってね、9の法則と熱傷深度知ってればいいからね。


え~~っとね、スライドのね、4枚目と6枚目チェックね。あとはイヤーノート見といてね。


それでね、全部ねOKだからね。あ、それでね、試験の答えは27%だからね。


じゃ、講義はおしまいだからね。」


6年間の中で最短記録、たぶん1分くらいww


そして「ね」の登場頻度も6年間(というかこれまでであった人の中で)最多ww


おまけに試験の答え27%(笑


Baxter法とか、自分で勉強しましたからね。





☆神経内科の先生☆


講義が始まるなり、


「Hallo everyone, ○×□*‘{>+‘?{P~=・・・・・・・。」


90分間オール英語orz


こいつ、次の年から講義を受け持たせてもらえなくなったと言うww






☆消化器外科の先生☆


痔をはじめとした肛門疾患が講義テーマ。


冒頭で、


「僕は肛門が大好きでね、肛門のどこが良いかっていうと、こうきゅっとした(ry」


ただの変態ww






などなど、とにかくキャラが濃い人が多かったです。


もちろん普通のお医者さんがほとんどでしたけどね。


基礎医学とは一味も二味も違った先生を見ることが出来ました。


そんな感じで、3年生は過ぎていきました。








②アルバイト


バイトのほうは、今考えれば一番脂が乗っていた時期だったかもしれません。


教科主任(アルバイトの先生たちのまとめ役)を仰せつかったり、講習期間のオリジナル講座の企画をさせてもらったり。


それと同時に受け持ちクラスがびっくりするくらい増えて、目が回るんじゃないかって言う日々でした。


生徒の数も増え始めて、クラスも徐々に増えていきました。


大学で朝から講義を受けて、夕方講義が終わったらスーツに着替えて家を飛び出る。


夜10時くらいまで授業し続けてそのあと学年会議。


さすがに人数が20人を超えると、全員の生徒に目を配りきることが難しいため、それぞれが気づいたことを報告しあいながら解決策を探っていく会議です。


これが大変。


生徒が増えたのは良いけど、来るもの拒まずで入れちゃったもんだから、とんでもない生徒も数人入塾しちゃったんですね。


一番困ったのは3ヶ月間授業料滞納して、結局辞めていった生徒です。


後にも先にもその子1人だけですが、問題になりましたね。


生徒は悪くないし、むしろかわいそうじゃないですか。


その解決に至るまでの仕事は、良い社会勉強になったと思います。


そんなこんなで、とにかく忙しくも楽しい、充実した塾講師ライフを送ることが出来ました。






③ その他


実は3年生のとき、AKBにはまったんですww


上記の通り、忙しい毎日だったのですが、たまたま「BINGO!」という曲をテレビで見てAKBのことを知り、コンセプトが面白かったのでちょっと休みの日に秋葉原に行ってみたんですね。


なんというか、充実した生活だったのですがあくまで「勉強」と「仕事」だったので、「娯楽」の要素がほしかったんだと思います。


趣味と言う趣味がありませんでしたので。


でも、まさかあのときはここまではまるとは思っていなかったです。


この記事は、おもに大学生活についての記録なので、AKB関連についての記載は控えます。


でも、AKBにはまったおかげで、大切なお知り合いの方々に出会えたことは本当に有難く思っています。


住むところも年齢も職業もぜんぜん違い、お互いの素性がまったく分からない中、単に「AKBが好き」という唯一の共通項だけであんなのも楽しい休日が過ごせることに驚いたものです。


そして、これからも、仕事最優先ですがガス抜きのために「アイドルの応援」という、傍目から見ればちょっと気持ちの悪い趣味を続けていこうと思います。


(ボク自身はアイドルオタクが気持ち悪いなんてこれっぽっちも思っていないことは申し添えておきます。まぁ自分自身のことですからね(笑))









というわけで、3年生1年間を一言で言い表すと「全力投球」でしょうか。


大学もバイトもAKBも、一番熱中してやっていた1年だったと思います。


本当に充実してました。


学生生活の思い出の8割くらいがここに凝縮されているかもしれません。


そのくらい濃い1年だったんですね。


4年生編ではいよいよ小学生からの教え子が中3、15の試練である受験を迎えることになります。


ポンペ、ストレスで胃潰瘍になります(笑


それはまた次の記事で。






ではでは。